戦争と115通の恋文、いま伝えたい願い【戦後75年の夏:あの時代に生きた人々を思う①】

2020年は先の大戦から75年の節目となる年。75年といえばほぼ人ひとりの一生に等しい時間です。当時を生きた方々も少なくなったいま、記憶や思い出を語り継ぎ、次の世代へと伝えていくことが大切ではないでしょうか。そんな思いを込めて、今夏WEBchichiでは、あの時代を生きた方々、お一人お一人の顔が見えるような、心に響く逸話を全3回にわたってお届けします。
第1回の本記事では、南方戦線で大隊長を務めた山田藤栄さんについて、妻・しずゑさんが送った恋文を手掛かりに、文筆家・稲垣麻由美さんに紐解いていただきました。

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セピア色の手紙の束

……此の間、野中に参りましたとき、一人でなつかしくなって蔵の中に入り、お父様がお召しになってゐた服を身につけてみました。お父ちゃんの在りし日を思い出してね、感無量といふ処でした。でもまだまだ悲しい運命にゐる人も沢山おられますからね、辛抱しませう。きっときっとお父ちゃんのお帰り迄は、何時迄も元気でお待ちして居ります。朝の間、一寸ペンを走らせました……
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これは先の大戦中、南方戦線で大隊長を務めた山田藤栄さんに宛てて、妻のしずゑさんが認めた手紙の一部です。感情を揺さぶるような文に、行間から溢れる思慕の念。初めて見た時、私は圧倒されました。

書籍のプロデュースを生業にする私が、このセピア色の恋文に出合ったのは7年前。仕事の縁で参加した料理教室でのことです。私に手紙を渡したのは、教室を主宰する渡辺喜久代さんという70歳の女性でした。教室のあと、「戦地でお父ちゃんが紐で綴った、お母ちゃんの手紙があるんだけど、これどう思う?」。そう言って、風呂敷包みを手渡されました。1キロはあったでしょうか。115通の黒褐色に染まった手紙の束が私の目の前に現れました。それは昭和12年から約1年の間、しずゑさんが夫へ送ったものでした。

見た瞬間、直感的に、「これで一冊の本を書きたい」。そう思いました。絶対にいい本になると確信したのです。ところが出版社やテレビ局に持ち込むものの、笑い飛ばされ、悉く却下されました。山田さん夫妻が有名でないことが理由の一つでした。

それでも、この素晴らしい恋文をどうしても人々に知らせたいという、私の思いは変わりませんでした。人の理解を得るには、まずは私自身が戦争のことを知らなくてはいけないと思い、当時のことを調べ始めたのです。そして預かった手紙を精読し、一通一通、パソコンに打ち込んではウェブ上に公開しました。その一連の作業を繰り返していた時、手紙の全貌を解明するある出合いがありました。

フィリピンの日本人男性から、「山田藤栄さんのことを調べているみたいですね。ところで山田さんに関する本が出版されていることを知っていますか」とメッセージが送られてきました。

驚きでした。薦められた本を読むうちに、少しずつ藤栄さんのこと、南方戦線のことが明らかになってきたからです。

南方戦線と山田藤栄

藤栄さんが戦った南方戦線では60万人の日本人が亡くなりました。大東亜戦争全体の死者が約300万人ですので、いかに悲惨だったかがわかります。しかもほとんどが戦闘ではなく、飢えと疫病が原因でした。

殊に食糧難は深刻でした。物資を運ぶ船は航海途中に狙われ、次々と撃沈されました。藤栄さんたちには、フィリピン・ミンタルに着いた時点で自活せよ、と命令が下ったといいます。最初こそ何とかなったものの、敗残兵になると状況は一変します。飢餓の状態は残酷の一語であり、自分の傷口に蠢く蛆を食べながら、気づかず肉まで食べてケラケラと笑っていた人もいたと手記に残されていました。

藤栄さんは、そういう極限の中にあって、どう生きたのでしょうか。身近にいた友近美春参謀長はこう記します。

「山田大隊長は特志だが、なかなかの手腕家で、大尉であるけれど百師団の大隊長八名中、軍を抜いた戦上手である……戦のコツもよく知っとるが、部下もよく可愛がる。それだからこの大隊長が来てからは、逃げていた部隊がみな続々復帰してきて、『この人の下でなら死んでもかまわぬ』というようになった。偉いものである」と。

素晴らしい人柄だったのでしょう。別の文献には捕虜になった際、現地民が「山田を殺すな」と嘆願したという記述もありました。昭和21年、氷砂糖と干しぶどう、そして妻からの手紙だけを持ち復員した藤栄さんは、誰からも愛される男だったようです。記録を通してそういう人柄に触れた時、奥さんがご主人を慕い、手紙を送り続けた理由が分かる気がしました。

それにしても、当時、激戦地に手紙を持っていくことが本当にできたのでしょうか。この疑問を解いてくれたのは山田部隊の一員として南方戦線を戦った方でした。99歳のご高齢でありながら、藤栄さんが大隊長の身分であったことと米兵が私信に無関心だったために、この手紙は激戦地で無傷のまま残ったと説明してくださったのです。

戦争についてマスコミに一切語らなかったこの方は、私にだけ重たい口を開き、戦争の真実を語ってくれました。そして、藤栄さんのことを本にすることをとても喜んでくださいました。残念なことに、拙著『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』を送った翌日に息をひきとられ、本はご家族が棺桶に入れてくださったそうです。

不思議なもので、私は最初、恋文を紹介するために本を出そうとしていました。それが縁を紡ぐ中で、手紙のこと以上に背景にあった戦争の真実を知ってほしいと思うようになりました。

若い人にとってフィリピンは観光や語学留学の場所かもしれません。しかし、そこは60万人もの日本人が非業の死を遂げた場所でもあります。その事実を知り、いまと未来を考えるきっかけにしてほしい。それがセピア色の恋文に込められた願いであり、その願いを伝えることが私の使命だと思っています。

(本記事は『致知』2016年4月号 連載「致知随想」より一部を抜粋したものです)

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◇稲垣麻由美(いながき・まゆみ)
1968年兵庫県生まれ。日本の文筆家・ブランディングディレクター。株式会社一凛堂代表取締役。株式会社一凛堂代表取締役。著書に『戦地で生きる支えとなった115通の恋文』(扶桑社)、『人生でほんとうに大切なこと』(KADOKAWA)ほか。

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