2022年02月12日
ユダヤ人難民2万人の救出をはじめ、奇跡と呼ばれたキスカ島撤退作戦、国家の分断を防いだ占守島の戦いなど、日本近代史における数々の不滅の功績を残した樋口季一郎中将。しかし、その名は現代の日本人にはほとんど知られていません。樋口中将の孫として祖父の実像を広く発信している明治大学大学院名誉教授の樋口隆一さんと、日本の偉人・歴史の真実を子供たちに語り伝えてきた服部剛さんのお二人に、樋口中将が貫いた「正義」について、貴重なエピソードを交えて語り合っていただきました。
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東条英機を納得させた「義」の決断
〈服部〉
「オトポール事件」は、昭和13年3月、樋口中将が満洲国に駐留する関東軍のハルビン特務機関長を務めていた時に起こりました。
満洲国と国境を接するソ連のオトポール駅で、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民が、満洲国に入国できず立ち往生しているという深刻な情報が入ってきたんです。一説にはその数1万とも2万ともいわれます。
この地域の気温は3月でもマイナス30度、飢えと寒さで凍死者が出始めていました。事態は一刻の猶予も許されない。ハルビンのユダヤ人協会の長であるカウフマンも、「助けてほしい」と樋口中将に難民救援を依頼してきます。
樋口中将は思案の末、「ユダヤ人難民を助けましょう。私が引き受けます」と言って、救出を決断します。これを聞いたカウフマンは声を上げて泣いたそうです。そして、樋口中将は、即座に南満洲鉄道の松岡洋右総裁に特別列車の運行を要請。優れた国際感覚の持ち主だった松岡も事態の重大さをすぐに理解して快諾し、13本の特別列車ですべてのユダヤ人をハルビンまで送り届けたんです。
〈樋口〉
迅速な決断と行動です。
〈服部〉
ただ、当時、日本とドイツは日独防共協定を結び、友好関係にありましたから、普通はドイツとの関係を考えて躊躇すると思うんですよ。だけど樋口中将は、「人間として正しいことは何だろうか」と考えるわけです。
樋口中将はヒューマニズムの人だと言われますが、私はその根本には、武士道精神があったのだと思います。「義を見てなさざるは勇なきなり」、ここでユダヤ難民を助けなかったら、正義はどうなってしまうんだと。
〈樋口〉
武士道精神、それはあったでしょうね。ただ、あんまり大げさに言うと祖父も照れてしまうと思います。
というのも、祖父の立場を多くの人がきちんと理解していないんです。特務機関長と聞くと、地方の管理職のように思われるかもしれませんが、これは事実上、ハルビン行政の最高権力者なんです。しかも、満洲国の内政指導をする立場にもありました。
要するに、日本と友好関係にあったドイツ政府の意向を忖度する満洲国の役人たちが、その多くは日本人でしたが、「ユダヤ人難民をどうしましょうか?」とお伺いに来た。
それに対して決定権を持った祖父がひと言、「ドイツや日本に忖度する必要はない」と言って路線を決めた、そういうことなんです。現場の人は皆ユダヤ人難民を救いたいと思っていました。
それに祖父は若い頃、特務機関員としてウラジオストクに派遣された時、ユダヤ人の家に下宿しているんですね。そこでユダヤ人といろいろ交流して、当時のユダヤ人差別の背景なども全部知っていました。祖父の決断の背景にはそうした体験とユダヤ人に対する心情もあったのだと思います。
〈服部〉
ただ、やはり、そこでトップが救出を決断したということは大きかったと思うんです。
それに「オトポール事件」の2週間後、ドイツ政府からユダヤ人救出に対する抗議が来た時の樋口中将の対応も本当にすごい。ドイツ政府の抗議を受けて、関東軍司令部は樋口中将を呼び出し、当時の東条英機参謀長(大東亜戦争開戦時の首相)が「あなたの言い分を聞かせてくれないか」と迫りました。
しかし樋口中将は、
「はじめにはっきり申し上げておきます。私のとった行動は間違っていないと信じています。ドイツは同盟国ですが、そのやり方がユダヤ人を死に追いやるものであるなら、それは人道上の敵です。人道に反するドイツの処置に屈するわけにはいきません。私は日本とドイツの友好を希望します。しかし、日本はドイツの属国ではありません!」
「東条参謀長! ヒトラーのお先棒をかついで弱い者いじめをすることを、正しいとお思いになりますか」
と堂々と答えたのです。
それで東条参謀長も、「よくわかった。ちゃんと筋が通っている。私からもこの問題は不問に付すように伝えておこう」と、樋口中将の言い分を認め、実際に日本政府は「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」とドイツ政府の抗議を一蹴。
その後も、続々と押し寄せてくるユダヤ人難民に対して、満鉄は乗車賃を無料にし、後々までこの方針を踏襲しました。
(本記事は月刊『致知』2020年5月号 特集「先達に学ぶ」より一部を抜粋したものです)
◉この他にも、樋口さんと服部さんには「忘れてはならないアッツ島玉砕の悲劇」「奇跡と呼ばれたキスカ島撤退作戦」「分断国家を防いだ占守島の戦い」「先達に学び国難に対処せよ」など、樋口季一郎中将の生涯を紐解きながら、現代日本に生きる私たちが学ぶべき数々の教えについて語っていただいています。本記事(バックナンバー)は「致知電子版〈アーカイブ〉」にて全文を閲覧いただけます!
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◇樋口隆一(ひぐち・りゅういち)
昭和21年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒、同大学院修士課程修了。ドイツ学術交流会(DAAD)奨学生としてドイツ留学。帰国後は明治学院大学に奉職し、西洋音楽史を講じる傍ら、指揮者、音楽評論家として幅広く活動。京都音楽賞、辻荘一賞など受賞多数。平成14年オーストリア学術芸術功労十字章を授与。明治学院大学教授・文学部長を歴任し、27年より明治学院大学名誉教授。祖父は樋口季一郎中将。著書に『バッハの人生とカンタータ』(春秋社)『陸軍中将樋口季一郎の遺訓』(勉誠出版)など多数。
◇服部剛(はっとり・たけし)
昭和37年神奈川県生まれ。学習塾講師を経て、平成元年より横浜市公立中学校社会科教諭。元自由主義史観研究会理事。現・授業づくりJAPAN横浜(中学)代表。著書に『先生、日本のこと教えて―教科書が教えない社会科授業』(扶桑社)『先生、日本ってすごいね』(高木書房)『感動の日本史』(致知出版社)などがある。