「医療の届かないところに医療を届ける」 ジャパンハート代表・𠮷岡秀人の原点と理想

1995年、軍事政権下のミャンマーに独り渡った𠮷岡秀人医師は、貧困層の医療の状況を目にし、医師としての自分の役割を模索し始めます。私財を投じて国際医療奉仕団「ジャパンハート」を設立、日本の歴史に根差した〝真の日本人にできる国際貢献〟を目指して活動を続ける𠮷岡医師に、その理想に燃えて生きた半生について語っていただきました。※このインタビューは『致知』2007年3月号 特集「命の炎を燃やして生きる」に掲載された時のものです。

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劣悪な環境の中で学んだこと

〈𠮷岡〉
私がこの組織を運営している大きな目的は、海外での医療体験を積ませて日本の若い人たちを育てることですから、なるべくたくさんの人を受け入れるようにしています。他の組織なら面接や書類審査をして語学力がないと落としたりもしますが、私たちはそういう評価方法はとりません。

ただし、みんな無給です。住居と食料は組織がサポートしますが、それ以外は飛行機代も含めて全部自腹です。自分のためにやるのだから給料は要らないだろう、と考えているからです。「それでもいい人は来てください」と言っているのですが、たくさんの人がやってきます。私はそこに日本のポテンシャルを感じているんですけどね。

――最初、一人でミャンマーに出掛けた時はどんな印象でしたか。

〈𠮷岡〉
確かに遅れているなと。ただ、それは仕方ないんです。医療というのは経済抜きでは発展しないものだからです。日本の医療にしても、本格的に欧米に追いついたのは80年代になってからなんですよ。

いま政府を含めた多くの団体や組織が海外で医療活動を行っています。NGOが貧しい村に入っていって衛生教育をしたり、官公庁が医師を派遣して医療を教えたり。それは間違っていないけれど、効果は薄いと思います。なぜなら、そこに経済という概念がないからです。村の経済レベルを上げれば、村の衛生レベルは一気に上がるんですよ。

でも、経済そのものを持ち上げないままいくら衛生教育をやっても、その人たちが帰って半年か一年もすれば元に戻ってしまいます。経済が変わらなければ、医療は流通しないのです。

ミャンマーの田舎は経済状態がひどいから、医療もそれに見合ったレベルでしかありません。日本で言うなら昭和20年代ぐらいのレベルです。

 〔中略〕

――現地スタッフも雇われているそうですが、やはり日本人スタッフとは違いますか?

〈𠮷岡〉
完全雇用しているスタッフは、私たちと同じ心、同じペースで働いています。でも、向こうの病院のスタッフは思うようには働いてくれません。

ただ、それは仕方がないと思っています。無理やり価値観を合わせようとして、強制力を使って言うことをきかせる必要はない。私たちは自分たちのやり方で淡々とやり続ければいいんです。私たちの活動を現地の人たちが喜んでくれるなら、時間はかかっても、やがて受け入れてくれるようになります。

国際協力を山登りに例えると分かりやすいのですが、期間が限られている中で登ろうと思うと、人はなるべく高くまで登ろうとするものです。

ところが、一生涯登り続けなければならないとしたら、「いまを楽しんで生きる」という行動体系に変わるんです。時には山の斜面に出て空を眺めたり、時には昼寝をしたりして、ゆっくり登っていけばいいと考えるようになる。そうすると逆に、いまの瞬間に集中できるわけですね。

要するに、自分の生き方の中から時間という概念を取り払ってしまうのです。時間に縛られている限り、その中からの発想しか出てこないけれど、それを取り払うと新しい世界観が生まれてくるのです。

この世のものとは思えない美しい世界

――そういう考え方をするようになったきっかけは何かあるのですか。

〈𠮷岡〉
初めてミャンマーに行った時、悟ったことがあります。なんとか命を助けようと一所懸命に頑張っても、助からない人は山のようにいる。逆に、ちょっと失敗したなと思っても、元気になる人もたくさんいる。その時、医者って何なんだと考えたのです。

そしてある時、ふと思いました。人の生き死にの結果は医者の手の中にはない。結果が出るまでのプロセスが医者としての私の人生のすべてなのだ、と。

その人が助かろうと助かるまいと必死になってやる。悩んで苦しんで、時には喜べる。それが自分の人生なんだと分かりました。人生というのは質が大切なのであって、結果に振り回される必要はないと気づいたのです。

――結果は自分の外にあると。

〈𠮷岡〉
結果というのは私の人生じゃなくて、相手の人生なんですね。相手の人生をコントロールしてはいけないと悟ったんです。私にできるのは自分の人生をより良くコントロールしていくことだけです。

病気というものを通して一人の患者さんと向き合う時に、どう考え、どう行動し、どういう思いで治療するかということしかない。それが分かったわけです。でも、当時の私は、いまの私から見るとまだまだなんですよ。

――どういうことですか?

〈𠮷岡〉
例えば、切り立った断崖があるとしますね。そこに行けば、この世のものとも思えない美しい景色を見ることができる。だから、みんなその場所を目指すのですが、危ないからなかなか近づけない。10年前の私は、その断崖から10メートル手前にいたと、いまではよく分かります。滝の落ちる激しい音が聞こえ、水しぶきまで飛んでくるけれど、その景色を目で見るまでには至っていなかった。

私は大学時代に武道をやっていて、ある空手家のこんな言葉に触れました。

「地位を求めず、名誉を求めず、金を求めず。地位や名誉や金は、あなたがそれを使って世の中のために頑張るために、天から与えられるものだ」

この文章に出合った時、自分もこう生きたいと思いました。そしていま、私は自分の組織をつくって、時間も財産もすべてをそこに注ぎ込んで、断崖の上に立っています。目の前には恐ろしいけれど、信じられないほど美しい景色が広がっています。

それは素晴らしい世界です。だから、看護師さんや医者にも、人生の一時でもいいからここに来て、この景色を見たほうがいいと言っているのです。見ると人生観が変わります。本当に大切なものが何か分かるはずです。

――しかし、そこまで行くには大変な覚悟が必要でしょうね。

〈𠮷岡〉
確かに大変です。特にいまの私は医療だけではなく、マネジメントもやりますし、お金の問題もある。人も集めなくてはいけませんからね。

でも、何も逆境のない完璧な状態というのは、むしろ危険なんです。逆境を楽しむまでいかなくても、常に自分の中に必要悪として飼っておく必要があると最近は思っています。邪魔をする人がいても、排除するよりうまく折り合いがつく方法を見つけ出すのが、長く続ける方法だと考えていますから。

そういう意味で、逆境は自分にとって必要なものなんです。


(本記事は『致知』2007年3月号 特集「命の炎を燃やして生きる」から一部抜粋・編集したものです)

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◇𠮷岡秀人(よしおか・ひでと)
昭和40年大阪府生まれ。小児外科医師。大分大学医学部卒業後、大阪、神奈川の救急病院で勤務。平成7年から9年までミャンマーにて医療活動に従事。その後帰国し、国内のいくつかの病院勤務を経て、15年4月より再びミャンマーにて医療活動を始める。16年4月国際医療奉仕団ジャパンハートを設立、代表に就任。

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