「ご苦労なこっちゃー」 人生を変えた名僧のひと言(境野勝悟×安田登)

分野は違えど、共に古典や先人の教えに出合い、人生・仕事の基礎を築いてきた東洋思想家の境野勝悟さんと下掛宝生流ワキ方能楽師の安田登さん。禅と能--それぞれの道を究めてきたお二人にこれまで歩みを振り返っていただきながら、人生を変えた先人の教えや言葉を縦横に語り合っていただきました。「教え」をどう体得し、人生・仕事に生かしていくか――ヒントが満載の対談です。

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「絶後に蘇る」の境地

〈境野〉
……僕には安田先生のような体験はありませんが、40歳で教員を辞める時は悩み苦しみましたね。教育者としての実力はついているし、保護者や学校からの信頼も厚い。仕事も楽しい。どうすべきかという煩悶が五年間続きました。

そういう時に禅の『碧巌録』(へきがんろく)を開いたら「大死一番(だいしいちばん)、絶後(ぜつご)に再び蘇る」という言葉に出合ったんです。

普通私たちが死ぬのは小さな死、大死とは「生きたまま死ぬ」という意味です。つまり、仕事を辞めると、人に信頼されなくなるとか、社会的な立場を失うとか、経済的に困るとか、そんな一切を忘れてしまえという教えなんです。そうして完全に捨て切れば、「絶後に蘇る」の境地に至ることができる。

〈安田〉
先生にとっては、大変な決断でしたね。

〈境野〉
極端な話ですけど、悩んだ時には「自分は死んじゃったと思えばいい」といつも弟子たちに話しています。

自分が死んで焼き場で焼かれてだんだん骨になっていくとイメージするんですよ。友達とうまくいかない時でも、そう考えると穏やかになる。友達を面白く思わないのは、自分の我が儘なんだね。自分の思い通りにしたいだけなのだから、自分が骨になってしまえば何ということない。「やっぱり、いい友だった。俺の選んだ友だ」と思えるんです。

〈安田〉
私にも似たような経験があります。私は伝統的な能以外にもいろいろなことを始めておりまして、その一つがシュメール語という古代の言語で謡を上演することでした。シュメール語は南メソポタミア最古の文明民族であるシュメール人によって紀元前に用いられた言葉なのですが、音韻がとても素晴らしい。

それで実際にやろうとしたら「能楽師がそんなことをやっていいのか」と、さる筋から苦情がきましてね。能をやめるか、それともシュメール語の謡を上演するかという決断を求められることになったのです。

一瞬、カチンときましたが、ここですぐに返事をしてはいけないと。『論語』にも「忿(いか)りには難を思う」と書いてあります。「思う」というのは一度立ち止まってじっと考えること。そこで「一週間待ってください」と答えて、一週間後「能をやめます」と返事をしたんです。そうしたら「いや、そこまでのことは言ったつもりはない」という話になりました。

〈境野〉
先生はたじろがなかったんですね。大したもんだ。

〈安田〉
それこそ、大死一番です。ここで屈したら、男としてこれから生きていけないと思いました。

人生を決めた名僧の言葉

〈安田〉
境野先生はキリスト教の学校を辞められて禅の道に行かれましたが、やはり禅に魅せられるものをお持ちだったのですか。

〈境野〉
もともと禅に関心が深かったのですが、栄光学園に就職してからクリスチャンになるべきかどうか、いろいろと考えました。

先輩教師に当真(とうま)というキリスト教信者がいて、僕が教員になったばかりの頃、黙想会という5日間ほど黙想をする会に誘ってくださいました。食事はパンとコーヒー、夜は白いベッドで寝かせてくれる。キリスト教はいいなと思いました(笑)。

ところが当真先生は僕に「おまえはキリスト教ではない、禅だ」とおっしゃるんです。そして、静岡県の三島にある龍沢寺という禅寺で臘八接心(ろうはつせっしん)【12月1日より8日未明まで坐禅堂にてひたすら坐禅のみをする修行】があるから参加するように言われました。

僕はそれまで禅の本は読んでいても、坐禅は組んだことがなかった。それが一番寒い時期に朝から晩まで何日も坐りっぱなしでしょ。長身の僕は小さい蒲団からはみだした足が冷えて眠れない。疲労困憊するし、ほとほと参ってしまって、もう禅はやめようと本気で思いましたね。

特に最後の日は徹夜です。夜中の12時頃だったか、雪が降ってきまして、戸を開けっ放しの坐禅堂にハラハラと舞ってきました。「わあっ寒い!」と思った瞬間、突然「鉢(食器)を持て」という声が響きましてね。何かと思ったら桶を持った僧侶がお汁粉を注いで回るんです。その後に小柄な高齢の禅僧が続いて、一つひとつの器に餅を入れていた。「あの方はどなただろう?」と思いました。

その小柄な禅僧が僕の前に立った時、僕の顔を見て、いまにも泣きそうな声で、こう言って合掌したんです。「ご苦労なこっちゃー」と。その方は何と名僧として知られた山本玄峰(げんぽう)老師でした。玄峰老師は当時88歳! 僕のように禅も全く知らない若者に、仏様を拝むように合掌してくださる。その姿に接した時、なぜか「俺は禅に決めた」と思いました。

〈安田〉
ああ、山本老師のお姿に接せられて。

〈境野〉
後で知ったのですが、この接心には関東各地から偉いお坊さんが集まっていました。参加の資格は厳しいのです。

でも、玄峰老師は何も分からない僕とキリスト教の当真先生をわざわざ入れてくださっていた。素人が臘八接心に入れるなど普通はあり得ません。玄峰老師の心には「この人は素人だ」とか「キリスト教徒だ」とかいう分け隔てが何もなかったんです。優しくて大らかで温かいお心ですね。あの時、ああ、これが「花無心にして蝶を招く」なんだと思いました。

いまでも僕は、何か辛いことがあると「俺は山本玄峰老師に拝んでもらった男だ」と自分に言い聞かせます。そうすれば心が折れそうになっても「頑張ろう」と力が湧いてくる。恭しく合掌なさって「ご苦労なこっちゃー」という老師の泣くようなお言葉は、神々しいあのお姿と一緒にいまも僕から抜けることはありません。死を迎える時もあの情景を思い出せば、堂々と死ねると思っています。


(本記事は月刊『致知』2021年9月号 特集「言葉は力」より一部を抜粋・編集したものです)

◉「禅」と「能」--それぞれの道を究めてきた東洋思想家・境野勝悟さんと能楽師・安田登さんが縦横に語り合う、古典・先人の教えの神髄、人生・仕事への生かし方とは? 気になる内容は月刊『致知』2021年9月号 特集「言葉は力」をご覧ください

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