2024年04月11日
服飾デザインのパイオニアとして、日本のファッション界を牽引した森英恵さんがお亡くなりになりました。
「ファッション」「デザイナー」といった言葉もなかった終戦直後、期せずして服飾デザイナーの道を歩み始め、海外を拠点に活躍。引退後も次世代の育成ために奔走されました。仕事にかける森さんの真剣な姿勢が、作品を観る者を惹きつけ道を開くカギとなったのではないでしょうか。
弊誌『致知』にて17年前に行われた文学博士・鈴木秀子先生との対談をお届けします。森さんが世界で活躍するきっかけとなった出来事、大切にされてきた心構えとはどのようなものだったのでしょうか。
限られた時間で最低80点以上を
<森>
駆け出しの10年くらいは新宿に出していたお店の運営と並行して映画のコスチュームの仕事をやらせていただいていました。本当に立派な監督さんや大女優がいっぱいいらして、いい勉強になりました。
<鈴木>
普通の生活で着るものと映画の中のきらびやかな衣装。幅広いものに触れるチャンスに恵まれましたね。
<森>
当時の映画監督は男性ばかりでしたから、女性の衣装も男性の目から見た女性像に合うデザインです。映画の中では俳優さん、女優さんたちの人間的なチャームポイントが重要ですから、それを引き立たせるデザインでなければならないんですね。
<鈴木>
私たちの周りにいるどの人にもチャームポイントがありますが、時として見過ごしてしまうこともありますね。でも森先生のように、そこを引き出すことに焦点を合わせて仕事をしていらっしゃったら、たくさんの学びがあったでしょうね。
<森>
また、それを限られた時間の中で、しかも限られた予算で少なくとも80点以上の出来栄えのものをつくっていかなければなりませんでした。いつも並行して4、5本のシナリオを持って走り回っていました。自分の能力と体力の限界とギリギリまで勝負しながら生きている。そんな日々でした。
人生を変えた一つの縁
<森>
私はパリに行く前にニューヨークで仕事をしていましたが、その頃日本のものは「安くて粗悪」と言われ、デパートの地下室で売られていました。
そんな中で私が初めて自作のコレクションをニューヨークで発表した時、たまたま一人のアメリカ人男性が見に来ていました。
終了後、「日本人で服のデザインをするのは珍しい。日本のものは平面的で、アメリカ人の立体的な体には合わないので興味がなかったが、あなたのアイデアは面白いから妻のためにオーダーしよう」とスーツ、カクテル、イブニングを決めていきました。
結果的に大変喜んでいただきました。実はその男性が世界一贅沢なスペシャリティーストアと言われた『ニーマン・マーカス』の経営者だったのです。このストアには世界的に一流のものしか置いていないのですが、それをきっかけに季節ごとに私のブランドが並ぶようになりました。
<鈴木>
それは素晴らしい出会いでしたね。
<森>
はい。彼との出会いがアメリカの高級品の世界に足を踏み入れるきっかけとなりました。
それがご縁でレーガン大統領夫人やモナコ王妃のグレース・ケリーさんなどにもオーダーをしていただき、結果的にはそれがヨーロッパへの足掛かりとなったんです。
なぜ森英恵のデザインは求められてきたのか
<鈴木>
いい縁はまたいい縁を呼んでいきますが、最初にいい縁を呼び込み、それを育てていくにはどんなことを心掛けたらいいのでしょうか?
<森>
コレクションの時、私は会場にそんな重要な人物が来ているなんて知りませんでしたし、初めて彼と会った時もそんなすごいストアの主人だなんて知りませんでした。
私はただ目の前のコレクションに全力で取り組んできただけ。オーダーに対して心を込めて洋服を作っただけ。これが大きなステップアップにつながるなんて考えてませんでした。
一生懸命やってきたら結果的にそうなっただけなんです。ただ一つ言えることは、私はいつも日本人としてのアイデンティティーを大切にしてきました。日本のものが「安かろう悪かろう」と言われていた時代だから、あくまでも日本人ができる最高のものをつくろうと思った。
西洋の文化である洋服を日本人がつくっているということ、またこういう国境のない仕事をしていると、いつもどこへ行っても「あなたはどこから来たの?」とルーツを聞かれる。日本を離れて仕事をしているからこそ、自分は日本人であるというアイデンティティーを確認しながら生きてきたように思います。
(本記事は月刊『致知』2005年12月号 特集「縁を生かす」より一部を抜粋・編集したものです)
◇森英恵(もり・はなえ)
昭和22年東京女子大学卒業、同時に結婚するも専業主婦に満足せず、洋裁学校に通い、26年新宿にスタジオ設立。40年ニューヨークで初の海外コレクション発表。52年パリ・オートクチュール組合加盟。平成16年パリでの活動から引退。17年森英恵ファッション文化財団設立、同理事長就任。著書に『ファッション—蝶は国境をこえる』などがある。島根県生まれ。
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