恩返しの金メダル—— 「平成の三四郎」古賀稔彦 不屈の精神はこうして生まれた

バルセロナオリンピックで金メダルを獲得した柔道家の故・古賀稔彦さん。鮮やかな背負い投げを武器に「平成の三四郎」と呼ばれ、引退後も指導者として多くの後進を育て上げられました。令和4年3月、惜しくもお亡くなりになられましたが、様々な苦難、逆境を乗り越え世界の舞台で活躍し続けたその原動力はどう培われたものだったのでしょうか。不屈の精神の真髄に迫ります

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恩返しを原動力に

〈古賀〉
男子柔道71キロ級の日本代表として送り出された、1988年のソウルオリンピックのこと。20歳にして初の五輪切符を手にした私は、優勝候補と目されていたのですが、蓋を開けてみれば3回戦でまさかの敗退。あまりの悔しさにただ呆然として試合会場を後にしました。

日本に帰国すると、私を取り巻く環境が驚くほど一変していました。成田空港から出発するまではマスコミで散々取り上げられ、「頑張れ頑張れ」と声援を受けていた私が、一転して誹謗中傷の的となったのです。 

「古賀は世界で通用しない」「あいつの柔道はもう終わった」など、なぜそんなことを言われなければいけないのかとただただ憤慨するばかりでした。そして気づけば、私の周りからは潮が引くように誰もいなくなったのです。

自分はオリンピックの大舞台で負けて悔しい思いをしているのに、なぜそのことを誰も理解しようとしてくれないのか。もう人間なんて誰も信用できない。この時、私は人間不信になってもおかしくないくらいに激しく気持ちが落ち込み、とにかく人目につくのが怖くて、自分の部屋に閉じこもりました。

そんなある日のこと、何気なくつけていたテレビの画面に、オリンピックの総集編が流れ始めました。番組では華々しく活躍する選手たちの映像とともに、惨敗だった日本柔道の特集も組まれており、3回戦で敗退した私の試合も映し出されます。

ところが次の瞬間、画面に釘づけになりました。なぜなら私が試合に負けた直後、カメラが観客席で応援していた両親を映したからです。 

おもむろに立ち上がった両親は試合会場を背にすると、日本から応援に駆けつけてくれていた人たちに向かって、期待に応えられなかった私の代わりに深々と頭を下げていました。もちろん、私にとって初めて見る光景です。中学で親元を離れてひたすら柔道に打ち込み、ほとんど顔を合わせることがなかっただけに、久しぶりに見た両親が謝っている姿に私は大きなショックを受けました。 

心の変化はそれにとどまりません。いまの自分が無性に恥ずかしく思えてきたのです。それまでは、「おれが練習して、おれが強くなって、おれがオリンピックに行って、おれが負けて、おれが一番悔しいんだ」と思っていました。ところが両親の姿を見ているうちに、闘っていたのは自分一人ではなかったことに気づかせてもらったのです。 

すると驚いたことに次々と私をサポート、応援してくれた人たちの顔が浮かんできました。例えばオリンピックに向けて練習相手になってくれた仲間がいました。彼らは自分たちが試合に出られないのに、私のために何度も受け身を取ってくれました。

しかし、当時の自分はそれが当たり前のこととしか受け止められませんでした。また、たくさんの方からの声援や心のこもったお手紙を何通も頂戴しましたが、応援されることが当たり前と思える自分がいました。 

ところがこうして少しずつ周りが見えてきたことで、自分の後ろにはこんなにもたくさんの人たちが一緒に闘ってくれている、だから安心して闘っていいのだと思えるようになったのです。そしてこれを機に、それまでの自分が嘘のように前向きになることができました。 

もう両親に頭を下げさせてはいけない。そして自分をサポート、応援してくれた人たちにも絶対喜んでもらいたい。そのためにはオリンピックで負けたのだから、次のオリンピックで金メダルを取って恩返ししよう。この時に抱いたこの思いこそが、4年後のバルセロナオリンピックにおいて、怪我で苦しみながらも金メダルを獲得することができた大きな原動力になったのです。 


(本記事は月間『致知』2014年8月号 連載「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇古賀稔彦(こが・としひこ)――柔道家

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