2021年03月27日
現在放送中のNHK大河ドラマ『青天を衝け』に登場し、その生き様が話題を呼んだ人物がいます。幕末維新の指導者たちに多大な影響を与えた水戸藩士・藤田東湖です。その人物像について、作家の童門冬二先生が一歩踏み込んで考察しています。東湖の人間的魅力に引き寄せられるように、西郷隆盛や橋本左内も集ってくるのです。
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“詩士”であり“死士”である
私は正直にいって、藤田東湖が幕末維新に果たした役割を考えると、聖書の中にある例の、
「一粒の麦地に落ちて死なずば」
という言葉を思い出す。正確には、
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただひとつに在らん、もし死なば、多くの実を結ぶべし」
という文章だ。
一粒の麦も死なないで自己を守っていれば、結局は一粒で終わってしまう。しかしもし死ねば、それがきっかけとなって多くの実を結ぶだろうという、人間にもそのまま当てはまる言葉である。
これは指導者のあり方として、いつもいえることではなかろうか。指導者が自己にこだわって、「おれが、おれが」と、自分の業績を誇り、権力にしがみついていたら、後から続く世代は信用しないし、敬愛もしない。
が、潔く身を捨てれば、一種の美学が生まれ、多くの後輩が後を慕っていく。これはすなわち、
「公の精神」
であるからだ。ポストや自分にしがみつくというのは、最後まで、
「私の精神」
を捨て切れないということである。
もうひとつ藤田東湖のカリスマ性を支えていたのは、何といってもかれの、
「詩精神」
だ。したがってかれは、尊皇壌夷論を唱える志士であることは確かだったが、同時に“詩士”であり、また“死士”でもあった。
大西郷と出会って
西郷隆盛が初めて藤田東湖に会ったのは、安政元年(1854)のことだといわれる。東湖は49歳、西郷は28歳だった。
東湖は骨太で、背が低い。顔は浅黒く、眉が太い。しかし目付きが鋭い。初めて東湖の姿を見た西郷は、薩摩藩の屋敷に戻ると、
「どうだった?」
ときく友人に、
「まるで山賊の親分だ」
と答えた。このときの西郷は、やや自信過剰で、たまたま東湖の家に来ていた橋本左内を見ると、あまりにもやさしい美少女のような姿をしているので、ちょっと馬鹿にした。橋本左内は左内の方で、西郷を、
「すぐ感動する感激オンチだ」
と見だ。が、つき合っているうちに二人は無二の親友となった。そしてそれぞれの主人のために、のちに井伊直弼がおこなう安政の大獄の原因をつくっていく。(つづく)
(本記事は月刊『致知』1995年3月号 連載「新代表的日本人」から一部抜粋・編集したものです)
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◇童門冬二(どうもん・ふゆじ)
昭和2年東京生まれ。東京都庁にて広報室長、企画調整局長を歴任後、54年に退職。本格的な作家活動に入る。第43回芥川賞候補。平成11年勲三等瑞宝章を受章。著書は代表作の『小説上杉鷹山』(学陽書房)をはじめ、『人生を励ます太宰治の言葉』『楠木正成』『水戸光圀』(いずれも致知出版社)『歴史の生かし方』『歴史に学ぶ「人たらし」の極意』(共に青春出版社)など多数。
★童門先生より寄せられた『致知』へのメッセージ★
『致知』が創刊40周年を迎える。実をいえば私も退職40周年を迎える。退職直後から『致知』に作品を載せていただき現在に及んでいる。私にとっては“感謝”の40年だ。“日本の良心”として、いよいよご発展あらんことを。