京セラ元社長・伊藤謙介氏が20代当時の稲盛和夫に感じた〝天賦の才〟

どんな偉大な人物にも、若く、世間から注目されない時期があります。先般逝去された稲盛和夫氏の場合は、どうだったのでしょうか。氏が鹿児島大学を卒業して入社した松風工業の後輩として、後には京セラの後継社長としてその姿を間近に見続けた伊藤謙介さん〈写真〉の貴重な証言をお届けします。
 ※対談のお相手は、稲盛氏とKDDIの創業期を共にした小野寺正(KDDI元社長)さんです

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二十代にして窺えたフィロソフィの萌芽

〈小野寺〉
伊藤さんは、学校を出られた時からずっと稲盛さんと一緒に働いてこられたのでしたね。

〈伊藤〉
ええ。学校を出た時は、取り立てて夢も計画もない、とりえのない青年でした。文学に惹かれていたので、その道に進むことも考えておったんですが、たまたま京都にいらっしゃった知人の紹介で松風(しょうふう)工業という会社に入り、そこの研究室で働いていた稲盛の部下になったわけです。

松風工業は碍子(がいし)という磁器製の絶縁体を製造していたんですが、業績は左前で、給料も月5千円しかもらえませんでした。稲盛は新しい材料の開発を命じられていて、それが後に京セラの主力製品となったセラミック材料だったんです。

高品質なセラミック材料を開発するために、何十種類もの素材を僅かに分量を変えては混合を繰り返し、最適な比率を探っていくのですが、非常に根気のいる作業で、稲盛には厳しく指導を受けました。

正確に計測するため、使った器具はその都度きれいに洗浄していましたが、冬は冷たい水で洗うのがとても辛かったですね。しかし、その時稲盛から学んだものづくりの厳しさが、僕の原点になっているんです。

〈小野寺〉
当時の稲盛さんはどんな印象でしたか。

〈伊藤〉
5つ年上の稲盛は、僕にとっては兄のような存在でしたね。

そりゃあ厳しかったですけど、優しさもありました。大して給料をもらっていないのに、仕事の後で僕たち部下をよく飲みに連れて行ってくれました。厳しいだけでは人はついてきませんが、稲盛は若い頃からとてもバランス感覚に優れていて、ものすごくシビアでありながらも、皆に夢を与え、やる気にさせる力に長たけた素晴らしいリーダーでした。

〈小野寺〉
リーダーとしての天賦(てんぷ)の才のようなものがあったのですね。

〈伊藤〉
それから稲盛は、この実験にはこういう意味があるんだと、仕事の意義についてものすごく丁寧に説明してくれました。そればかりでなく、仕事とはこういうものだ。こういう考え方を持って臨むことが大事だという話もよく聞かせてくれました。大学を出て間もない若者とは思えないような立派な仕事観、人生観を既に持っていましたね。

開発した新しいセラミック材料を使った、テレビのブラウン管用絶縁部品は、松下電子工業から大量の注文をいただくようになり、業績不振の会社で唯一の黒字部門になりました。

ところが、大規模なストライキが始まってしまいましてね。稲盛は自分たちが開発したセラミック部品で会社を救いたいと考えていたんですが、ストが長引けば注文に応えられなくなり、せっかく必死で築き上げた信用が水泡に帰してしまいます。

それで稲盛は僕たちに協力を求め、会社に寝泊まりしてセラミック部品をつくり続け、スト破りをして納品しに行ったんです。できた製品を、「ストを破って納めて来い」と言われるものですから、皆命懸けでしたよ。

〈小野寺〉
あぁ、スト破りをして製品を納められた。

〈伊藤〉
組合幹部が抗議に来て、大勢の組合員の前で吊し上げに遭ったこともありますが、稲盛は「この会社にせっかく点った灯(あか)りを消したくない」と一歩も引きませんでした。

当時、まだ二十代だった稲盛がそこまでやったのは驚くべきことです。お客様を大切にするとか、使命感を持って仕事をするといった後の京セラフィロソフィの土台は、もうその頃から固まっていたのではないかと思いますね。


(本記事は月刊『致知』2022年12月号 特集「追悼 稲盛和夫」より一部を抜粋・編集したものです)

◉京セラとKDDI、稲盛氏が遺した二つの大企業の草創期を共にした伊藤氏と小野寺氏。事業を軌道に乗せる経営者の迫力、そして社員の生活を背負う重圧のすさまじさを間近で見てきた方にしか語れない、貴重な証言です。
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◇追悼アーカイブ
稲盛和夫さんが月刊『致知』へ寄せてくださったメッセージ

「致知出版社の前途を祝して」
平成4年(1992)年

 昨今、日本企業の行動が世界に及ぼす影響というものが、従来とちがって格段に大きくなってきました。日本の経営者の責任が、今日では地球大に大きくなっているのです。

 このような環境のなかで正しい判断をしていくには、経営者自身の心を磨き、精神を高めるよう努力する以外に道はありません。人生の成功不成功のみならず、経営の成功不成功を決めるものも人の心です。

 私は、京セラ創業直後から人の心が経営を決めることに気づき、それ以来、心をベースとした経営を実行してきました。経営者の日々の判断が、企業の性格を決定していきますし、経営者の判断が社員の心の動きを方向づけ、社員の心の集合が会社の雰囲気、社風を決めていきます。

 このように過去の経営判断が積み重なって、現在の会社の状態ができあがっていくのです。そして、経営判断の最後のより所になるのは経営者自身の心であることは、経営者なら皆痛切に感じていることです。

 我が国に有力な経営誌は数々ありますが、その中でも、人の心に焦点をあてた編集方針を貫いておられる『致知』は際だっています。日本経済の発展、時代の変化と共に、『致知』の存在はますます重要になるでしょう。創刊満14年を迎えられる貴誌の新生スタートを祝し、今後ますます発展されますよう祈念申し上げます。

――稲盛和夫

〈全文〉稲盛和夫氏と『致知』——貴重なメッセージを振り返る

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◇伊藤謙介(いとう・けんすけ)
昭和12年岡山県生まれ。高校卒業後、松風工業入社。働きながら大学で学ぶが中退。34年京都セラミック(現・京セラ)創業に参画。50年取締役。常務、専務、副社長を経て、平成元年社長に就任。11年会長。17年相談役。著書に『心に吹く風』『リーダーの魂』(共に文源庫)『挫けない力』(PHP研究所)、最新刊に『美を伴侶として生きる歓び』(文源庫)。

◇小野寺正(おのでら・ただし)
昭和23年宮城県生まれ。東北大学工学部電気工学科卒業後、旧日本電信電話公社(現・NTT)に入社。59年、後のDDIの母体となる第二電電企画に転職。平成9年DDI副社長。13年KDDI代表取締役社長に就任。会長などを経て30年に相談役。京セラ取締役、大和証券グループ本社取締役などを歴任。

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