2024年04月29日
大学生の時、絶えず激しい下血に襲われる難病「潰瘍性大腸炎」を突然発症し、13年に及ぶ壮絶な闘病を経験した頭木弘樹さん。夢も希望も抱けない人生の絶望期を支え、再び起き上がる力を与えてくれたのが古今東西の名作・古典の読書だったと語ります。現在は、ご自身の闘病体験をもとに文学紹介者として活躍する頭木さんに、お話を伺いました。
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人生が一変した難病宣告
──現在の活動に至る歩み、闘病体験についてお話しください。
〈頭木〉
私はもともと学校の健康診断でも健康優良児って言われるほどの健康体だったんです。家族も皆元気で長生きだし、子供の頃から病院に行くなんてほとんどなかった。正直、病気は自分とは関係ないものだと思っていました。
ところが、大学三年生の時、インフルエンザに罹ったのをきっかけに下痢が止まらなくなったんですね。下痢が続いても、まあ、食生活に気をつけていないからだろうというくらいに軽く考えていたんですが、しばらくすると血便が出始めて、これはおかしいと。
それで本屋に行って医療関係の本を読んでみたら、もう怖い病気ばかり出てくるんですよ(笑)。調べるほど逆に病院に行くのが怖くなって、受診しても血便が出ているとは先生に言わず、下痢止めをもらうだけという感じでした。
──その間に悪化してしまった。
〈頭木〉
ええ。いま考えれば本当に馬鹿なことをしたなと後悔しているんですけど、そうするうちにすっかり重症化し、高熱が出て意識が混濁するようになりました。
そこに至って、「これは死ぬんじゃないか」と心配した大学の友達に無理やり病院に連れて行かれましてね。
下痢だけでこんな状態になるはずがないとのことで、問答無用で直腸鏡検査をされたのですが、その瞬間、病院の先生が「わあ、大出血じゃないか!」と、即入院になったんです。既にかなりの貧血になっていて、入院時の採血で気を失ってしまいました。
そして検査から数日後、医師から告げられたのが難病の潰瘍性大腸炎でした。さらに、「これは一生治らない病気です」「大学院に進むのも、就職するのも無理です」「これから一生、親御さんから面倒を見てもらうしかありません」と言われたんです。いまは医療が進歩していますから、そこまで言われることはないと思いますが……。
──その突然の難病宣告をどのように受け止められたのですか。
〈頭木〉
当時はバブル景気の影響もあり就職がとても楽で、大学院に進むにせよ、就職するにせよ、どちらでも自分の意志通りになる時代でした。それが難病宣告によって急に選択肢がゼロになったんですよ。
しかも私は遅く生まれた子供で、両親は歳でしたし、財産があるわけでもなく、一生面倒を見てもらうなんて絶対無理でした。要は、両親がいなくなれば自分の人生は終わり。完全に未来がなくなって、目の前が真っ暗というのはこういうことかと思いました。
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(本記事は月刊『致知』2021年12月号 特集「死中活あり」より一部を抜粋したものです)
◉頭木さんのお話は続きます。13年に及ぶ闘病生活、想像を絶する苦しみと孤独の只中にいた頭木さんを救ったのは、一冊の本でした。実体験に裏付けられたメッセージに、大変な勇気と希望を与えられます。
■正常と異常は簡単に入れ替わる
■辛い闘病生活で絶望のどん底に
■絶望に寄り添ってくれたカフカの『変身』
■〝悩みの交響楽〟で共に絶望する同志を得る
■自分の心の中にたくさんの物語を持つ
◇頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)
昭和39年山口県生まれ。筑波大学在学中、20歳の時に難病「潰瘍性大腸炎」と診断され、13年に及ぶ闘病生活を送る。その時の読書に救われた体験をもとに、「文学紹介者」として活動を始め、これまでに『絶望読書──苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決』(草思社文庫)などの著書・編訳書を出版。NHK「ラジオ深夜便」の「絶望名言」のコーナーに出演中。