2024年06月14日
パリ五輪の出場権が決定したバレーボール女子日本代表。代表監督の眞鍋政義氏はいかに個々の能力を最大限引き出しているのでしょうか。2008年の代表監督就任から2012年のロンドンオリンピックで銅メダル獲得へと導いた歩みを振り返っていただき、世界の舞台で勝利を掴む人材・組織を育てる要諦を探ります。対談のお相手は、東京2020オリンピックにて柔道全日本女子をメダルラッシュに導いた増地克之氏です。 ◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
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「その目標を達成するのであれば、非常識を常識にするしかない」
〈眞鍋〉
2008年の北京オリンピックでは、男子は11位、女子は5位という結果に終わりました。私は解説者をしていたのですが、もう居ても立ってもいられないといいますか、日本代表のプレーを見ながら自分ならどう戦うか、どんな指示を与えるか、自然と感情移入していました。
その中で北京オリンピック終了後、日本バレーボール協会が次のロンドンに向けて代表監督を公募することを知り、すぐ手を挙げたんです。そしてプレゼンテーションとコンペを経て、女子日本代表の監督に選んでいただきました。
当時、日本女子バレーは1984年のロサンゼルスオリンピック以来、20年以上メダルから遠ざかっていました。ですから、最初に「ロンドンオリンピックでメダルを獲る」という明確な目標を掲げました。ところが、バレーボール男子日本代表監督を務めた松平康隆さんに呼ばれた時に、目標はメダルを獲ることだとお伝えすると、こうおっしゃったんです。
「その目標を達成するのであれば、非常識を常識にするしかない」
〈増地〉
非常識を常識にする。
〈眞鍋〉
この言葉にはものすごく衝撃を受けました。
あとは、「5つの世界一をつくれ」「セッターの竹下佳江、エースの木村沙織のサーブは既に世界一、リベロの佐野優子は世界で3本の指に入るがまだ世界一とは言えない。残りは自分で考えろ」と。それで3か月くらいずっと戦略を考え、いろんな本も読みながら、サーブレシーブ、ディグ(スパイクレシーブ)、失点を少なくするディフェンスの強化など日本オリジナルのバレーを追求していったんです。
常識に囚われず、組織改革を推進
〈眞鍋〉
そのためにブロックコーチ、サーブコーチ、戦術・戦略コーチ、メンタルコーチというように、女子バレー界では初めて専門別の分業制を取り入れました。
それまで女子バレーは、伝統的に強いカリスマ性を持つ指導者が監督を務めてきたのですが、それを思い切って監督、選手、コーチが共に協力して目標に向かっていく風通しのよい組織に転換したんですね。これまでの経験からも、上からの一方通行の組織では世界で勝つことはできないと思ったんです。ミーティングでも、監督に指示されたことをやるのではなく、選手たちが自分自身で考え、行動するような風土をつくっていきました。
まあ、一部の方に「眞鍋は女子バレーを分かってない」などと随分言われましたけれども……。
〈増地〉
常識に囚われずに、組織改革を推進していったのですね。
〈眞鍋〉
あと、メディアのカメラが入ると、どうしても記者の方は私に話を聞きに来るのですが、「それはサーブコーチに聞いてくれ」というように、各担当コーチが取材を受けるようにしました。選手にしても、エースだけじゃなく、この若手にも取材してというように頼んで、皆のモチベーションを高めると共に、チーム内に不公平感が生まれないよう心掛けました。
ですから、私は監督、指導者は目標に向かってチーム全体のモチベーションを高めていくモチベーターだと言っているんです。
〈増地〉
ああ、指導者はモチベーターである。私も全く同感です。
〈眞鍋〉
それから、情報でも世界一を目指していきました。バレーボールでは試合中に監督がコートの横までいって、選手に声をかけてもいいんですよ。それをうまく利用して、試合中に私のタブレットに集まってくる様々なデータを選手たちに逐一見せながら、少しでも試合を有利に展開できるよう情報共有を徹底していきました。
〈増地〉
タブレットを手に指示を出す眞鍋さんの姿は、テレビでも放映されて話題になりましたね。
〈眞鍋〉
また、日の丸を背負って戦う誇りを自覚してほしいとの思いで、選手たちを知覧特攻平和会館に連れていったりもしました。
私はホンダ創業者の本田宗一郎さんの「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」という言葉が好きなんです。その言葉のように、いろんなことにチャレンジして、チーム一丸となって戦っていった結果、2010年の世界選手権では32年ぶりの銅メダル、そして2012年のロンドンオリンピックでも28年ぶりの銅メダルを獲得することができたのだと思います。
(本記事は月刊『致知』2024年3月号 特集「丹田常充実」より一部抜粋・編集したものです)
本記事では他にも「苦しい体験は後の人生の糧になる」「普段の練習+αが本当の成長に繋がる」「指導者としての役割にやりがいを見出す」「数字で平等に選手を評価する」をはじめ、眞鍋氏と増地氏に自身の指導者としての歩みを交え、勝利を掴む指導者の条件を縦横無尽に語り合っていただきました。全文は本誌をご覧ください!
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◇眞鍋政義(まなべ・まさよし)
1963年兵庫県生まれ。中学からバレーボールを始める。大阪商業大学に進学後、1985年に神戸ユニバーシアードで金メダルを獲得、日本代表メンバーに初選出され、ソウルオリンピックに出場する。入社した新日本製鐵では選手兼監督として活躍し、リーグ優勝を経験。イタリア・セリエAのパレルモでプレーした後、旭化成、パナソニックで活躍。2005年現役引退後には女子チームである久光製薬スプリングスの監督に就任し、2年目でチームをリーグ優勝に導く。2009年に女子日本代表の監督に就任し、2010年世界選手権では32年ぶりのメダル、2012年のロンドンオリンピックでは28年ぶりの銅メダルを獲得。2022年より5年ぶりに代表監督に復帰し、現在に至る。
◇増地克之(ますち・かつゆき)
1970年三重県生まれ。警察官だった父の影響で、小学生4年生から地元の道場で柔道を始める。高校3年時に個人戦重量級でインターハイへ出場。高校卒業後は筑波大学に進学、在学中に全日本柔道選手権大会に初出場を果たし、以後、重量級のトップ選手として活躍を続ける。1994年全日本選抜体重別選手権95kg超級優勝(2連覇)。同年アジア競技大会(広島)無差別級優勝。1996年新日本製鐵に入社し、全日本実業柔道団体対抗大会で三度の優勝に貢献。2001年同社を退職後は、桐蔭横浜大学柔道部監督、筑波大学柔道部監督を経て、2016年全日本柔道女子代表監督に就任。東京2020オリンピックでは七階級のうち六階級にメダルをもたらす。