秩父の地が生んだ世界一のウイスキー「イチローズ・モルト」はいかにして生まれたか

イギリスで毎年開催される国際的なウイスキー品評会、「ワールド・ウイスキー・アワード」にて、2017年以来3年連続世界最高賞を受賞している「イチローズ・モルト」。いまや日本を代表する銘柄の一つとなったこのウイスキーの歩みは、肥土さんがウイスキーへの情熱をもって創業したベンチャーウイスキーの歩みとそのまま重なります。本記事では、会社創業の経緯と「イチローズ・モルト」に懸けた思いを語っていただきました。

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廃棄されかけた原酒400樽

一瞬、会場全体がどよめいたのは、最高賞の座を射止めた商品が予想外だったからでした。「イチローズ・モルト」のコールに誰もが驚きを隠せずにいましたが、その中にあって最も驚いたのは、おそらくつくり手である私自身だったことでしょう。

世界的なウイスキーのコンペティション「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)」の日本地区代表を決める大会では、主にサントリーとニッカとの間で賞が長年行き来をしていました。そこに埼玉県秩父市の小規模蒸留所でつくられた「イチローズ・モルト」が、十数部門あるうちの一つで最高賞に躍り出ただけに、愛好家の間でも随分と話題になったものです。忘れもしない2007年のことです。

以来、国内最高賞を毎年のように受賞していく中、遂に世界の舞台でも最高賞(シングルカスクシングルモルト部門)を獲得したのは、2017年のことでした。

振り返れば、過去にはウイスキーづくりを断念せざるを得ない状況に追い込まれたこともありました。それでもこのウイスキーを世の中に出したいという一念が実を結んだことに、私はいまも時折深い感慨を覚えるのです。

秩父の地で私の先祖が酒づくりを始めたのは、1625年に遡ります。その後、代々受け継がれること300有余年、1941年に新たな工場を同県羽生市につくって本社としたのは、19代目の祖父でした。当時、戦争の影響で原料の米が不足していたため、新天地で合成清酒や焼酎などにも新たに挑戦。ウイスキーづくりの免許を取得したのは戦後、進駐軍向けの需要を見込んだからでした。

大学卒業後、大手酒造メーカーでマーケティングや営業に従事していた私が、父親の誘いに乗って家業に就いたのは30歳直前のこと。徐々に芽生えていた酒づくりへの思いを断ち切れなかったからでした。事前に経営状況が思わしくないことは父親から告げられていましたが、実情は想像以上に厳しいものでした。しかも日本酒の市場規模は年々縮小傾向にあったことから、遂に2004年には経営権を手放さざるを得なくなってしまったのです。

新オーナーの打ち出した方針は明確でした。日本酒や焼酎など回転の速い酒づくりを維持する一方で、熟成に長年月を要するウイスキーの切り捨てが決められたのです。

しかし、貯蔵庫には当時400樽ほどが保管され、中には20年近く熟成されていたものもありました。それらが廃棄されるのは、20歳目前の子供たちが捨てられるようなものです。それが私にはどうしても我慢なりませんでした。そのまま会社に残るという選択肢を捨て、ベンチャーウイスキーを立ち上げたのは、そういった思いに突き動かされたからでした。

故郷・秩父ならではのウイスキーを

実はそうした決断を下した背景には、もう一つ別の思いもありました。社内では大手の商品に比べて飲みづらいと言われていた自社ウイスキーですが、私には個性的で面白いという印象だったのです。

そこで都内でも有名なバーのマスターを訪れて意見を求めたところ、「面白いね、これはどこで買えるの?」と評価は上々。また、薦められるままに世界のウイスキーを飲み比べてみると、どれもそれぞれに個性的でおいしいではありませんか。これをきっかけにウイスキーの虜となった私にとって、ウイスキーづくりに本格的に取り組みたいと思うようになったのは当然の流れだったのかもしれません。

しかし、会社設立後には早くも壁にぶち当たります。ウイスキーの樽を本社から持ち出そうにも、ウイスキー製造免許を持つ製造所への移動でなければ、酒税法上多額の税金がかかるというのです。自社にはまだ免許がなく、しかもそれだけの大金を捻出できないとなれば、他に受け入れてくれる製造所を探すしか道はありません。

しかし、当時はウイスキーの需要も低迷していたこともあって、台所事情はどこも一緒です。どの製造所も私の申し出に難色を示す中、唯一助け舟を出してくれたのが、福島県郡山市にある笹の川酒造の社長でした。ここに至ってようやく本格的なウイスキーづくりに向けた第一歩を踏み出せたことを思うと、いまも感謝の念に堪えません。

私は父親から引き継いだ原酒をもとに、様々な味わいをつくり出そうと挑戦を始める一方で、蒸留所建設を視野に海外視察も敢行。細部までこだわった蒸留所を生まれ故郷の秩父に立ち上げたのは2008年のことでした。

蒸留所では原酒の品質に目を光らせるべく大小様々な取り組みを行っていますが、こと熟成に関しては土地柄に助けられていると言ってよいでしょう。秩父は盆地ゆえに春夏の寒暖差が大きく、それが熟成を大いに促進させ、秩父らしい味わいのウイスキーが年々育っているのです。

おかげさまで昨年に続き今年(2018年)もWWAの一部門で世界一を射止めたことは、さらなる励みとなりました。また、年々高まる需要に経営者としては嬉しい半面、ウイスキーの一愛好家の視点として長期熟成のために在庫をどれだけ残していくかというバランス感覚がいま求められています。

今年、秩父で初めて樽詰めしたウイスキーが丸10年を迎え、3名だった社員もその間14名まで増えました。ウイスキーが時間をかけて熟成していくように、人も時とともに成長する。その思いを胸に、ベンチャーウイスキーはこれからも前進していきます。

(本記事は『致知』2018年6月号 連載「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです。

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◇肥土伊知郎(あくと・いちろう)
昭和40年生まれ。東京農業大学農学部醸造学科を卒業後、サントリーを経て、家業である酒造会社へ入社。平成12年に代表を引き継ぎ、16年には営業譲渡し退社。同年9月、ウイスキーの企画・技術指導を行う会社、ベンチャーウイスキー社を創立。18年6月「ウイスキー・マガジン」誌上コンテストにて、カードシリーズの「キング・オブ・ダイヤモンズ」が最高得点を獲得。19年に「トゥー・オブ・クラブス」がWWAの熟成年別ベストジャパニーズ・シングルモルトを、20年には「ファイナル・ヴィンテージ・オブ・ハニュウ」と「23年」が3部門中2部門を獲得するなど、各種ウイスキーコンテストで受賞多数。

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