2021年02月22日
1985年、44歳の時、森永乳業の一社員として豆腐の売り込みのため渡米した雲田康夫さんを、人々は〝ミスター・トーフ〟と呼ぶ――。日本の和食はいまやユネスコ無形文化遺産に認定されるほど世界的に価値を認められていますが、当時の現地では豆腐は「家畜の餌」同然の扱いで、その普及には人知れぬ困難があったそうです。時を経て第二の挑戦に白滝を選んだ理由と共に、大逆境を乗り越えビジネスを成し遂げる要諦を明かしていただきました。
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「Mr.豆腐」と呼ばれて
〝ミスター・トーフ〟
いつの頃からか人は私のことをそう呼ぶようになった。
当時勤務していた森永乳業の社命により単身渡米し、豆腐を売り込むことになったのは1985年、44歳の時である。その頃アメリカでは大豆は家畜の餌だと思われており、豆腐は嫌いな食べ物ナンバーワンに挙がっていた。
そうとは知らず大量に発注した商品がコンテナ船で次々と届き、倉庫に積まれていく。精神的に追い詰められ、円形脱毛症になったり血尿が出たりしたが、辛抱強く無我夢中でやり続けた結果、10年後には健康食品として受け入れられるようになり、30年経ったいまでは全米のほとんどのスーパーに納入されるまでになった。
そして、今年(取材当時)75歳を迎える私は第二の挑戦の真っ只中にいる。その挑戦とはコンニャク(シラタキ)を全米に広めるというものだ。
先進国でいま一番問題になっているのは肥満、それによって引き起こされる糖尿病や高血圧などの生活習慣病である。私は豆腐を売り歩いていた時にそのことをつくづく実感した。根本的な治療法がないため、罹患した時にはもう手遅れ。しかし、人間の意志は弱いもので、特に我慢が嫌いなアメリカ人にダイエットはなかなか難しい。
そんな中、世界にただ一つ、ほぼゼロカロリーで食物繊維を豊富に含んでいる食べ物が存在することが分かった。他でもない、コンニャクである。
さらに勉強していくと、コンニャクは約1,500年前に起源を持つ日本の伝統食であるにもかかわらず、かつて日本に1,700軒あったコンニャク屋が半減しているという事実が浮かび上がってきた。
日本の宝物が間もなく消えていく運命にある。これを放っておくわけにはいかない。そしてコンニャクは間違いなく世界を救う食品だ――。
とはいっても、コンニャクをアメリカ人に広めることは正直やりたくなかった。どんな大金を積まれてもやらないと断言していたくらいだ。なぜか。コンニャクはその食感ゆえに英語で「devil’s‐tongue(悪魔の舌)」と呼ばれており、普及は不可能だと思っていたからである。
兄の死、弟の病……何のために事業をするのか
しかし、どうしてもやらざるを得ない状況が生まれた。事の発端はまだ豆腐が売れずに赤字が続いていた時のこと。
当時、私の兄弟は千葉県下で30店舗のスーパーを展開するスーパーフレックという会社を経営していた。兄がアメリカ視察に訪れた際、破綻寸前のコンニャク会社を営む日本人経営者と知り合い、縁あってその会社も受け継ぐことになった。
ところが、その後バブル経済が崩壊。スーパーフレックは経営難に陥り、産業再生法の適用を受けることになる。
イギリスのテスコという大手スーパーに買収されたのだが、彼らは市場をくまなく調べ、「日本の30店舗のスーパーは責任を持つが、アメリカの会社は切り離す」と言ってきた。兄からも「康夫、頼む。会社を引き取ってくれ」と懇願され、私は渋々引き受けることにした。
だが、兄は多額の借金を抱え、思い詰めていたのだろう。白血病に侵され、数年後に帰らぬ人となった。さらに追い打ちをかけるように、弟は重度の糖尿病を患ってしまったのである。
「社員と取引先を助けるためにとにかくこの赤字会社を引き受けてくれないか! そして、世の中のためになることをやってくれ!」
この弟のひと言で、私は覚悟を決めた。亡くなった兄のため、闘病中の弟のため、そして世の中のために立ち上がろう、と。
森永乳業の米国法人の社長を退任した2005年、スーパーフレックUSAのCEOとして、新たなスタートを切った。
ターゲットは3億人のアメリカ人、中でも約4,000万人いるといわれる糖尿病患者とその予備軍。初めからコンニャクで正面突破することは難しいと考え、まずはシラタキを広める作戦を立てた。
「shirataki」と名づけてもアメリカ人には伝わらない。そこで「skinny(痩せた、細い)」というブランド名で商品化し、イメージが湧くようにした。
また、郷に入っては郷に従えのとおり、固定観念に囚われず、シラタキをフェッチーニ(平麵)風にしたり、ホウレンソウを加えたりと、アメリカ人の好みに合わせて工夫改善していった。
ある時、結婚式を間近に控えた新婦たちに目をつけ、ブライダル関連の雑誌やウェブサイトに「たくさん食べて痩せませんか?」という広告を打ち出したところ、徐々に口コミで広がっていき、現在、会社の売上高は円換算にして8億円、市場全体では25億円の規模へと成長を遂げたのである。
異邦での苦難が教えてくれたこと
30年間に及ぶ異国の地でのビジネス人生を通じて、私は二つのことを掴(つか)むことができた。
一つは「ぬるま湯からは何も生まれない」ということである。私がなぜ頑張れたか。それは厳しい環境に飛び込み、苦しみや悲しみを背負ったからだ。そういう修羅場を経験しない限り、人は成長しないし、新しい発想も生まれることはない。
もう一つは「人と同じことをするな」。豆腐でもコンニャクでも、誰もやらないことを一所懸命地道にコツコツ歩んできたことによって、アメリカ人の常識を覆(くつがえ)し、彼らの食文化の変革を成し得たのだと思う。
一途にぶれることなく、自分の足元を深く掘り続けていけば、必ずや滾々(こんこん)と水が湧いてくる。そのことを信じて、これからも挑戦を続けていきたい。
(くもだ・やすお=SUPER FREC U.S.A., INC. CEO)
(本記事は『致知』2016年2月号 連載「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです) ◎最新号申込受付中! ≪人間力を高めるお供に≫
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