文明開化を説いた福沢諭吉が追い求めた真の〝目的〟

没後120年を迎えてなおその思想と人生で人を惹きつける幕末・明治の偉人――福澤諭吉。その名を聞いて多くの人が思い浮かべるのは「文明開化論者」「啓蒙思想家」といったリベラルなイメージでしょう。しかし、福澤の著作を丹念に読み解けば、旧士族社会の士風を重んじる「ナショナリスト」、そして力が支配する国際政治を冷徹に認識する「リアリスト」としての顔が浮かび上がってきます。その知られざる実像を、拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏にお話しいただきました。

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「事の軽重」を怜悧に見極める

〈渡辺〉
福澤諭吉といえば、「国権」よりも「民権」の大切さを説いた自由民権論者だとみなされがちであり、事実そのように記している解説書がいまでも数多くあります。しかし、国会開設や普通選挙の実現など、自由民権運動が大きな政治的潮流となっていた明治14年に書かれた『時事小言』の緒言で、福澤は次のように述べています。
 
「記者(福澤)は固(もと)より民権の敵に非(あら)ず。その大(おおい)に欲する所なれども、民権の伸暢(しんちょう)は唯国会開設の一挙にして足るべし。而(しこう)して方今の時勢これを開くことも亦(また)難(かた)きに非ず。仮令い難きも開かざるべからざるの理由あり。

 然りと雖(いえど)も国会の一挙以て民権の伸暢を企望(きぼう)し、果して之を伸暢し得るに至(いたり)て、そのこれを伸暢する国柄は如何(いか)なるものにして満足すべきや。民権伸暢するを得たり、甚(はなは)だ愉快にして安堵(あんど)したらんと雖も、外面より国権を圧制するものあり、甚だ愉快ならず。」

もちろん自分は民権論に反対ではないが、民権はただ伸張すればよいというものではない。国会を開設し、どのような「国柄」の国家を建設すべきかという肝心の問題を議論するのでなければ、民権など論じても詮なきことだ。西洋列強による干渉や介入が恒常化しているいま、ただ国会を開設すればよいというほど事態は単純ではない、というのが福澤の主張です。 

さらに緒言はこう続きます。

「俚話(りわ)に、青螺(さざえ)が殻中に収縮して愉快安堵なりと思い、その安心の最中に忽(たちま)ち殻外の喧嘩異常なるを聞き、窃(ひそ)かに頭を伸ばして四方を窺(うかが)えば、豈(あに)計らんや身は既にその殻と共に魚市(うおいち)の俎上(そじょう)に在りと云うことあり。国は人民の殻なり。その維持保護を忘却して可ならんや。」
 
国家とは生身の青螺の殻のようなものであり、殻が外敵に壊されてしまえば、そもそも国民の生命や財産の守護などできない。近年の厳しい国際情勢の中で、その現実を直視することなく、民権と国会開設について騒いでいるだけでは国家の存立自体が危うい。青螺の比喩を巧みに用いて、そう福澤は警鐘を鳴らしているのです。

そのように、実際の福澤は、自由民権論者というよりも国権論者に近く、現実に即して物事の優先順位、「事の軽重」を怜悧に見極めていく徹底したリアリストであったといってよいでしょう。

現在の日本も、中国の海洋進出や北朝鮮の核開発など、様々な難題に直面していますが、国会やメディアでは、それほど重要とは思えない問題に延々と時間と労力が費やされています。日本にとって一番大事なことは何なのか、いま何をしなければならないのか。特に組織や人の上に立つリーダーには、その「事の軽重」を見極める見識、リアリズムを、いまこそ福澤に学ばなければなりません。

独立自尊の精神を取り戻せ

〈渡辺〉
福澤の最高傑作として、明治8年に出版された『文明論之概略』を挙げる方は多いのですが、私もその議論の密度と説得力、文章の格調の高さからして全く異論はありません。実際、同書は福澤が最も知力旺盛な時期にその力の限りを尽くして書き上げた大作です。

とはいえ、『文明論之概略』で福澤が伝えたかった「結論」を知っている方はそう多くはないのではないでしょうか。ほとんどの方が『文明論之概略』は、福澤が日本の文明開化の必要性を正々堂々と論じた傑作だという、世に広く流布されているイメージをお持ちだと思います。しかし、それも福澤の文章そのものに当たりながらよく検討してみる必要があります。

「西洋の文明を目的とする事」「日本文明の由来」など、様々な観点から文明について論じた上で、福澤は第10章の結論部に入り、何より重要なことは何かと問うて、次のように論理を転換させます。

「目的を定めて文明に進むの一事あるのみ。その目的とは何ぞや。内外の区別を明にして我本国の独立を保つことなり。而してこの独立を保つの法は文明の外(ほか)に求むべからず。今の日本国人を文明に進(すすむ)るはこの国の独立を保たんがためのみ。故に、国の独立は目的なり、国民の文明はこの目的に達するの術なり。」

福澤は、何のために日本が文明化するのかと問えば、それは自国の「独立」を保つためであり、文明はその「術」にすぎない、と結論づけているのです。日本の目下の最大の課題は独立であって、独立のための手段として文明を捉えるべきである。思考の順序を取り違えては絶対にならない、というのが福澤思想の核心だといえます。

ここまで、世間とは正反対ともいえる福澤諭吉像を紹介してきましたが、福澤が遺した思想は、現代日本に深淵な問いを投げ掛けているように思えてなりません。


(本記事は月刊『致知』2017年11月号 特集「一剣を持して起つ」より一部を抜粋・編集したものです)

――慶応義塾を創設するなど、学問の分野で社会を先導し、一万円札の肖像になっている福沢諭吉。あまり知られることのなかったその実像を学ぶと、見慣れた偉人の顔が違って見えてきます。

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◇渡辺利夫(わたなべ・としお)
昭和14年山梨県生まれ。慶應義塾大学卒業後、同大学院博士課程修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授、拓殖大学長、第18代総長などを経て、現職。外務省国際協力有識者会議議長、アジア政経学会理事長なども歴任。JICA国際協力功労賞、外務大臣表彰、第27回正論大賞など受賞多数。著書に『アジアを救った近代日本史講義』(PHP新書)『士魂―福澤諭吉の真実』(海竜社)などがある。

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