【取材手記】〝最後の砦〟として患者さんを救い続けるスーパー脳外科医の仕事観 佐野公俊×上山博康

一流が持つ情熱と覚悟

もう助からない、手術しても無駄だ――。

多くの医師から見放された患者さんを積極的に受け入れ、〝最後の砦〟として多くの命を救い続けてきたスーパードクターがいます。脳外科医の佐野公俊さん(総合新川橋病院 副院長/写真右)と上山博康さん(禎心会脳疾患研究所 所長/写真左)のお二人です。

2022年10月1日発刊の『致知』11月号 特集「運鈍根」では、そんな二人のスーパードクターに、これまでの人生の歩み、いかに医師としての技術と信念を磨いてこられたか、原点となった出来事、師の教え、そして医の道にかける燃えるような思いを縦横に語り合っていただきました。

本対談は、まず上山さんに取材のご相談をしたところ、「かねて親交のある佐野さんと語り合いたい」とのお返事をいただき、佐野さんからも「上山さんとであればぜひ」とのことで実現。まだ夏の日差しが照りつける8月22日、KKRホテル東京の会場で行われました。

対談前の昼食まで含めると、実に3時間超の白熱した取材となり、最初から最後までお二人の滾るような情熱に圧倒されっぱなしでした。また、手術が成功するかどうか分からない難しい症例、患者さんが生きるか死ぬかという極限状態に向き合ってきただけに、一つひとつの体験談、言葉にも大変な覚悟と重みを感じました。

やはり一流の方々には、何よりも自分の仕事に対する圧倒的な〝情熱〟と〝覚悟〟があります。これがすべての人生、仕事の根本なのだというのが、お二人に接した最初の印象でした。

若い頃の努力が人生の土台をつくる

それから、お二人の歩みを伺っていく中で共通していたのは、若い頃に並外れた努力を重ねていることです。

佐野さんはまだ日本に顕微鏡もバイポーラ(止血器)もCTもない、「脳の手術をしたら死んでしまう」といわれていた時代に医学部に入り、それならば「自分が日本で最初にマイクロサージャリー(顕微鏡手術)をやろう」と決意して脳外科医の道に進みます。そして当時、車一台分の値段がしたハンディマイクロスコープを月賦で購入し、顕微鏡下で手を動かす訓練に黙々と打ち込んでいくのです。自分で高価な顕微鏡を購入する、このあたりの意識の違いにも驚きます。

また手術が上手な医師がいると聞けば、そのもとに通って、実際に手術を見せてもらうなど、自ら発心して研鑽を重ねていきました。その後、新設の藤田保健衛生大学に赴任した佐野さんは、外科医が自分を含めて4人しかいなかったために、膨大な数の手術を一手に引き受け、実力を飛躍的に高めていくことになります。

一方の上山さんも、中高時代から誰よりも勉強を重ね、北海道大学の医学部に入ってからも、一刻も早く技術を習得しようと、医局に泊まり込み、夜通し顕微鏡を使ってネズミのバイパス手術の練習に没頭しています。
この日頃の努力の積み重ねによって、上山さんは日本で初めてアメリカの神経外科専門医の資格を取得し、北大の教授を務めていた都留美都雄(つる・みつお)氏に目を掛けられるようになるのです。

とにかく若い時から誰にも負けない努力を重ねる。これが人生・仕事をひらく第2のポイントであると思います。実際、上山さんは、人生・仕事を葡萄酒づくりに譬え、こうおっしゃっています。

「僕は人生、仕事を大きく3分割するべきだと考えているんです。葡萄酒づくりと同じで、20代30代は夢中になって葡萄を栽培する時期。40代50代は葡萄を熟成させていく時期、60代以降はできあがった葡萄酒を売って暮らす時期。

結局、何が言いたいかというと、最初によい葡萄が採れなければ、どんなに小手先で熟成を頑張っても、美味しい葡萄酒にはならないということです。

だから20代30代に泥臭く、うんと汗水垂らして頑張った人間にしか、60代以降のよき人生もないんじゃないかと思います」

自分の仕事を聖職だと捉える

最後に、お二人が一流の脳外科医になったのは、自分の仕事に強烈な使命感をもって取り組んできた、楽な方向ではなく常に厳しい方向を選択していったからでしょう。

お二人とも、一点でも助かる可能性があれば、たとえ失敗する危険があったとしても、「助かりたい」という患者さんの思いを受け止めて、決して逃げずに手術を行うとおっしゃっています。なぜなら、医者という仕事は、単なる業務ではなく、患者さんの代わりに病気と戦う〝聖職〟であるからだと。

その自分の仕事を聖職と捉える、患者さんの救う尊いやりがいのある仕事なんだと使命感を持って働く。これがお二人の原動力であり、並外れた実績を支えているのだと思います。

また、佐野さんは、「人間には運命を決める分かれ道が何度かあって、その時に楽な方向にいってしまえば、運も開けていかない」とおっしゃっています。

自分の仕事に対して、圧倒的な情熱と使命感を持ち、日頃から誰にも負けない努力をし、困難がやってきたら果敢にその方向に進み、困難を突破すべくさらなる努力を重ねる――。まさに人生・仕事の極意がここにあるように思います。

そうした「運鈍根」の人生を歩んできたお二人の対談には、

●患者さんと共に最後まで戦うのが名医
●事前の準備を徹底する
●人生を変えた運命の出会い
●すべての責任を受け止めるのがトップ
●努力する者にのみ神の啓示がある
●上司に可愛がられる気骨あるに人間になれ

など、いま直面する逆境や困難を乗り越えていく心構え、いま取り組んでいる仕事を飛躍させていく極意がぎっしり詰まっています。本対談の全貌はぜひ『致知』2022年11月号をご覧ください。


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◇佐野公俊(さの・ひろとし)
昭和20年東京都生まれ。45年慶應義塾大学医学部脳神経外科入局。51年藤田保健衛生大学赴任。同救命救急センター長、藤田保健衛生大学医学部脳神経外科主任教授などを歴任し、平成22年同大学名誉教授、同大学医学部脳神経外科客員教授。総合新川橋病院副院長、脳神経外科顧問。日本脳神経外科学会理事・監事、世界脳神経外科連盟脳血管障害部門委員長など要職多数。12年、13年開発したクリッピング手術数でギネスブックにも登録。現在、主に川崎と名古屋で手術と外来を行っている。

◇上山博康(かみやま・ひろやす)
昭和23年青森県生まれ。48年北海道大学医学部卒業、同部脳神経外科教室に入局。55年秋田県立脳血管研究センターへ転勤。60年北海道大学医学部へ戻り、同部助手、講師などを経て、平成4年旭川赤十字病院脳神経外科部長に赴任。10年より同院急性期脳卒中センター長を兼任。24年より社会医療法人禎心会脳疾患研究所所長。

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