2020年12月12日
ディスカウントストア・アイワールドを創業し、年商400億円を達成、一躍時代の寵児となった五十嵐由人氏。その後、過大投資をきっかけに経営破綻を招くが、民事再生の間一日も既存店舗を閉めることなく、従業員もそのままに営業するという奇跡的な出来事を経験する。天国と地獄を味わった男――そう呼ぶに相応しい五十嵐氏はいかなる思いで這い上がったのか。福島の農家に生まれた氏が、その人格の根を養った時期を辿る。
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
「おれは人生など知らねぇ」
〈五十嵐〉
約20年前、私は経営していたディスカウントストアを倒産させました。年商400億円を売り上げていたグループのトップに立つ男が地位も名誉も財産も、一夜にしてそのすべてを失ったのです。
にも拘(かかわ)らず、私の人生に後悔はありません。反省は山ほどあっても後悔は不思議なほどありません。なぜなのか。全く手抜きをせず、何事にも本気で生きてきたからです。それだけは自分の頭を撫でてやりたいと思います。
母が年を取って亡くなる前、私は「人生とは何ですか」と聞いたことがあります。
その時、百姓として生き、何の学問もない母が、遠くを見ながらひと言「おれは人生など知らねえ。ただ一所懸命、一所懸命に生きてきた」と呟くように言いました。
それまでそのようなことを聞かれたことも話したこともなかったであろう母のこのひと言が、いまも私の中に響き続けています。考えてみたら、私もその通りに生きてきたことを実感しているからです。
出稼ぎ先で毎日眺めた「初心貫徹」
中学生になると、山林にある杉の木の皮を束ねて運ぶアルバイトを始めました。貯めたお金でカタログを取り寄せ、何か商売になるものはないかと考えた結果、思いついたのが野菜の種を取り寄せて販売することでした。札幌の農園に手紙を書き、代理店にしてもらったこともあります。相手もまさか私が中学生とは知らずに許可したのでしょう。
卒業後は地元の農業高校に進んだものの、父の酒代が嵩んで家計を圧迫し2年生の時に退学。丹沢山(神奈川県)地獄谷にある飯場に出稼ぎに行きました。
着いてみると宿舎はもちろん電気も風呂もない掘っ立て小屋で、暗くなるとランプを灯し、ドラム缶の風呂で体を洗うという生活でした。
一緒に入った15人の工夫は、あまりの劣悪な環境に耐えきれず半数が一晩で逃げ出しましたが、私は全く心が動揺しませんでした。「ここと決めた以上、命懸けで働いて5年間で200万円を貯金し、それを元手に商売を始めるんだ」という確固たる信念があったからです。
「初心貫徹」と書いた紙を毎日眺めながら、自分を鼓舞し続けました。
しかし工夫は次々に減り、最後まで残っていた親方夫婦までいなくなりました。私は一人でも残る決意でしたから、仕事の発注元である神奈川県に何十通と手紙を書き、救援を求めました。その時、手を差し伸べてくれたのが大津文雄さんという造林課の課長です。
驚いたことに、大津さんは初対面の私に「君が本気で初心貫徹したいと思うなら、私は親代わりになって公私共に君の面倒を見よう」とまで言ってくれました。そして「人生は学歴でも知識でも経験でも技術でもないよ」と教えてくれました。
学歴も知識も何もない私に大事なものは何なのか。身を乗り出すようにして聞くと「それは勤労と誠実だよ」と。その言葉を聞いた瞬間、私は男泣きに泣いて「これならできる。俺にはこれしかしかない」と体中に力が漲るのを感じました。
大津さんが私に親身になってくれたのには理由があります。大津さん自身も若い頃軍隊生活を送ったために学校に行けず、猛勉強をして県の職員になったという経験を持っていたのです。
人生とは〝狂〟の産物である
人生とは本気の産物であると私は思います。もっと言えば本気を超えた〝狂〟の世界の産物です。目の前にあるコップでも、いい加減な思いで生まれたものは一つもありません。「何としてもコップをつくりたい」という狂の一念があってこそ生まれたのです。
本気で物事にぶつかっていけば、そこに喜びが生まれます。仕事に喜びを感じないという人は、仕事が好きになるまで、とにかく本気で打ち込んでみることです。
本気で頑張っていると、時に苦難や不幸と思える出来事が起きるかもしれませんが、それを乗り越えた先には次の舞台がちゃんと準備されています。そのことを私は「卒業」という言葉で表現しています。
出来事の渦中にある時はなかなか分からないことですが、後で振り返って、「ああ、あの時が卒業だったのだな」と思う時が必ず来ます。私にとっても、倒産という試練は本当の幸せに気づくための卒業だったことを、いましみじみと実感しています。
だから、何も心配せずに目の前の出来事に本気になってぶつかっていきさえすればいい、そうすれば後悔のない人生を送ることができる。それが私が78年の人生の中で掴み取った哲学です。
(本記事は『致知』2020年12月号 特集「苦難にまさる教師なし」より一部を抜粋・再編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。 ≪「あなたの人間力を高める人間力メルマガ」の登録はこちら≫
※購読動機は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
昭和17年福島県生まれ。高校中退後、商売への夢を描いて神奈川県で出稼ぎ労働者となり、五十嵐組を結成。40年ダイクマ入社。49年退社し翌年アイワールドを創業。年商400億円の企業に育てるも平成14年に民事再生を申請。令和元年IWビリオネアクラブを設立し、これまでの人生体験を踏まえた人材育成に努める。大和晃三郎の芸名で演歌歌手としても活動。著書に『天国と地獄を見た男~炎』(相模経済新聞社)。