2023年08月15日
カトリックへの深い信仰、ダウン症をもって生まれた息子・周君への愛に満ちた眼差しから、人々の心に寄り添う珠玉の詩を綴り、写真詩集『天の指揮者』で話題を集める詩人・服部剛さん。76回目の終戦の日を迎えるにあたり、平和への祈りを込めた文章を寄稿していただきました。いま私たちは先人たちの努力の上に実現したこの平和の尊さを改めて噛み締めなければなりません。詩人・長島三芳(写真)の遺言とは――。
◎人気連載「服部剛の『詩の贈り物』第1回はこちら◎
殺戮の修羅で自らを取り戻す
〈服部〉
今年もお盆の季節を迎え、終戦の日になると、私は敬愛する詩人を思い出します。長島三芳(ながしま・みよし)【1917-2011】は詩集『黒い果実』で「第2回H氏賞」、晩年には長年の詩の活動が評価され横浜文学賞を受賞しています。
私は長島の詩に深く共鳴していましたが、生前には対面できませんでした。10年前、93歳で逝去された翌月、神奈川・浦賀のご自宅に奥様を訪ね、仏前にて出逢いました。
戦時中、詩や絵画を愛する若き日の長島に召集令状が届き、彼は陸軍兵として激戦の中国大陸へと派遣されました。長島青年は紙と鉛筆を隠し持ち、時間を見つけては必死に詩をしたためました。戦時下に刊行された詩集『精鋭部隊』(1939年)には、凄絶な戦場での様子が記されています。
●詩人は戦う
彼は昨日の戦闘に胸部に鉛を浴びて
死の一歩手前私をふりかえって笑った
そうして祖国万歳と叫びつつ壮烈なる戦死を遂げていった
●「鉛の雨の中に」
ゆくべきところ すべて鉛の雨
風は強く
一弾 砲弾は私の左足を砕いた
一弾 砲弾ガスは眼に喰入った
私の体は 麦畑の中に大きく倒れた
倒れてもゆかんな敵陣へ
戦友は私の体を乗り越えては 乗り越えてはゆく
数ヶ月の戦闘で長島は負傷し、野戦病院に運ばれました。殺戮の修羅にいた満身創痍の長島の心に、やがて変化が生じます。ある時は衛生兵が口に含ませてくれたスープに癒され、ある時は窓外に見える山や花の美しさに、本来の自分を取り戻し始めます。
●「四月の失明」
揚子江を下る病院船の中で
私は枕許に匂う一鉢の蘭を見ていたが
次第に眼が霧のように薄れてゆくのを知った
それはいままで
明るい方向に持ちこたえていた一本の線が
鋭利な刃物で断切られたように
しかし私はこの失明を莞爾と受けた
あの前線で
戦死した多くの戦友を想えば
これしきの傷
私は未だ重い務があるような気がする
静かな船の揺れが体にこたえる
ここには砲弾の音も 銃弾の音もない
この平和な揚子江の頭上
そこには新しい亜細亜の出発があるのではなかろうか
再び見る一株の蘭は
もう私の眼の中にはない
しかし私はその蘭の匂いを愛することを忘れてはいなかった
真の平和を目指して
傷病兵として帰国し、終戦を迎えてからもなお、戦友や敵兵が倒れゆく姿が長島の脳裏から消えることはありませんでした。『黒い果実』(1951年)には、その生々しい体験が凝縮されています。
●「弾丸」
僕の大腿部に住みついている黒い虫がいる
まだ生きていて――
時々うごめき どくどくと僕の血を吸っている
わすれられない日
こいつに殺られたある雨の午後
その日が何時までも僕と僕の生命の間にあって
凝のように固っていてはなれない
長島の詩の数々が語る壮絶な戦争体験から、私は以前に訪れた鹿児島・知覧での旅の記憶を思い出しました。特攻平和会館を訪れると、特攻隊員が着ていた軍服など遺品の数々が展示されていました。そして、特攻する日が決まり、故郷の母への感謝の手紙を綴る青年たちの毅然とした文字が、平和の尊さを切々と訴えていました。平和会館を出た私は、無数の命の犠牲の上に今の平和があることを改めて知り、帰途への道を放心して歩いたのでした。
76年の歳月を経て、戦争の悲劇を語る世代が少なくなっています。詩集『精鋭部隊』の表紙には、戦場に散った戦友たちの肖像が描かれています。見つめていると、彼らの沈黙の声は今も、言葉にならない平和への願いを、私たちに伝えています。
戦争が終わっても、長島の体内に残った弾丸による心身の痛みが癒えることはなく、長い生涯を過ごした横須賀の地を見つめ続け、長島は平和への祈りを込めた数々の詩を書きました。
●「軍港」
青みどろ、うねる波
晴れた日に
私は「軍港見学船」に乗って
港内を一周した
(船が港の真ん中にきたとき
私は用意してきた
花束を海に投げた
バラと百合の一束を)
誰れのために花束を
海で死んだ幾万の無名戦士の霊魂に
安らかに眠ってくれと
花束を投げた
●「霧の軍港」
その夜私は雪の降る民宿の深い眠りの中で
昼間見た白鳥の群れを思い浮かべながら
もし私の軍港が
白鳥の声で埋まったとしたら
世界はどんなに平和になるだろうと
私は夢の中で夜明けまで
白鳥の群れに餌を投げていた
2004年に刊行された、生前最後の詩集『肖像』に収められた詩には、長島の積年の願いが込められています。数々の作品を通して語られることは遺言のように感じられ、私は今、先人が語る戦争の悲劇を次世代に語り継いでゆくことの大切さを思うのです。
私の机の上には、奥様から頂いた在りし日の長島の写真が置かれています。そのまなざしは、過去の悲劇を忘れることなく、日本が真の平和な国であってほしいと、静かに語り続けています。
――〈終〉―― ※文中敬称略
◇服部 剛(はっとり・ごう)
昭和49年東京生まれ、神奈川・鎌倉で育つ。平成10年より本格的に詩作・朗読活動を始める。日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員、日本現代詩人会会員、四季派学会会員。詩集に『風の配達する手紙』(詩学社)『Familia』(詩遊会出版)『あたらしい太陽』(詩友舎)『我が家に天使がやってきた』(文治堂書店)、近刊に『天の指揮者』がある。ブログ「服部剛のポエトリーシアター」、フェイスブック、ツイッター、ユーチューブチャンネル「服部剛のぽえとりーサロン」:服部剛 – YouTubeなどで詩や思いを綴る他、朗読や講演活動も行っている。
◉服部さん自らに、人生を振り返りつつ、詩人としての原点、ダウン症の息子・周君への思いを語っていただいた『致知』の記事はこちら!