2024年05月02日
江戸時代から続く名門に生まれながら、〝フリーランス狂言師〟として従来の枠に囚われない活動で狂言の新たな可能性をひらいている茂山千三郎さん。3歳の初舞台から50年以上狂言の一道を倦まず弛まず歩んできた千三郎さんに、狂言が秘める力、そこから見えてくる古来日本人が大事にしてきた生き方についてお話しいただきました。
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日本人は体で覚える民族
<千三郎さんの原点、これまでの歩みをお話しいただけますか。>
<茂山>
私1964年、父である四世茂山千作(人間国宝)の三男として京都で生まれました。2歳頃からお稽古が始まり3歳で初舞台を踏んだのですが、最初は祖父(三世茂山千作・人間国宝)がお稽古をつけてくれるんですね。
祖父のお稽古は「アメとムチ」ではなく「アメとアメ」で、どこまでも優しい。一度も叱られたことはないですし、稽古や舞台が終わると本当にお菓子や玩具をくれました。そうすると俺ってできるんだと自信が持て、自然と狂言が好きになってしまったんです。
<子供の頃は、徹底的に褒めて狂言を好きにさせるのですね。>
<茂山>
ただ、小学校高学年になると、祖父に代わって父が教えてくれるようになるのですが、今度は手は飛んでくるわ、ものは飛んでくるわ、非常に厳しい稽古になりました。それでも狂言が好きになっていますから、どんなに厳しくても嫌とは思わないんですね。
<お父様との稽古で印象に残っている教えなどはありますか。>
<茂山>
先程、口伝の話をしましたけれども、狂言は言葉や頭で理解するものではないんです。特に父は自分の背中を見て覚えろというタイプで、例えば、「目線は明後日の方向を見ろ!」「シュッと歩け!」で終わりです(笑)。論理的に何も説明してくれない。あとは父の背中を見ながら、こうじゃないか、ああじゃないか、「倦まず弛まず」稽古を重ね、自分自身で気づいて体で覚えていくんです。
<芸の世界は、頭ではなく体で覚える。>
<茂山>
なぜ体で覚えるのかというと、頭で理解したことは忘れますし、舞台上でいちいち頭で考えて動いていては遅いんですよ。一方、体で覚えたことは一生忘れませんし、舞台でも阿吽の呼吸で対応してぱっと動けます。
江戸時代の寺子屋教育で、「四書五経」を大声で素読させていたのもそうだと思いますが、伝統芸能でも武道でも学問でも仕事でも、日本人は全部体で覚えてきた。それがまさに日本人の強さの源泉だったんです。
ただ、体で覚える教育も、特に戦後、頭で理解させる西洋式の教育に全部塗り替えられていきました。ですから、伝統芸能の伝承を通じて、いま一度体で覚える教育のあり方を見直し復活させていくことが必要なのだと思います。
<とても大事なことですね。>
<茂山>
また、日本人の感性も同様です。能や狂言の作品には、自然の動植物がいっぱい出てきます。動植物を擬人化して、その気持ちを謡うたい表現していくわけです。ですから、かつての日本人は花や虫と会話ができたのでしょうね。
<ああ、動植物と会話が。>
<茂山>
実際「風の便り」とか「虫の知らせ」という日本語があるように、日本人は自然の声を感じ取る感受性がすごく発達していました。それをいまの日本人はどんどん失っていっているんですよ。
近年、環境破壊が問題になっていますが、日本人が持っていた自然への感性を目覚めさせていけば、きっと私たちはその解決に大きな役割を果たせるはずなんです。
そのあらゆるものに命を感じる日本人の感性はどこから来たのか、ずっと辿っていくと、聖徳太子の神仏習合、さらには縄文時代に行き着きました。縄文時代の遺跡には戦争をした形跡がないんですよ。能や狂言はそうした争いを好まず、自然と調和する日本人の生き方を脈々と口伝で伝えてきたわけです。このことも、もっと多くの人に伝えていきたいと思っています。
★本記事は『致知』2024年5月号「倦まず弛まず」掲載記事の一部を抜粋・編集したものです。
◎フリーランス狂言師・茂山千三郎さんのインタビューには、
・フリーランス狂言師として新たな道を切りひらく
・「和儀🄬」の普及で元気な日本を取り戻す
・見えないものにこそ人生の幸福がある
など、狂言に伝わる様々な教えを紐解きながら、これから求められる日本人の生き方、日本の活路を語っていただいています。記事の詳細はこちら
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◇茂山千三郎(しげやま・せんざぶろう)
昭和39年生まれ。祖父・三世茂山千作(人間国宝)、父・四世茂山千作(人間国宝)に師事。3歳「業平餅」の童にて初舞台。50か国に及ぶ海外公演、他分野とのコラボレーション、演出家としても活躍。平成26年「京都府文化賞功労賞」受賞。令和3年茂山千五郎家から独立。フリーランス狂言師として、自主公演「三ノ会」や狂言に伝わる教えをもとにした健康メソッド「和儀®」の普及など、従来の枠に囚われない活動に取り組んでいる。