「おめでとう。ここから ほんまもんの人生」——作家・脇谷みどりが脳性麻痺の娘に誓ったこと

日本の高齢化が進むにつれ、介護に携わる人も急速に増えています。しかし、一人で三人もの介護に当たりつつ、社会的にも多岐にわたって活躍する人は稀でしょう。究極の利他行ともいえるトリプル介護に携わってきた脇谷みどりさんに、その険しい道を経て見えてきたものについて伺いました。『致知別冊「母」』より、脇谷さんと娘・かのこさんとの感動エピソードをご紹介いたします。

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「おめでとう。ここから ほんまもんの人生」

学校を出て航空会社に勤務した後に結婚退職して、一男一女に恵まれるんですが、28歳で出産した長女のかのこは2か月くらい経っても目でものを追わなくて、大きな病院で調べてもらうと脳性麻痺だということが分かりました。

周りからは、「そんな大変な子を育てられるわけがないから、施設に預けなさい」と散々言われましたが、私はどうしても自分の側で育てたかった。もちろん不安でした。ちゃんと育てられるかなって。

―それで、どうされましたか。

(脇谷)
どうしていいか分からなくて、診断を受けた日、かのこを抱っこし、長男の手を引いて行ったのが、筋ジストロフィーの息子さんを育てた地元で有名な女性のお宅でした。

その方は、私がワンワン泣いているのに「おめでとう、よかったね。ここからあんたのほんまもんの人生が始まるんだよ」って言うんです。「ほんまもんの人生なんかいりません!」って泣き続ける私に、「私たち家族は、筋ジスの息子がいたおかげで、いまがあると思ってるんやで」と話をしてくださいました。

当時の障がい児は養護学校にも行けず、病院か家で暮らすしかなかったそうです。ご夫婦は、息子を絶対に手放さないと決意して、優秀な専門医をつけ、家庭教師をつけるために、介護をしながら必死で働くのです。あいにくその子は16歳で亡くなりましたが、その間に家業はどんどん盛り上がったというんです。「あんたも絶対幸せになれる。頑張れるか?」と言われて、私も「頑張ります」と答えるしかありませんでした。

「自分のことを 不幸に思ってるんやな」

―その女性との出会いが、大きな転機になったわけですね。

(脇谷)
私の心の内をすべて披瀝できる人でした。そして、かのこを何としても歩かせたいと思って週3回もリハビリに連れて行くようになったんです。

ところが1年経ち、2年経つうちに病状はどんどん悪くなって、発作や肺炎を繰り返して月に一度は入院するようになったんです。周りには精いっぱい明るく振る舞っていたんですけど、心の中は「幸せになると言われたのに、どんどん不幸になっていくやんか」と思うわけです。

―逆に状況は厳しくなったと。

(脇谷)
娘につきっきりで、3歳の息子は放ったらかしです。12月のある日、入院中の病院から、夜電話してみたら「寒いよ、お母さん……」と。慌ててタクシーで戻ったら、こたつに首まで潜り込んで震えていたんです……。

「こんな時くらい家にいてやってよ」と夫を責めたりもするようになるんですよね。娘と息子の間で体は張り裂けそうでしたし、娘ももう十分苦しんだから、心臓を止めて楽にしてやってくださいって思う時もありました。一人になると泣いていました。

冬の日、バスに乗ると「音刺激」で娘が発作を起こして、泣き叫ぶので、バスに乗れず、粉雪の中、娘をおんぶして息子を抱いてバス停をいくつも歩くわけです。横の国道を、大きなトラックがゴーゴー走っていて、「あ~、50センチ車道に入ったら、すべてが終わる」と思ったこともありました。人間って不思議なもので、魔がさすっていうか、何メートルか歩くと、これ以上不幸にはならないだろうと笑えてきたものです。

―どのようにして乗り切られたのですか。

(脇谷)
唯一本音を吐けたのが、先ほどお話しした筋ジスの息子さんを育てた女性だったんですけど、いつ訪ねても「あんたが変わらなければあかんのやで」とおっしゃるんです。私はいつも周りの人に明るく振る舞っているのに「あんたが変わらなければあかん」と。かのこを京都の病院へ連れて行くためにJR京都線に乗っていたんですね。発作でいつ泣き出すか分からないのでいつもすぐ降りられるようにドアのところに立つようにしていました。

山崎駅で電車が止まって、外を見たら、田んぼが緑の絨毯のように広がっていたんです。その間の道を、赤い車が走っていく。思わず「かのこちゃん、あの車の中には幸せな家族が乗っているんやろうね」って呟いていました。その時初めて気がついたんです。「あ、私は自分のことをメチャクチャ不幸と思ってるんやな」と。

―それまで自覚がなかった。

(脇谷)
心の奥に押し隠していたんでしょうね、無意識にいい母を演じていたんでしょう。そして、「変わらなければあかん」というのは、この心の闇の部分だったんだなと。いくら表面を取り繕っても、私の本質はかのこが生まれた瞬間から全く変わっていなかったことに気づいたんです。その山崎で、私は「変わろう」と誓いました。かのこが歩けないからって何が悪いの。歩けなくても、世界一幸せな子にしてやろう。夫も私が精いっぱい助けて、一流の学者にしよう。そして私も、諦めていた文章を書いてお金をもらうことにもう一回挑戦しようと。

結果的に、息子は元気に成長してくれましたし、夫は大学教授になり、私も機会に恵まれて作家デビューを果たすことができました。それもこれも全部、あの山崎の誓いがあって実現したことです。

―まさに人生を変える転機となったわけですね。

(脇谷)
私を叩き直してくださった女性は、2年前に亡くなりました。生前、「『あんたが変わらなければあかん』という言葉に支えられました」ってお礼を言ったら、「あれは私の言葉じゃないねん」っておっしゃいました。ご自分が筋ジスの息子さんを抱えて泣いていた時に、先輩のお母さんから言われたんだと。あぁ、力のある言葉って受け継がれていくんだなと思って、私もいま、障がい児のお母さんが相談に見える度に「あんたが変わらなければあかんのよ」とお伝えしているんです。

(本記事は『致知別冊「母」』から一部抜粋・編集したものです。


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◇脇谷みどり(わきたに・みどり)
作家。昭和28年大分県生まれ。障がいのある娘の誕生をきっかけに介護に奔走しながら、執筆活動を展開。平成8年には郷里の母が鬱病を発症。5,000通ものハガキを送り続け、その間に母の病気は完治。その後も娘と高齢になった両親のトリプル介護を余儀なくされながら、エッセーの連載やラジオパーソナリティを続け、多くの人に希望を送り続けている。著書に『希望のスイッチは、くすっ』『晴れときどき認知症』(ともに鳳書院)など。

脇谷みどりさんのインタビューは『致知別冊「母」』に収録されています

本書の詳細は【こちら】

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