31歳、借金10億円からのV字回復。旧弊を脱した老舗旅館・陣屋女将の経営改革に学ぶ

2009年のある日突然、31歳という若さで10億円の借金を抱える老舗旅館の女将となった宮﨑知子さん。旅館管理システムの開発、週休3日制の導入など、既存の枠に囚われずに改革を断行し、僅か2年で黒字化を実現させました。客単価は4倍、売上高は2倍に増加。一方で、従業員の離職率も大幅に低下――。驚きの経営改革成功の秘訣と、危機を乗り越えてきた道のりを伺いました。

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ある日突然知らされた借金10億円

――女将になられたいきさつを教えてください。

〈宮﨑〉 
それが、女将になる1週間前まで全くやる気はありませんでした(笑)。陣屋の跡取りだった主人と2006年に結婚したんですけど、主人は継ぐ気はなく、主人の両親もそれを了承していたんです。主人はホンダのエンジニアとして働いていました。

ところが2009年夏、2人目の出産予定日の10日前に環境が一変しました。私が切迫流産のために入院していると、義母から突然、「借金が10億円あって、旅館の経営がかなりまずい状況にある」と知らされたのです。

話を聞くと、義母が10億円もの借金をつくったわけではなくて、バブル崩壊後、10年、20年と少しずつ積み上がっていった借金が、リーマン・ショックによって手がつけられない状況になってしまったとのことでした。

前年に陣屋のオーナーだった義父が急死し、義母も過労から入退院を繰り返すようになっていて、実の息子である主人にどう切り出せばいいのかと、その時相談されたんです。それで私が入院先から電話越しに主人に状況を伝えたところ、開口一番、「ホンダの生涯賃金を超えてる」と言われました。

――普通に働いて返せる金額ではない……。

〈宮﨑〉 
自分たちで返せないのであれば、すべてを手放すしかありません。義母の今後の生活費だけでも賄えればと思い、M&Aで売却した際にどれだけ財産が手元に残るのか、いろんな所に見てもらいましたが、どこも使い物にならないと。1社だけ運営権を買ってもいいというので、買い取り額の見積もりを出してもらったところ、土地、建物、従業員、すべてを含めてたったの1万円でした。しかも、「借入金の保証人からは抜けないこと」という条件付き。なので、失敗したら借金だけが残るんです。

――厳しい条件ですね。

〈宮﨑〉 
その会社はホテルチェーンでしたので、主人にどんなホテルを運営しているかお客さんとして見てきてもらったんですけど、どれもピンとこないと言うので、任せるべきじゃないと判断しました。そうしたら、もう自分たちでやるしかないんです。

ですから、やりたいかやりたくないかとか、できるかできないかとか考える余地もない。右にも左にも行けなくて、私たちが進めるのは一本道、しかも後戻りはできません。娘が生まれて2か月後の10月に、10億円の借金だけを抱えて陣屋の女将に就任しました。

外堀を埋めて改革を断行する

――当時の社内はどのような状況でしたか?

〈宮﨑〉 
社員は陣屋の危機的な経営状況を全く気にしておらず、「90年も続く老舗だから何とかなるだろう」「オーナー家が頑張るんでしょ」という意識しかないんです。

うちは客室が20部屋しかありませんが、当時従業員は120人もいて、旅館の入り口で太鼓を叩いて出迎える人、食事を客室の手前まで運ぶ人など、皆単体のタスクしかやらないんです。部門を超えた全体の助け合いも全くなくて、フロントがものすごく忙しくても、手が空いている社員は見て見ぬ振りでバックヤードで休憩している。それが日常茶飯事でした。

――どういうことから改革に着手されましたか。

〈宮﨑〉 
改革といっても、その頃私たち夫婦は31歳でほぼ最年少。何かお願いしても返事が返ってくるだけで実際に動いてくれることはありませんでした。だったら物理的に動かすしかないんです。

当時、最も効率が悪かったのが敷地内に2か所あったレストランで、厨房が離れているので互いに手伝いに行くことは皆無だったんですね。なので、レストランを1つ潰して1か所に集約すると決断し、就任から2か月後の12月で閉じました。

もちろんそこを愛している社員もいるので、ただ感情論だけで止めるのではなくて、過去2年分の予約台帳を持って帰り、主人と協力して全部エクセルに入力し稼働率を算出して、「これだけ採算が取れてないので止めざるを得ません」と数字で説得しました。

――改革への覚悟が感じられる決断です。

〈宮﨑〉 
あとはITの導入です。私が女将になった2009年は既にスマホが普及し始め、徐々にIT化が進んでいた時期でしたが、陣屋は驚くほどアナログ社会。毎日A2の大きさの予約台帳をA4の紙に書き写して社員に配り、厨房にある大きなホワイトボードに当日のお客様の名前やアレルギー情報などを書き込んでいました。

でもこれって、翌日も全く同じ作業をするのでものすごい非効率ですし、情報が蓄積されることもないため、お客様が再度来館してくださっても、もう一度アレルギーを聞かなければならないんです。

また、転記があればあるほどミスが増えますし、1日分を書くだけでも1時間半くらいかかる膨大な作業量。そんな時間があれば接客してほしいので、ITの導入を検討し始めました。

でも大手が提供しているホテルシステムは高くて買う余裕がなく、カスタマイズするにも時間もお金も掛かる上に、100%現場の要望が通るとも限りません。私たちの欲しいサービスが世の中に存在しないのなら、自分たちでつくってしまおうと、主人が中心になって進めることになりました。

――技術面はどう解決しましたか。

〈宮﨑〉 
それが不思議なことに、ちょうど元SE(システム・エンジニア)がフロント係を志望して応募してきたんです。面接で主人と意気投合し、検討していた新しいシステムの具体的な製作方法などをその場で話し合ったそうです。しかも翌日から働けるというので、即決で採用が決まりました。面接したのが年末で、正月休み明けからつくり始めていましたね。

実は年明けの3月には資金がショートしそうで、物事を一旦保留にする余裕も、解決策を待っている暇もなくて、その場その場で即決していかないと潰れてしまうような状況だったんです。

そうした切迫感もあり、彼に夜勤をしながら開発してもらい、その年の3月の予約から管理システムを導入することができました。

――社員から反発などはありませんでしたか?

〈宮﨑〉 
反発しても、「もう決めたことで、これを使わないと会社は存続できないので使ってください。使いにくいのであれば必ず改善するので教えてください」と言って断行しました。

そして陣屋コネクトを使わないと仕事ができないように外堀を埋めていきました。まず、いままであったA2の予約台帳表を閲覧することは許可するけど、書き込むことは一切禁止しました。でも、習慣って恐ろしいもので、紙があると書きたくなってしまうんですね。なので、書き込ませないために最初の頃は毎晩予約台帳を家に持って帰ってました(笑)。

あとは、大きなホワイトボードへの書き込みも減らなかったので、外してしまおうと思ったら埋め込み式で取れなかったので、ガムテープを貼って書けなくしました。それで、ホワイトボードと同じくらいの46インチほどある大きなモニターを買って、そこに予約情報を日々映し出すので文句を言わせないようにしていました(笑)。


(本記事は月刊『致知』2018年2月号 特集「活機応変」より一部を抜粋したものです)

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◇宮﨑知子(みやざき・ともこ)
昭和52年東京都生まれ。平成18年結婚。21年鶴巻温泉元湯陣屋旅館の女将に就任し、以後経営改革に取り組む。年商を約2倍の5.6億円に、旅館の稼働率も全国平均の約2倍の76%と奇跡の復活を遂げた。24年陣屋コネクトの設立に寄与する。

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