2020年09月12日
11年前に発足した女子プロ野球リーグ。その第1回トライアウトに合格し、以来活躍を続ける選手がいます。三浦伊織さん、28歳です。京都アストドリーム(現・京都フローラ)に所属し、2014年には打率5割という驚異的な数字を叩き出し首位打者を獲得。令和元年、女子プロ野球界初の栄冠となる通算500本安打を達成されました。そんな三浦さんに、野球人生の原点から、勝負に臨む心の持ち方までを語っていただいた対談の一部をお届けします。(お相手は、女子柔道の旗手として、1988年のソウルオリンピックで銅メダルを獲得した北田典子さんです)
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
「久しぶりに野球に触れたい」で向かったトライアウト
〈北田〉
三浦さんはなぜ野球を?
〈三浦〉
私も家族の影響でした。
2つ上の兄が地元の少年野球チームに入っていて、父はチームのコーチをしていたので野球一家だったんです。兄の練習についていくうちに、私も小学校1年生の頃から男の子の中に一人交じって、一緒に練習するようになっていました。
野球の練習は土日しかなく、平日はいとこから誘われて硬式テニスの練習もしていたので、スポーツ中心の生活でした。ただ、中学校では男子野球部しかなかったため、仕方なくソフトボール部に入り、部活後に地元のクラブチームでテニスも続けていました。
高校でも野球ができるところを探しましたが、当時、女子野球部のある高校が全国に5、6校しかなく親元から通えなかったため、テニスで推薦をもらっていた椙山(すぎやま)女学園に進学し、高校ではテニス部に入りました。
〈北田〉
テニスでも活躍されていたそうですね。
〈三浦〉
3年間努力した結果、インターハイで団体ベスト4という結果を残すことができました。ただ、個人戦では結果を残せなかったので、今後の進路を模索していました。そんな時にたまたま目にしたのが「女子プロ野球発足」という新聞記事でした。これはもう、運命かなと思いました。
野球自体は小学校の6年間しかやっていないので、正直、入団テストに受かるとは思っていなかったんですけど、「久しぶりに野球に触れたい」「全国にどれだけ野球をやっている女の子がいるんだろう?」といった純粋な気持ちで試験を受けました。
会場には150人ほどが受験しに来ていて、周りのレベルの高さに圧倒されましたが、「せっかく大好きな野球が久しぶりにできるのだから、楽しもう」と思い直して臨んだところ、運よく合格でき、高校卒業後はそのままプロの道に進みました。
〈北田〉
それはすごい。
〈三浦〉
合格者は30名で、他の方はアマチュアの硬式野球で活躍されていた選手ばかりでした。そんな中で、高校時代にテニスをやっていた自分がなぜ合格できたのか、入団後に聞いてみたことがあります。そうしたら、「一番足が速かったからだ」と。
私自身はバッティングが得意だと思っていたのでその返答に驚きましたが、足の速さを活かして、1年目から一番・センターで試合に出していただいたおかげで、いまがあります。
500本安打達成の裏にあった思い
〈三浦〉
創設から3年目までは、女子プロ野球のリーグを創設したオーナーの厚意で、セカンドキャリアに活かせるようにと、無償で一期生30名が国家資格である柔道整復師になるための学校に通わせていただきました。
〔中略〕
私にとっては女子プロ野球という職に就かせていただけること自体がありがたいことなので、感謝の気持ちを持ちながら、与えられた環境の中で常に結果を出さなければいけないと思っています。勉強は得意ではありませんでしたが、柔道整復師の資格は1度で合格しましたし、その他の仕事も常に一所懸命をモットーにしています。
〈北田〉
特に教えを受けた方はいらっしゃいますか?
〈三浦〉
3年目の時の監督です。
私は1年目の時、打率がリーグ内2位で、2年目は3位でした。首位打者を受賞していたのは東京ヤクルトスワローズの川端慎吾選手の妹・川端友紀選手で、兄妹ということもあり、メディアからも注目を浴びていたんです。私はせっかくやるなら一位になりたかったので、どうすれば川端選手を越えられるだろうかと常に考えていました。
その時に監督から、「バッティングというのは、3日続けなければうまくならないけれど、1日でもやらなければ、一瞬で元に戻ってしまう」と教えられました。
それからはとにかく休まず練習することを心掛け、全体練習がない日でも、自主練習をするようになりました。やっぱり、皆が休んでいる時にちょっとでも練習しておくと、気持ちの面で全然違ってくるんですね。そうして自分で自分を奮い立たせながら、スキルを磨き、心も鍛えていきました。
〈北田〉
結局、自分はごまかせないですからね。
〈三浦〉
ただ、女子プロ野球には専用のグラウンドも練習場もないので、基本的に自分がしたい時に練習ができる環境ではありませんでした。そのため、時間を見つけてはバッティングセンターに通って、同じ打球を同じところに打ち返す反復練習をひたすら行い、感覚を体に覚え込ませてきました。
〈北田〉
そうした努力の結果、打率3割に達すれば好打者といわれる世界で、打率5割という驚異的な数字を叩き出すことができたのですね。
〈三浦〉
ただ、私が5割に達した2014年は、通常年間50試合以上あるところ36試合と少なかったんです。それに、自分の調子もよくて、2本に1本はヒットが打てたので、この数字を出すことができました。
〈北田〉
何か特別に意識したことはありましたか?
〈三浦〉
それまでは上半身ばかりに気をつけてバッティングをしていたんですけど、5年目から膝に意識を向けて練習をしてみたんです。するとヒットの確率が上がったので、それ以降ランニングなど下半身のトレーニングに重きを置くようになりました。
〈北田〉
柔道と同じですね。講道学舎でも毎朝1時間半、打ち込みの練習を徹底していたように、一見技に関係ないように見える基礎部分を強化することが、技術力の底上げに繋がりますよね。
〈三浦〉
先ほど首位打者を獲得していた川端選手の話をしましたが、通算100本安打、200本安打は先に川端選手が達成していたんです。それが悔しいので、300本安打は先に自分が到達すると心に決めていました。
相手が1本打つなら、自分は2本打つ。常にそういう闘争心を燃やして一本一本実績を積み重ねていった結果、2015年、プロ6年目で川端選手より先に通算300本安打を打つことができたんです。そして昨年には、女子プロ野球史上初となる500本安打も達成することができました。
〈北田〉
それはすごい。おめでとうございます。
(本記事は『致知』2020年9月号 特集「人間を磨く」より一部を抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。 ≪「あなたの人間力を高める人間力メルマガ」の登録はこちら≫
※購読動機は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
◇三浦伊織(みうら・いおり)
平成4年愛知県生まれ。21年日本女子プロ野球機構による第1回合同トライアウトに合格し、京都アストドリームス(現・京都フローラ)へ加入決定。22年椙山女学園卒業。26年打率5割を超え、首位打者に。令和元年女子プロ野球リーグ初の通算500本安打を達成。〝女イチロー〟の異名をとる。