2024年02月15日
新横浜にある世界初のラーメンのフードアミューズメントパークとして知られる「新横浜ラーメン博物館」。「一風堂」や「すみれ」をはじめ、全国各地の名店を誘致してきた同館は、今年(2024年)開館30周年を迎えました。国内にはフードテーマパークという概念さえなかった時代に、同館はいかにして産声を上げ、今日の繁栄に至ったのか。館長を務める岩岡洋志氏にラーメン博物館の誕生秘話、長年愛され続ける秘訣をお話しいただきました。
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「生まれ育った地元を盛り上げたい」
〈岩岡〉
「生まれ育った地元を盛り上げたい」。この純粋な思いが私の人生の原点です。
神奈川県の新横浜で生まれ育ち、青山学院大学を卒業後、都内の紙の専門商社に就職。社長を目指して仕事に打ち込んでいた折、地元で不動産業を営む父から「戻ってこないか」と声が掛かったのです。
経営に関心が向いた矢先だけに、これも運命と受け入れ入社しました。1985年、26歳の時です。
家業に携わる中で思い知ったのは、閑散とした街の現状でした。元来、田園地帯であった新横浜は1975年に区画整理がされたにも拘らず、開発は難航しオフィスビルが軒を連ねるように……。土日には人が全くいなくなる、冷たい雰囲気が漂っていました。
新横浜を目指して人々が集まってくる場所をつくりたい。その思いは次第に強まり、同世代の仲間と共に街づくりを推進する会を結成しました。
当初は商業施設の建設を検討しましたが、よそにないものをつくらなければ人は集まりません。リスクを度外視で侃侃諤諤の議論を重ねていたその時、ふと昭和の懐かしい風景が頭に浮かんだのです。
ビルが立ち並ぶ新横浜に、活気に満ちた昭和の街並みを再現すれば人を惹きつけるのではないか。その空間で飲食店を展開する場合、流行に左右されないラーメンこそが相応しいと思い至ったのです。
1991年、ラーメンのテーマパーク建設という前例のない事業を立ち上げました。
誠を以て接すれば、心は必ず通じ合う
まずは全国の店舗を食べ歩き、3年間で食したラーメンは1,000杯を超えます。各地方で全く異なる味に魅せられると共に、その奥深さに触れるたび、国民食として発展した文化を後世に伝えるべきであると、使命感が湧き上がってきました。
ラーメンの歴史・文化に影響を与えた店という出店基準が定まったのです。
ところが出店交渉は一筋縄ではいきませんでした。前例がない状況で理解を得られるはずもなく、詐欺師呼ばわりされることも多々ありました。
中でも札幌に店を構え、味噌ラーメンブームの火付け役となった「すみれ」の誘致は難航を極めました。食べた瞬間そのおいしさに衝撃を受け、即刻打診するも店主は聞く耳を持たない様子でした。
ただ、断念の二文字が脳裏を過ることはありませんでした。
地元を多くの人が訪れる街にしたいという切なる願いと若さゆえに溢れる根拠のない自信が原動力となり、何度断られようと足繁く通い、信頼を築くことから始めました。
対話の際には店主の懸念点を探り、相手の立場に立った解決策を模索していったのです。例えば、収支面に関しては見込みを提示したところで安心していただけません。家賃を売り上げに応じた変動性にすることで、店側の負担を抑える工夫を凝らしました。
一つひとつの課題に誠心誠意向き合いながらも、時間は刻一刻と迫ってくる。オープンまで半年を切り、社員からは別店舗の誘致を促されたものの、責任は私が負うと腹を据え、すみれのために店舗を空けておく決断を下しました。
味の虜になったすみれに何としても出店してほしい。その一心から来る嘘偽りのない姿勢が、店主の心を突き動かしたのでしょうか。「情熱に心震わされたよ」と、ついに快諾いただけたのです。3年間で100回近く訪問を繰り返しただけに、感慨は一入でした。
さらに、当初は反対していた父も私の熱意にほだされるように、会社の資産を担保に融資を得る一端を担ってくれました。そうして1994年、「新横浜ラーメン博物館」はオープンを迎えたのです。
一体どれほどのお客様が来てくれるだろうか。一抹の不安はありましたが、すみれや「一風堂」をはじめとした8店舗が集うと共に、昭和の街を忠実に再現した館内が好評を博し、1年目から150万人の来場者数を記録しました。
誠を以て接すれば、心は必ず通じ合うことを実感した経験が、人との繋がり、信頼関係を大切に育む本館の経営基盤になったと言えます。
経営とは自分との闘い
しかし、その後も順風満帆だったわけではありません。コロナ禍には年間来場者数が30万人を下回る危機に直面しました。それでも今日まで続けることができたのはブレない理念があったからです。
延べ1,000店以上を訪ねましたが、出店基準に合致するか否かを吟味した上で誘致してきました。
実際、総出店数は50店に留まり、支出の見直しなどの小さな努力も含め、目先の利益に囚われない堅実な運営を貫いてきたのです。
加えて、ラーメンの歴史を辿る資料館やカップ麺製作コーナーの併設など、お客様が何度訪れても楽しめる空間づくりに注力。揺るぎない信念に基づく経営と飽きさせない工夫の積み重ねがお客様の心をしっかりと掴み、高いリピート率に繋がっています。
おかげさまで本年開館30周年を迎え、総来場者数は2,800万人に上ります。
幾多の困難に直面しながらも、新たなビジネスモデルを生み出すことができたのは、自分の信念を曲げずに、情熱を持って挑戦したからだと思います。
目の前の仕事に己の誠を尽くし切る。その懸命な姿勢が人の心を動かし、まるで熱が伝播するように、自ずと結果はついてくるものです。
経営とは自分との闘いである──。それがこれまでの経営人生で掴んだ私の実感です。
今後も本館の経営を通じて、一人でも多くの人の幸せを実現していく思いです。
(本記事は月刊『致知』2024年2月号連載「致知随想」より一部抜粋・編集したものです)
◇ 岩岡洋志(いわおか・ようじ)
昭和34年、神奈川県生まれ。57年に青山学院大学を卒業後、大倉博進(現:新生紙パルプ商事)に入社。60年に退社し、父親の会社である興新ビルに入社。平成5年新横浜ラーメン博物館を設立後、代表取締役に就任。6年3月6日に「新横浜ラーメン博物館」をオープン。
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