2023年11月30日
アメリカ合衆国ハワイ州知事を務めた、日系アメリカ人のジョージ・アリヨシさん。ジョージさんには、戦後の日本で見た、忘れられない光景があるといいます。それは感動的な、日本の少年のある姿でした。
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パンを受け取った少年が口にした驚きの言葉
私が最初に日本の地を踏んだのは1945年、第二次世界大戦が終わって間もなくのことでした。アメリカ陸軍に入隊したばかりの頃で、焼け残った東京丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしてGHQ(連合国軍総司令部)の通訳としての活動を行ったのです。
私は日系アメリカ人です。両親はともに九州の人で、福岡出身の父は力士を辞めた後に貨物船船員となり、たまたま寄港したハワイが好きになってそのまま定住した、という異色の経歴の持ち主。ここで熊本出身の母と出会って結婚し私が誕生しました。私は高校を出て陸軍情報部日本語学校に学んでいたことが縁で、通訳として日本に派遣されることになりました。
東京で最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年でした。
私は思わず「君は子供なのに、どうしてそういうことをやっているの」と質問しました。
少し言葉を交わすうちに、彼が戦争で両親を亡くし、僅かな生活の糧を得るためにこの仕事をしていることを知りました。
その頃の日本は厳しい食糧難に喘いでいました。それに大凶作が重なり1,000万人の日本人が餓死すると見られていました。少年はピンと姿勢を伸ばし、はきはきした口調で質問に答えてくれましたが、空腹であるとすぐに分かりました。
兵舎に戻った私は昼食のパンにジャムとバターを塗ってナプキンで包み、他の隊員に分からないようポケットに入れて少年のもとに走り、そっと手渡しました。少年は
「ありがとうございます。ありがとうございます」
と何度も頭を下げた後、それを手元にあった箱に入れました。
口に入れようとしないことを不思議に思って「おなかが空いていないのか」と尋ねると、彼はこう答えたのです。
「僕もおなかが空いています。だけど家にいる3歳のマリコもおなかを空かせているんです。だから持って帰って一緒に食べるんです」
私は一片のパンをきょうだいで仲良く分かち合おうとする、この少年に心を揺さぶられました。
この少年を通して「国のために」という日本精神の原点を教えられる思いがしたのです。
「いまは廃墟のような状態でも、日本人が皆このような気概と心情で生きていけば、この国は必ず逞しく立ち直るに違いない」
そう確信しました。果たしてその後の日本は過去に類のないほど奇跡的な復興を遂げ、世界屈指の経済大国に成長しました。
通訳として日本に滞在したのは僅か2か月です。しかし、私は今日に至るまでこの少年のことを忘れたことがありません。
日本に来るたびにメディアを通して消息を捜したものの、ついに見つけることはできませんでしたが、もし会えることがあったら、心からの労いと感謝の言葉を伝えるつもりでいます。
(本記事は月刊『致知』2014年2月号 連載「私の座右銘」より一部を抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。 ≪「あなたの人間力を高める人間力メルマガ」の登録はこちら≫
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1926年ハワイ・ホノルル市で生まれる。ミシガン大学法科大学院で法学士号を取得した後、弁護士となるものの、54年ハワイ州下院議員に当選。州上院議員、連邦上院議員を経て70年副知事に就任。74年から3期12年にわたって州知事を務める。