(限定連載)いま伝えたい服部剛の感動の日本史講義【第1回】「日本特許第一号 堀田瑞松」 

終わりの見えないコロナ禍の中、全世界の人々が不安を抱えながら日常生活を送っています。なかでもエネルギー資源を持たない日本のような国は自給の道も限られ、一体どうしたらよいのでしょうか。こんな時こそ「向上心の権化」とも言うべき偉大なる先人・堀田瑞松(ほったずいしょう)の気概を学んで、元気を奮い立たせたいものです。

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芸術家として大成した瑞松

8月14日は専売特許の日です。明治18(1885)年、日本人が最初に特許を取った日にちなんで定められました。特許取得の第一号は堀田瑞松という人で、その内容は塗料でした。その名も「堀田錆止塗料及ビ其塗法」。錆止め塗料と塗り方に関する特許です。瑞松が起業した会社は今も「日本化工塗料」として存続しています。

堀田瑞松は、天保8(1837)年4月12日、兵庫県の豊岡市に刀の鞘を細工する塗師の跡継ぎとして生まれました。幼少から抜群の技量を誇り、16歳で家業を継ぎました。21歳の時、京都に上り、彫刻や書画の腕を磨きました。なかでも厚漆の板に絵を彫刻する「鉄筆」という技は絶妙で、天才と称されました。28歳の時、その名声が孝明天皇に聞こえ、水晶の玉を載せる台を彫刻するよう命じられます。

瑞松は「数個の水晶を置くのなら、台も水に縁のある波の形が良いだろう」と考え、渦巻く波の間からそこかしこと水晶が浮かび出る形にしようと決めます。そこで、各地の海岸を歩き廻って波の形を見極めようとしましたが、納得がいく波の形を発見できませんでした。 

そんな折、豪雨で鴨川が大氾濫を起こします。瑞松は豪雨の中を衝いて三條大橋へと急ぎました。橋は今にも崩れんばかり。警戒の者たちに止められるも、瑞松は「御用のため、命に懸けても橋の上から渦巻く波の有り様を調べなければならぬ。許さるべし」と橋の中央まで進み、欄干に掴まって一心不乱に水面を見つめました。

風雨は益々烈しく、橋桁もぐらぐらと揺れ始めます。警戒の者たちは「早く逃げろ」としきりに叫びますが、瑞松は「たとえ藻屑となっても、これぞという波を見極めなければ一歩も退かない」と見つめること1時間ばかり。心にかなう波形を見定めると、急いで家に帰り、服も濡れたまま刀を執って、一気に波濤を刻み上げたといいます。瑞松が命がけで完成させた壮麗で迫力ある置物台を目にした孝明天皇はたいへん喜ばれました。実は「瑞松」の名は、この時、孝明天皇から頂いたのです。

堀田瑞松

発明家に転身

この直後に世は明治維新を迎えます。瑞松は数々の博覧会で受賞し、その名声は益々上がり、彫刻の大家として知られていきました。41歳の時、明治政府から宮内省御用を拝命し、東京に出ることになりました。瑞松は博覧会の審査官や博物館委員などを務める一方で、その妙技を明治天皇はじめ、米国前大統領グラントや国賓に披露しています。 

ある日、政府要人らが「鉄製の船舶は海水によって船底を浸食されてしまうので、半年ごとに塗装しなおさなければならない。もっと強力な防錆塗料があれば、世界の大きな利益になる」と話しているのを聞きました。たちまち瑞松の探求心に火がつきました。 

瑞松は漆を船底塗装に応用することを思いつきます。もともと漆の工芸家でもあった瑞松は、鎧兜や南部鉄器などに塗られた漆の優れた防錆機能を知っていたのです。試行錯誤の末、鉄船用の「防錆漆塗料」を完成させ、実船テストも成功しました。瑞松は農商務省の専売特許所(今の特許庁。当時の所長は、のちのダルマ宰相こと高橋是清)へ出願し、ついに日本特許第一号を取得しました。瑞松、48歳の時でした。 

この後、瑞松は介虫や海藻が船の外壁に付着するのを防ぐ「介藻防止漆」の開発にも成功し、特許を得ました。 

瑞松の漆塗料が海軍の試験に好成績をおさめた頃、来航中のロシア軍艦ドンスコイに依頼されて塗装したところ、翌年、再来航した時に劣化が見られなかったことから、瑞松の名声は欧米に轟きました。そして、明治23(1890)年、ついに漆塗料は日本海軍に正式採用されました。 

次に瑞松は、漆塗料の海外進出を企てます。しかし、調べてみると日本国内の漆生産量ではとても足りません。そこで、国産漆を増産するための「堀田式漆樹栽培法」を開発し、東北地方に広めていきました。こうして、瑞松は漆の生産増大にも成功します。 

そして明治38年(1905年)、瑞松はついに渡米して純日本技術である漆塗料の普及に努め、企業化を推進します。すでに68歳になっていました。瑞松のすごいところは、6年間の滞米中にも漆塗料で数々の成果を収め、米国の特許を2件も取ってしまったことです。 

しかし残念ながら、当時の米国が不況だったことに加えて、漆の価格はどうしても高額になってしまうことから、企業化はあきらめざるを得ませんでした。

瑞松の遺産

瑞松は、自らの芸術の妙技について次の言葉を残しています。

「我はかつて人に師事せしことなし。我が師は即ち自然なり。造物の妙趣、之を採りて以て我が有となすべきのみ」

先の三條大橋での怒濤のエピソードにあるように、瑞松の迫力ある作品は「自然」を厳しいまでに観察することで成り立っていました。「我が師は即ち自然なり」という瑞松の姿勢は、自然科学を探求する精神に通じるものがあります。この科学者としての資質を持っていたからこそ、瑞松は数々の発明を生み出していったといえるでしょう。

明治44(1911)年、瑞松が米国から帰国すると、その活躍は国内でも大評判になっていました。帰国後も瑞松の向上心はまったく衰えず、「日本漆業研究所」を設立して研究を押し進めます。大正2(1913)年、76歳になった瑞松はそれまでの研究を集大成した『堀田式防錆塗料』で新たな特許取得に成功したのです。

 そして、大正五(1916)年9月8日、堀田瑞松はチャレンジ精神に満ちた人生の幕を閉じました。79歳でした。

瑞松の志は息子の賢三が継ぎ、日本海軍艦艇用の塗料を生産する企業が設立されました。漆塗料はたいへん優れた機能を持っていましたが、やはり高額で大量生産が難しかったため、やがて石油系の塗料に押され、消えていくことになりました。しかしながら、瑞松の挑戦は日本伝統の漆技術を世界に認めさせた偉業であったことに変わりはありません。

実をいうと、この漆塗料は近年、注目を浴びるようになっているというのです。漆は酸素と酵素の作用によって固まります。原理的に欧米の石油系塗料とは違うのです。平成10年代に、日本の研究者によって、この漆の原理を応用した「人工漆」が作られました。これはシックハウス症候群の原因となる有害な気体が出ません。しかも製造にかかるエネルギーが少なくて済むので、環境に優しく、持続可能な社会に貢献するのだそうです。漆塗料の復活が見えてきました。明治の偉人・堀田瑞松の夢、再びです。

武漢コロナウイルスが世界に広がり始めてから3ヶ月以上がたちました。日本の対応は緩い方でしたが、各国は国境や都市を封鎖して移動制限、工場の閉鎖、店舗の休業などを実施しました。経済は停滞し、世界の株式相場は急落しました。コロナ後の世界は明らかにグローバル社会の危険性を踏まえて、ナショナルな方向に回帰していくでしょう。

急速な社会変動で人々のライフスタイルの変革は避けられません。新しい学び方、多様な働き方に適応していくことが求められます。そんななか、瑞松の人生が示してくれた「向上心」こそ、コロナ後を生きる私たちに必要なものではないでしょうか。また、瑞松の塗料は漆を主成分として鉄粉や柿渋、生姜などを加えて作られており、すべて「国産原料」にこだわっていました。まさにナショナルで独自性のあるものを追求していたのです。

芸術家としても、発明家としても一流。晩年になっても、熱い向上心を持って新しいことに挑み続けた瑞松の生き様に励まされます。瑞松は、その記録も乏しくほとんど歴史に登場することがありませんが、決して忘れられた日本人にしてはいけませんね。

【参考】
・石原藤夫「日本特許第1号を得た堀田瑞松」
・日本化工塗料株式会社 社史「波濤を越えて(pp. 24-56)」
・日本化工塗料株式会社HP https://www.nippon-kako.co.jp/column/C-1.html

 

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◇服部剛(はっとり・たけし)
昭和37年神奈川県生まれ。学習塾講師を経て、平成元年より横浜市公立中学校社会科教諭となる。元自由主義史観研究会理事、現・授業づくりJAPAN横浜(中学)代表。著書に『先生、日本ってすごいね』(高木書房)『感動の日本史』(致知出版社)などがある。

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