2022年10月19日
水産のことなど知りもしなかった二十代の女性が、地元山口・萩の船団三社の漁師たちをまとめ上げ、全国に販路を広げていく――。にわかには信じがたいですが、これは「萩大島船団丸」代表・坪内知佳さんが実際に体験したことです。「荒くれ者」の漁師の方たちの心をどう捉え、驚くべき成果をあげたのか? 船団結成の約2年後、坪内さん27歳の時に直撃したインタビューを紹介します。
翻訳の仕事から漁師の団長へ
――二十代の坪内さんが三船団の漁師を取りまとめる代表に就任されたいきさつは?
〈坪内〉
もともと私は結婚して山口に来たのですが、数年で離婚。子供もいたので食べていかなきゃいけないので、まず萩市内で翻訳の仕事をやっていました。
翻訳って観光なら観光、医療なら医療と、そのジャンルによって使う単語が全然違います。専門書を読むなど、ある程度業界を知らなければできない仕事だし、私自身が中途半端なことが嫌いな性格なので、始める前から突っ込んだところまで聞かせていただくスタイルだったのです。
そこからいろいろな企業の相談に乗っているうちにコンサルの仕事もするようになって、その流れで後に萩大島船団丸に参画する船団長の一人からも相談を受けていたんです。
〔中略〕
最初は船団長の一人が代表になる予定だったのですが、行政だけでなく、料理店などからの注文のお電話でも、イラッとしている時がある。やっぱり一隻の船長というのは一国一城の主という意識が強いから、上から物を言われると、「何、コラ、俺のこと、誰だと思ってるん?」って。
行政から「申請書の〝てにをは〟が変です」と指摘されたり、文書は全部パソコンで打たなければならないけど、電源は一体どこなんだ、という状態で、「俺たちには無理じゃ!」となったんです。
「分かりました。現場で魚を獲る仕事はお願いします。出荷や営業、事務方など、漁以外の仕事は全部私に任せてください」ということで代表に就任したのです。
守るべきもの変えるべきもの
――行政の方々が掴めなかった漁師さんたちの心をどのようにキャッチされたのでしょう。
〈坪内〉
さあ、分かりません(笑)。私も言われましたけどね、「おまえに何が分かる!」って。
「私は水産のことは何も分かりません。けれども、このままではこの島の生活が都会の波に飲まれて、島から人がいなくなることは分かります」。
あの時は、漁師たちに殴られて海に突き落とされてもいいと思って向かっていきました。後から船団長は、「腹は立ったけれど、こいつの言うことは間違いではないことは分かった」と言っていましたね。
私はね、日本が守るべきものがここにあると思っているんです。
――「日本が守るべきもの」というと?
〈坪内〉
自然があって、資源も豊富で、家族や地域の人との繋がりも深い。こういう生活をしながら経済的にも潤って活性化している。そんな地域を増やしていけば、もっと日本は豊かな国になるんじゃないかって。
でも、現実は疲弊してみんな泣いている。島には漁業以外に産業はないから、漁業が落ち込むと、島全体の生活が落ち込んで借金が返せなくなるわけです。
この現状を何とかしたい。そう思って私は、離婚後もここに残ったようなものなんです。だから、もちろん悪しき習慣は改善していくけれども、根本としてこの島を変えようとか、壊そうとしない。それは徹底しました。
――守るべきものは守り、変えるべきものを変えていくと。
〈坪内〉
例えば、私はいまスーツを着ていますが、これで船に乗って作業するのって、漁師たちが東京に来てジャージのまま営業に回るのと同じだと思うんですよ。
だから基本的には船に乗って作業する時は、私もジャージ。最初のうちは島に来る時はいつもジャージでした。彼らに合わせるところは私も合わせるし、変えるべきところは変えてきました。
――改善されたのはどんなことでしたか。
〈坪内〉
漁に出て、きょうは少なかったから景気づけに飲もう。きょうは獲れたからお祝いに飲もう。時化が一週間続いた、暇だから飲もう……。もう、毎日飲んでいるでしょうと。
「これが島のよき習慣じゃ、みんなとの和を大切にしているんだ」っていうのが漁師たちの言い分だったんですね。「分かった。飲めばいいよ、楽しめばいいよ。だけどそのビール代をしっかり稼ぎましょう」と、そのメリハリですよね。
――なるほど。
〈坪内〉
私は利益に直結していなくても従業員が何かしら動いていることが、会社をつぶさない秘訣じゃないかと思っているんです。
例えば時化(しけ)で漁に出られない時は、展示会や商談会、取り引きのある飲食店様に連れて行ったり、行政が来た時に同席してもらったり。あるいはこうして取材に来ていただいたり、シェフが視察に来た時に、獲れた魚の一部をお出ししておもてなししながらコミュニケーションを深めると。
本当は早朝に漁に出ているので、昼は寝ている時間なんですよ。最初は
「こんな銭にもならんこと、やってどうするんか」
「めんどくさい、しんどい」
という反発が多かったのですが、「雑誌1ページに出るために一体いくら広告宣伝費が掛かると思う? 何軒店を回らなきゃいけないと思う? これも立派な仕事だよ」と説明して、そういう意識の面ではだいぶ変わってきたと思います。
(本記事は月刊『致知』2014年7月号 特集「長の一念」より一部を抜粋・編集したものです)
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昭和61年福井県生まれ。大学中退後、結婚を機に山口県へ。離婚後、萩市内で翻訳業、コンサルタント業に従事。平成24年、停滞する萩・大島の水産、漁業を活性化するためにつくられた「萩大島船団丸」の代表に就任。1年で黒字化を実現する。
※情報は掲載当時ママ