2020年09月26日
世界196か国、そのすべてが各々国家の象徴として掲げる「国の旗」を持っています。普段何気なくアイコンとして目にすることの多い国旗ですが、そのデザインや歴史には奥深い魅力があります。少年期より国旗に魅せられ、過去のオリンピックにも「国旗担当専門職」として携わった吹浦さんに、その魅力を語っていただきました。
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国旗の奥深さに魅せられて
〈吹浦〉
小学校4年生の時のことです。地図帳を眺めていると、デンマークをはじめとした北欧5か国の国旗のデザインすべてに十字架が描かれていることに気づきました。
好奇心の赴くままに担任の教師に質問したところ、返ってきた答えは「そんなことを考えるよりも、君はもっと算数や国語を勉強しなさい」の一言。先生の専門は理科でしたから、おそらく国旗のことをよくご存じなかったのかもしれません。もっともこの時の先生の言葉が、実に的を射たものだったということに気づいたのは後々のことでした。
むしろ本格的に勉強するには、国語・算数・理科・社会はおろか、美術から音楽、宗教、染色、幾何学、光学まで幅広い知識が必要だったのです。国旗の持つ底知れぬおもしろさに魅せられた私は、国旗の世界へとのめり込んでいきました。
ある国の歴史から文化に至るまで様々な要素が凝縮して詰め込まれているのが国旗です。それぞれのデザインに込められた思いを読み解き、時に現地に飛んで見聞を広めるなど、国旗への興味は尽きることがありません。
例えば欧州の穀倉地帯と称されるウクライナ。私の好きな国旗の一つですが、デザインは上半分が青、下半分は黄色です。一度でも彼の地に立てばなぜこのデザインにしたか、すぐに分かるでしょう。青空の下にどこまでも広がる一面の麦畑は、まさに国旗そのものです。
また、先日訪れた日本の真南にあるパラオは、私の83番目の訪問国ですが、国旗のデザインは青地の真ん中に黄色い丸が描かれています。かつて国際連盟による日本の委任統治領だったため、日の丸に遠慮して月にしたなどといった噂を耳にしていましたが、すべてはパラオの夜の浜辺が解決してくれました。実際にデザインされた方が言うように、パラオの満月の美しさは格別であり、それが国旗のモチーフとなったのです。
こうした新たな発見や気づきは、60年にわたって国旗に親しみ、国旗を日々楽しむ心境になったいまも、尽きることはありません。むしろ興味の幅はとどまるところを知らず、国旗は私にとっての永遠の恋人だと、まことしやかに言ったりもしています。
国旗が繋いでくれた縁
〈吹浦〉
一方で旗に自分を育ててもらったという点で、感謝の念もひとしおです。国旗がよい出会いを呼び寄せ、素晴らしい体験を積むことができたからです。
戦後19年目にして日本で開催された東京オリンピックで、国旗担当専門職員として組織委員会で働くことができたのも国旗が導いてくれた縁です。まだ私が20歳の時のことです。
当時、東京大会開催に向け、オリンピック組織委員会式典課の森西栄一氏が、国旗に強い人材を探していました。実は東京大会に遡ること6年前、日本で行われたアジア競技大会の表彰式で、当時は国連安保理常任理事国だった中華民国(台湾)の国旗を逆さまに掲揚してしまうという事件が起こっていたのです。
危機感を募らせた式典課が、外務省や文部省をはじめ国際機関を尋ね回ると、行く先々で挙がってきたのが私の名前だったといいます。すでに国旗の本を2冊出していたこともあり、国旗関係者にはいくらか名前が通っていたことが幸いしました。
森西さんも初めは私の実力に半信半疑だったようですが、大学2年生にすぎない私を国旗の専任職員として迎えてくださったのです。依頼を受けた時は大きな責任を感じ、また嬉しさで興奮しました。任せていただいたご恩に報いよう、そう心に決めた私は、以後約2年間は大学の授業をほっぽり出して、組織委のあった迎賓館を根城に一心不乱に仕事にあたりました。
主な仕事の一つにオリンピック憲章をもとに、国によって縦横比が異なる国旗のサイズを統一するというものがありました。これに先立ち、過去に開催されたオリンピックを調べ上げ、2対3の比率で統一されてきた経緯を突き止めると、2対3の比率に当てはまらない国旗を一枚一枚デフォルメしていく作業が待っていました。星条旗だけは、例外的に旗の右側をカットするだけでよいとされていましたが、ほとんどは一枚ずつ精密な製図を描いてデザインを整えていったのです。
また、色については明度色相彩度なども細かく指定した上で、友禅染めにするのか、原反を切って縫い付けるのかなど、一枚一枚つくり方を指定して旗屋に発注していきます。当時は、ほかに相談する人もおらず、それこそ毎日文献と向き合い、大使館と相談するような日々が続きましたが、何とか無事大任を果たすことができました。以来、国旗を軸足に様々な仕事に取り組み、長野冬季オリンピックでは、再び大会組織委員会式典担当顧問になるなど力を発揮する機会もいただきました。
国旗を通じ多くの国の人々と接する中、それぞれ自国の国旗に対する思い入れの深さというものを肌身で感じてきました。その一方で、日本人の多くは戦争を境に、国旗と距離を置く道を辿ってきたように思います。
私はいついかなる時も心に日の丸を掲げて生きてきました。それは私の心の支えであり、志の原点でもあります。国際化が進む現代において、一人ひとりが心の中に国旗を掲げることが、ますます大切になるであろうというのが私の実感です。心に日の丸を掲げ、そして日本人としての矜持を持ってほしい。これは数ある世界の国旗を学びつつ、国旗・日の丸を愛する者の一人としての願いでもあるのです。