「愛さなくては」と悩むあなたへ 。後藤文雄神父が掴んだ「アガペー」の意味

カトリック司祭として多くの人々を導く傍ら、カンボジア難民の里子14人を育て上げ、カンボジア国内で19校にも及ぶ学校を設立するなど、支援活動にも心を砕いてこられた後藤文雄神父。その稀有な人生行路の原点には戦時中の空襲で父親以外の家族を失った苦しみがあったといいます。「たとえ人を愛せなくても大切にすることならできる」――聖職者として、一人の人間として、真摯に歩んでこられた半生を伺いました。

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父親との葛藤の中で

〈後藤〉 僕は神父として活動する傍ら、これまで一銭もお金儲けにならないことばかりをしてきたわけですが、その出発点は果たしてどこにあったのか。それがようやく煮詰まってきたようで、あそこだということが分かりました。

――それはどこでしょうか。

〈後藤〉 実は映画の撮影の時にもその現場を訪れていて、そこは僕の生まれ故郷・新潟県長岡市を流れる柿川の岸辺なんです。

あれは194581日のことでした。あの日、長岡市周辺は米軍による大空襲に見舞われましてね。警戒警報発令とともに僕と兄は家を飛び出して、地域の警戒活動にあたりました。そして翌日午後に自宅周辺まで戻ってくると、辺りはすっかり焼け野が原になっていたんです。

――家族はご無事でしたか?

〈後藤〉 それがようやく見つけた母は全身総火傷を負い、川岸の泥の中で横たわっていました。髪の毛は燃えて丸坊主になっていて、頭の天辺から足の爪先まで火膨れだったので、きっと大変な痛みだったと思います。僕はそんな姿になってしまった母の体を必死になって引き上げました。これが僕にとっての原点です。

というのも、それまでの僕は何の考えもなく戦争大賛成を唱え、旗を振っては天皇陛下万歳をやっていました。戦争で人が死ぬのはしょうがないことだと思っていたんです。でも、自分の家族が、しかもこんな惨たらしい死を迎えるなんて想像すらしていませんでした。本当にショックで。

――当時の心中を察するに余りあるものがあります。

〈後藤〉 母だけではありません。この長岡大空襲で、僕は幼いきょうだい3人と叔母も失いました。ところが、床下に急造した地下防空壕に潜っていた家族の中で、親父一人が助かりましてね。爆撃が家に直撃したため、みんなで必死に逃げ出したと思うのですが、なぜか親父だけが生き残った。

僕は親父のことをうんと責めましたよ。なぜあなただけ生きているんだ、なぜみんなを助けなかったんだって。結局、その時に生じた親父との葛藤が僕の中でずっと続いていくんです。おまけにその僅か1年半後には、あろうことか17歳年下で初婚の女性と再婚をした。僕はそれがどうしても許せなくて、とうとう親父の首を絞めて殴っちゃったんです。

――そこまで感情が昂った。

〈後藤〉 そんなことをした人間が言うのもなんですが、親の顔なんか殴るもんじゃない。どんなことがあってもしちゃいけません。僕はいまでも悔いています。

実は僕がカトリックの司祭になったのも、親父を殴ったことと大いに関係がありましてね。当時17歳になっていた僕は、親父を殴ったことの尾をずっと引いていて、自分でもどうしようもありませんでした。そんな僕の前に現れたのが東京から疎開してきた三つ編みの娘さんで、彼女は僕をカトリックの教会に連れていってくれたんです。初めて訪れた聖堂の雰囲気に引き込まれ、次第に心の傷が癒えていくのを感じました。

――では、それがきっかけとなって聖職者の道を選ばれた。

〈後藤〉 ええ。ただ、うちの実家はお寺だったので、僕が神学校に行きたいと言っても、親父は首を縦に振らないんです。それでも僕が譲らないものだから、親父もとうとう怒り出してね。「この家の敷居を二度と跨ぐな」って、勘当を宣告してきました。

こっちはこっちで血気に逸っていましたから、「こんな腐った敷居を誰が跨ぐものか」と言い捨てて、そのまま出ていったんです。

――では、お父様とそれっきりだったのでしょうか?

〈後藤〉 本当はそのつもりでした。ただ、30歳を前に司祭叙階を受けることが決まった時に、散々迷った揚げ句、僕の結婚式だと思って式に出席してほしいという手紙を親父に送ったんです。

――それで返事はなんと?

〈後藤〉 誰がそんな式に行くもんかっていう返事が来たので(笑)、これはダメだなって思いました。ところが司祭叙階式の当日、親父が来てくれたんです。それはもうびっくりしましたけど、あぁやっぱり親父なんだなって、本当に嬉しかったですね。

「アガペー」の日本語訳

――では、後藤神父の中にあった葛藤も、徐々に薄らいでいったのではないでしょうか。

〈後藤〉 ところがそう簡単にはいきませんでした。というのも、キリスト教は、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」とあるように人を愛することを教えているでしょう。でも、僕には軽はずみにも愛を説くことはできませんでした。だってそうでしょう。人を愛しなさいと言いながら、自分はどうかと言えば肉親である親父をぶん殴っているじゃないかと。

自分のことを棚に上げて愛を説こうものなら結局は偽善でしかないわけで、こうした葛藤は本当にずっと続きました。

――その葛藤をどのようにして乗り越えられたのでしょうか。

〈後藤〉 ちょうど10年くらい前に、本田哲郎神父の『聖書を発見する』という本の中で、キリスト教は愛なんて教えていない、と書いてあるのを見つけたんです。そこにはギリシア語の「アガペー」という言葉を日本語で「愛する」と訳されているが、そもそもその翻訳が間違っているとありました。

その証拠に、キリスト教が日本に入ってきた当時、ある神学校でポルトガル人の神父と日本人の信者とが、「アガペー」とはどういう意味なのかを議論をした末に、「大切にする」と訳したと書いてあったんです。

――だいぶ印象が異なりますね。

〈後藤〉 そうなんです。だから僕も気になってすぐ調べたんです。江戸時代以前に日本語で書かれたキリシタンの文献は結構残されているので、そのすべてに目を通したところ、確かに「愛する」という言葉は一回も出てきませんでした。

――では「愛する」という言葉は、一体いつ頃から使われ始めたのでしょうか。

〈後藤〉 どうやら明治6年以降ではないかというのが分かりました。というのも、国内でキリスト教が解禁されたのがその年で、欧米から宣教師たちがいっぱい入ってきているんです。その中でも、特にプロテスタントの宣教師たちが「アガペー」を「愛する」と訳したことで、それが瞬く間に広まっていったのです。

カトリック教会では明治20年くらいまでは「愛する」という言葉を使っていなかったのですが、勢いに押されてしまったのか、それ以降は「大切にする」という言葉を使うのをやめてしまいました。

でも、僕はこの「大切にする」というのは、すごくいい言葉だと思うんです。「愛する」という言葉は確かに格好いいんですけど、現実問題として愛せない奴はいっぱいいるでしょう。このやろうって思うのが(笑)。

ところが、たとえ人を愛せなくても大切にすることならできる。その証拠に、僕は親父を愛することはできなかったけど、大切にすることならできたかもしれないと思っているんですよ。(後略)


(本記事は月刊誌『致知』2019年6月号連載「生涯現役」から一部抜粋・編集したものです)


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◇後藤文雄(ごとう・ふみお)
昭和4年新潟県生まれ。旧制長岡中学校(現・県立長岡高等学校)を卒業後、小学校の代用教員に。25年神言神学院に入学、35年司祭叙階。カトリック南山教会主任司祭、カトリック吉祥寺教会主任司祭などを歴任。その傍ら、カンボジア難民14人を里子として育てる。平成16年「AMATAK カンボジアと共に生きる会」を設立、代表に就任。29年に後継組織「アマタック友の会」を設立、相談役に。近著に『今 ここに』(講談社エディトリアル)がある。

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