「おまえらは、わしの心に勝ったのだ。」追い込まれたメロスが、親友を裏切らずに済んだわけ

幼い頃に読んだ名編を大人になって読み返すと、当時は分からなかったいろいろな発見、感動があるものです。今回、文学博士・鈴木秀子先生にやさしく繙いていただくのは、国語教科書にも多数採用され、多くの日本人が知る太宰治の短編小説『走れメロス』。人間の中に巣食う弱さと共に、その弱さを認め合うことで始まる豊かな生き方を教えてくれます。

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弱さを許し合うことで友情は深まる

〈鈴木〉
物語をご存じの方も多いと思いますが、王城で暴君の逆鱗に触れて死刑を宣告されたメロスは、「妹の結婚式のために、3日間だけ村に帰してほしい」と乞います。疑い深い王は当然、メロスを信じようとはせず、「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか」と笑います。

メロスは「私は約束を守ります」と言って、無二の親友セリヌンティウスを人質として王城に置いていくのです。もし、メロスが3日以内に戻らなければ、彼は処刑される運命にありました。

メロスは十里の道を急ぎに急いで村に到着すると、妹の結婚式を挙げます。祝宴の翌朝、雨の中、王城を目指して走り始めたメロスの前に立ちはだかったのは、濁流と化した川でした。渡るべき橋も流されています。困惑したメロスは神に哀願し、満身の力を込めてこの川を泳ぎ切ります。

次にメロスを待っていたのは恐ろしい山賊でした。山賊たちを撃退して再び駆け出そうとしたメロスですが、疲労困憊し、とうとう立ち上がることができなくなりました。日は西に大きく傾いています。メロスは自暴自棄になり、天を仰いで悔し泣きに泣きます。

正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。

メロスは、傍を流れる湧き水を口にして正気を取り戻し、死力を尽くして王城まで走り抜き、間一髪のところでセリヌンティウスを助け出しました。

セリヌンティウスを前にしたメロスは、「途中で一度、悪い夢を見た」と正直に打ち明けます。セリヌンティウスは、すべてを察し、自分もまた「この三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った」と謝ります。二人は抱擁し声を上げて泣きます。お互いに自分の弱さを許し合うことで、二人の友情がそれまで以上に深まっていく様子が伝わってくるようです。

二人の友情に誰よりも心を打たれたのは、人を疑うことしか知らなかったディオニスでした。

「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」

二人の強い絆が、暴君の心を大きく変えてしまったのです。

人生のテーマがあると無意識が働き始める

強い決心をしたにもかかわらず、いつの間にか弱さにとらわれてしまった、という経験は誰にでもあるはずです。

弱さをいつまでも引きずらないための秘訣は、『致知』が説いているような、自分がいかに生きるべきかというテーマを常に心の奥底に刻んでおくことです。メロスの場合も、正義に生きるという信念が、ギリギリの状態から彼を立ち直らせました。

本心から納得できる人生のテーマを心に刻んでおくと、普段は自覚できない人間の無意識が働くと言われます。

人を疑いそうになった時も

「その人を信じてみよう」
「よいところを見つめるようにしてみよう」
「あの人にも様々な事情があるに違いない」

といった思いが、どこからともなく湧いてきて自分を取り戻すことができるのは、この無意識の働きによるものです。

無意識を味方につけておくことは、いざという時にとても大切なことなのです。


(本記事は『致知』2018年7月号 連載「人生を照らす言葉」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇鈴木秀子(すずき・ひでこ)
東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。聖心女子大学教授を経て、現在国際文学療法学会会長、聖心会会員。日本で初めてエニアグラムを紹介したことで知られる。著書に『幸せになるキーワード』(致知出版社)『9つの性格』(PHP研究所)など。最新刊に本連載の感動的な話をまとめた『自分の花を精いっぱい咲かせる生き方』(致知出版社)。

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