虐待ではなく「マルトリートメント」。幸せな親子関係のために伝えたいこと 友田明美

いま日本では、1週間に1人のペースで子どもの尊い命が虐待によって失われています。この状況を変えるために何ができるのか――。小児科医として脳科学の分野から児童虐待・DV問題にアプローチしてきた友田教授は、私たち一人ひとりの「関係ない」という意識を変えることが必要だといいます。慈愛園子供ホーム元園長・潮谷愛一氏との対談から、親と子の幸せを創る子育てについて語っていただきました。

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虐待によって子どもの脳が変形する

〈友田〉 
私が小児科医の卵になったのは昭和62年です。最初は熊本大学の発達小児科に研修医として入ったのですが、1年生でいきなり鹿児島市立病院に派遣されましてね。昼も夜も上司にくっついて、本当に様々な症例を担当させていただきました。

その中で、大きな転機が訪れるんです。救命救急センターで当直をしていたある夜、瀕死の重傷を負った3歳の男の子が運び込まれてきました。付き添ってきた両親に事情を聞くと、「寝ぼけて階段から転がって落ちたみたいだ」と言います。しかし、点滴などをするために衣服を脱がしてみると、全身痣だらけで、煙草の吸い殻を押しつけた痕も無数にありました。

〈潮谷〉 
それは酷い……。

〈友田〉 
この男の子は、懸命の治療の甲斐もなく、3日後に息を引き取りました。両親は否定していましたが、結果的に虐待を日常的に繰り返していたことが分かったんです。当時、私はまだ20代後半でしたけど、実の親が我が子を傷つけ命まで奪ってしまう行為を俄かには信じられませんでした。虐待で亡くなった男の子の苦悶に満ちた顔は、私の網膜に焼きついて二度と忘れられません。

〈潮谷〉 
その男の子が友田先生のご活動の原点になったのですね。

〈友田〉 
それから私は子どもの発達に特化した臨床研究に取り組んでいったのですが、平成15年にアメリカの病院に留学する機会を得ました。この留学以来、長年の研究から見えてきたのは、虐待など大人の不適切な関わりによって、子どもの脳が変形していくということです。

ヒトの脳は生まれた時には400グラム程度ですが、時間をかけて少しずつ発達していきます。その過程で特に大事なのが胎児期、乳幼児期、思春期。これら人生の初期段階に親や養育者から適切なケア・愛情を受けることが、脳の健全な発達には必要不可欠なのです。

しかし、逆に極度の心理的ストレスを受けると、子どものデリケートな脳はその苦しみに何とか適応しようとして自ら変形してしまう。結果、脳の機能にも影響が及んで、子どもの正常な発達が損なわれ、それがその人の生涯にわたって影響を及ぼしていくのです。

〈潮谷〉 
虐待で子どもの脳が変形していく……恐ろしい事実です。

〈友田〉 
例えば、厳格な体罰を経験したグループの脳を調べると、「前頭前野」の中でも感情や思考をコントロールし、行動抑制に関わる部分の容積が、そうでないグループに比べて小さくなっていることが分かりました。さらに集中力や意思決定、共感などに関する「右前帯状回」も大きく減少していました。これらの部分が損なわれると、うつ病の一種である気分障害や非行を繰り返す素行障害に繋がることが明らかになっています。

ただ、「虐待」と聞いても、その悲惨な言葉のイメージから、多くの親御さんが自分には関係ないことだと思ってしまうんですよ。

〈潮谷〉 
おっしゃる通りですね。

〈友田〉 
そもそも、虐待という概念が医学的な観点から広まったのは、1960年代のアメリカです。当時発表された『被虐待児症候群』という論文がきっかけで身体的な虐待への関心が高まり、また、フェミニズム運動の活発化に伴って性的虐待にも注目が集まるようになりました。そして1980年代に入ると、児童虐待をより生物学的な観点から捉えるようになり、次第に「マルトリートメント(Maltreatment/不適切な養育)」という表現が使われるようになりました。「マルトリートメント」は、子どものこころと身体の健全な育成・発達を阻むすべてを含んだ呼称になります。子どもの前で、両親が激しい喧嘩をすること(面前DV)もこれに含まれます。

虐待というと「自分には関係がない」「当てはまらない」と思ったり、人格が否定されたと感じて親が心を閉ざしてしまう場合があります。そうなると、虐待行為そのものが見逃されてしまうことに繋がりかねません。ですから、私はマルトリートメントという言葉が、もっと日本社会でも広く認知されてほしいと考えているんです。

マルトリートメントは家庭からのSOS

〈友田〉 
先日も東京で痛ましい事件がありました。いま日本では1週間に1人のペースで子どもの尊い命が虐待で亡くなっています。

厚労省が発表した平成30年度の厚生労働統計一覧では、全国の児童相談所に寄せられた児童虐待に関する相談対応件数は、ここ10数年にわたって右肩上がりで増え続けていて、実に159,850件に達しています。これは児童虐待防止法施行前の平成11年度と比べて13.5倍以上、前年と比べても約19.5%の増加で過去最高となっています。

〈潮谷〉 
DVの件数もどんどん増えています。大変な時代ですよ。

〈友田〉 
私のところにも潮谷先生がおっしゃったようなアタッチメント(愛着)障害に悩む親や子どもがいっぱい来ます。その中で感じているのは、いまの親は子育てが"空回り"しているということです。でも一所懸命なんです。ですから、私は親を否定するような言葉は一切言いません。虐待という言葉も使いませんし、代わりに先ほどのマルトリートメント、「困っている子育て」「困っている大人から子どもへの関わり」と言っています。

〈潮谷〉 
いまの親の多くは、自分の子どもをどのように育てればよいのか分からないわけですね。

〈友田〉 
その要因の一つには、やっぱり、核家族化が進んだことにあると思うんです。昔の日本人は祖父母と一緒に住んでいたし、近所の人も子育てを手伝ってくれていた。それが戦後の高度経済成長の中で、共働き世代が増え、実家とも離れて暮らすようになり、家庭という私空間が公空間から孤立してしまったんです。さらに昨今は母子家庭や父子家庭、外国籍家庭も増えています。子育てが「孤育て」になってしまった。

例えば、相談員がネグレクト(育児放棄)の家庭を訪れると、雨戸が閉まっていたので思い切って開けたら、ごみが散乱した部屋から蝿がバーッと出てきた。こんな例がいまの日本では後を絶たないわけです。孤立した親が子育てもできず、周りにうまく支援を求めることもできない状況なんです。

とにかく私がいま強く訴えているのは、マルトリートメントは親が責められることではなく、子育て困難な家庭からのSOSであると捉えましょうということ。これを社会全体で共有していくことがとても大事だと思うんですね。


(本記事は月刊『致知』2020年9月号特集「人間を磨く」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇友田明美(ともだ・あけみ)
昭和35年熊本県生まれ。熊本大学医学部卒業。平成2年熊本大学病院発達小児科勤務。15年米マサチューセッツ州の病院に留学。18年熊本大学大学院准教授を経て、23年より現職。同大学医学部附属病院子どものこころ診療部部長を兼任。日米科学技術協力事業「脳研究」分野グループ共同研究の日本側代表を務める。著書に『子どもの脳を傷つける親たち』『親の脳を癒やせば子どもの脳は変わる』(共にNHK出版)など多数。

◇潮谷愛一(しおたに・よしかず)
昭和14年熊本県生まれ。37年日本社会事業大学卒業。45年アメリカウィッテンバーグ大学交換留学。アメリカ・情緒障害児施設研修。元尚絅大学短期大学部助教授。59年から平成15年まで社会福祉施設・慈愛園子供ホーム園長。17年から九州ルーテル学院大学教授。27年から同名誉教授。熊本市社会福祉協議会会長も務める。 

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