〝最悪だった〟20歳から天皇執刀医になれた訳——天野篤が20代へ贈るメッセージ

心臓血管外科医として国内でも最多に近い手術件数を経験し、天皇陛下(現・上皇陛下)の執刀医として知られる天野篤医師。しかし、医師としての素晴らしい実績の基礎は、困難に躓き苦い思いを味わった20代にあったといいます。いまの自分をどう打破するか――人生の節目にある方々へ、天野氏からのメッセージをお届けいたします。

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最悪だった20代の入り口

〈天野〉
私の20代の入り口は、最悪でした。

友人たちが希望に目を輝かせて成人式に臨んでいる陰で、前年の大学受験で失敗していた私は、大切な人生の節目を予備校で迎えなくてはなりませんでした。惨めな浪人生活は1年では終わりませんでした。結局3度も挫折を繰り返した末に、何とか医学部への切符を手に入れることができたのです。

苦労というのは、その後の人生がよくならなければ他人に語ることはできません。私がもし、その最悪の状況を転換させることができていなければ、多くの読者を持つこの『致知』で当時を振り返ることなどできなかったでしょう。

幸いにして私はその後、心臓血管外科医として国内でも最多に近い手術件数を経験し、天皇陛下(現・上皇陛下)の執刀を務めるまでになりました。最悪の形でスタートした二十代をどのように過ごし、医師としての礎を築いていったのか、自分なりに振り返ってみたいと思います。

多浪で社会人生活に出遅れた自分が、世間でそれなりに認められる存在になるためには、権威ある国家資格を取得するしかない。私が医者になったのは、そうした世間体を気にしての焦りや打算があったことは否めません。しかし、それ以上に私を突き動かしていたのが、自分ほど医者に相応しい人間はいない。きっと自分が必要とされる日が来るはずだという強い信念でした。それは、親しい人を通じて人間の生と死を強く意識する原体験から育まれたものです。

一つは、心臓を患っていた父の存在でした。父の辛そうな様子を見る度に、私はいつか自分の手で父を治してあげたいという思いを子供心に募らせていました。父は後年、3度に及ぶ心臓手術の末に亡くなりましたが、1回目の手術時に劇的な回復を果たしたことが、私の気持ちを医療へ向かわせる大きなきっかけになりました。

もう一つの原体験は、中学高校時代に、親しい友人が相次いで亡くなったことでした。昨日まで仲よく遊んでいた友人が、ある日突然この世から姿を消す。その体験は若い私の心に途轍もない衝撃をもたらしました。

受験で失敗を繰り返しても最後のところで踏み止まることのできた背景には、そうした原体験があったと思います。そして最終的に合格を果たしたことは、諦めなければ必ずチャンスが訪れるという信念を、私の心に植えつけてくれました。(中略)

易きに向かってはならない

〈天野〉
いまの若い人を見ていると、物事が自分の思い通りに運ばないとすぐに心が折れ、絶望感を抱いてしまう人が多いことが気掛かりです。中には、命を絶ってしまおうとまで思い詰める人もいることでしょう。

しかし、若い方々にぜひ理解していただきたいのは、人は死んだら「無」だということです。私がそれを実感したのは、父が3度目に受けた心臓手術で思わしい結果を得られずに亡くなってしまい、火葬場で骨だけになった姿を見た時です。ゆえに、若い方々には、どんなに辛くても必ず何かを見つけられるから生きてほしいのです。

私は3浪という苦境の中でも、最後まで自分の可能性を見失うことはありませんでした。それは医療という、人生を懸けて取り組む対象を心の内に明確に抱いていたことが大きいと思います。(中略)

私は7項目からなる「医師道」を作成し、日々の行動指針にしていますが、その筆頭に掲げているのが次の言葉です。

「医師は自らを生きやすくするために易きに向かってはならない」

この言葉の背景には、相次ぐ挫折や屈辱を乗り越えようと、懸命に努力を重ねた若き日の苦闘があるのです。それだけに、『致知』で以前「一途一心」という言葉に出合った時は深い共感を覚え、大切な人生の指針となりました。

いま特に意識しているのは、唐の文学者・韓愈の『原人』にある「一視同仁」です。すべての人を差別なく平等に愛すべきことを説くこの言葉は、日々多くの患者さんと向き合う私が特に銘記しておかなければなりません。

とりわけ心臓血管外科医療は、一つひとつの医療行為が人の生死に直結し、医師の腕には日々大きなプレッシャーがかかっています。そのプレッシャーを克服する最大の特効薬は、万全の準備です。

私は手術に臨む際、患者さんの情報をもれなく点検し、同じような事例について先輩医師の手術記録だけではなく、文献や教科書も読み、自分の持つ技術で克服するよう徹底的にシミュレーションしてきました。さらに、患者さんが厳しい状態に陥る手術の難所をイメージしながら、成功と失敗の分岐点を見出しつつ、成功への最短経路を見つけることで、トラブルを回避してきました。

こうした徹底した準備こそが大きなプレッシャーを克服し、手術を成功へ導く最善の道なのです。

まずやる、すぐやる

〈天野〉
失敗のない人生など、まずありません。思うに任せない人生の中で夢を叶えるには、コツコツ努力するしかない。自分の得意分野を見極め、鑿とハンマーで分厚い岩盤を穿っていくように、コツコツと道を切り開いていくしかないというのが、躓きから20代をスタートした私の実感です。

その地道な努力の効果を少しでも高めていくため、若い方々に身につけていただきたい習慣が、

「まずやる」「すぐやる」です。

仕事や勉強では苦手なことを後回しにしてしまいがちです。しかし、それを繰り返している限り苦手はいつまでも克服できず、夢を手にすることも叶いません。これをやらなければ次へ進めないという強い決意を持って「まずやる」ことが大事です。

「すぐやる」とは、席に着いたら脇目も振らず、とにかくやるべき仕事や勉強に取りかかることです。いまはスマホやゲームなど、夢の妨げとなる誘惑がたくさんあるので、そうしたものに振り回されないためにも、やるべきことを「すぐやる」習慣をつくることが大事なのです。

私も手術では迷うことなく「まずやる」「すぐやる」を心掛けてきました。手術が上手くなったのは、間違いなくこの2つの習慣のおかげだと確信しています。

こうした習慣の原動力となり、人生を大きく左右するのが、夢を叶えようとする熱量です。

このフィールドに立ったからには、絶対自分のものにしてみせる。そうした気概を持ち、自分がこの世に生を享けたことへの責任を果たしていくのが人生だと私は思います。たとえいま、どんな最悪のピンチの中にあっても、諦めないで挑戦を続けてほしいのです。

最後に、20代を生きる若い方々に、私がお世話になった亀田総合病院の理事長からいただいた言葉を贈ります。

「最大のピンチと思った時こそ、その次がチャンスなんだ」


◎「博多一風堂」創業者・河原成美氏、ジャパネットたかた創業者・高田明氏、USJ再建のマーケター・森岡毅氏、パティシエ・辻口博啓氏……。
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(本記事は『致知』2019年8月号 連載「二十代をどう生きるか」より一部抜粋したものです。◎同連載では、毎月各界一流の方の20代の過ごし方・若い世代へ贈るメッセージをお届けしています


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◇天野篤(あまの・あつし)
昭和30年埼玉県生まれ。日本大学医学部卒業。関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)で研修後、亀田総合病院、新東京病院などの民間病院で20年近く勤務。平成13年昭和大学横浜市北部病院循環器センター長・教授。14年順天堂大学医学部教授。28年順天堂大学医学部附属順天堂医院院長。著書に『これからを生きる君へ』(毎日新聞出版)などがある。

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