2023年03月10日
東北地方を中心に甚大な被害をもたらし、日本全土を揺るがした東日本大震災が発生してから、早くも12年が経ちました。しかし2万人以上の死者・行方不明者を出したこの歴史的大地震が残した傷跡は、未だ癒えたとは言えません。翻って、いまを生きる私たちが忘れてはならない教訓は何でしょうか。震災当時、学校管理下になかった5人を除く児童・生徒約3000人が津波から逃げ切り、「釜石の奇跡」と称賛された岩手県釜石市の防災教育。その功労者である防災研究者の片田敏孝さん(群馬大学大学院教授)のお話から考えます。
釜石の奇跡はかくて起こった
防災研究者として多くの被災現場を見てきた片田さんが、釜石市での防災教育に着手したのは2006年でした。過去に市を襲った災害を現実として教える傍ら、〝避難三原則〟として次の3つ――「想定にとらわれるな」「その状況下において最善を尽くせ」「率先避難者たれ」――を伝え、学校の子供たち、またその保護者に身を守る重要性を力説。そして授業の最後に、こう問い掛けたそうです。(以下、記事より抜粋)
〈片田〉
学校での防災教育は、年間5時間から十数時間行ったが、子供たちに教えたことを彼らの中だけで完結させてしまうと、家庭や地域へと広まってはいかない。そこで私は授業の最後に次のことを問い掛けた。
「君たちは先生が教えてきたとおり、学校で地震に遭えば絶対に逃げてくれると思う。だけど、君たちが逃げた後に、お父さんやお母さんはどうするだろう?」
すると、子供たちの表情は一斉に曇る。お父さんやお母さんは自分のことを大事に思うがゆえに、学校まで自分を迎えに来るであろうこと、そしてその帰結がどうなるかが想像できるからである。私は続けてこう話をした。
「きょう家に帰ったら、お父さんやお母さんに君たちが教えてあげるんだ。『いざという時は、僕は必ず逃げるから、お父さんやお母さんも必ず逃げてほしい』と。そのことを心から信じてくれるまでちゃんと伝えるんだ」
その日は授業参観日だったため、子供たちだけがいる場でそう言い聞かせた一方、保護者が集まっている場所へも行き、次のように話をした。
「私が行った授業を踏まえ、子供たちはきょう、“いざという時は、僕は必ず逃げるから、お父さんやお母さんも必ず逃げてね”と一所懸命に言うと思う。
あの子たちは、お父さんお母さんが、自分のことを心配してくれるがゆえに命を落としてしまいはしないかと心配している。でも皆さんも、子供たちが絶対に逃げてくれると信用できないと、自分一人で逃げるという決断がなかなかできないだろう。だから、その確信が持てるまで、きょうは十分話し合ってほしい」
そして最後にこんな話をした。
「東北地方には“津波てんでんこ”という言い伝えがある。津波がきたら、てんでんばらばらに逃げないと家族や地域が全滅してしまうという教訓だ。
しかし、これを本当に実行できるだろうか。私にも娘が一人いるが、例えば地震がきて娘が瓦礫の下敷きになっていたとしたら、たとえ津波がくることが分かっていたとしても、たぶん私は逃げないと思う。どう考えても逃げることなどできない。
にもかかわらず、先人はなぜこんな言葉を残してくれたのだろう。私はその真意を考えた。おそらくこの言葉には、津波襲来のたびに、家族の絆がかえって一家の滅亡を導くという不幸な結果が繰り返されてきたことが背景にある。その苦渋に満ちた思いとともに我々の先人が残してくれたのが、“津波てんでんこ”という言葉ではないか。
その意味するところは、老いも若きも、一人ひとりが自分の命に責任を持てということ。そしていま一つの意味は、家族同士がお互いに信じ合っていることが大事だということではないだろうか。
子供は、お母さんは必ず後からちゃんと迎えに来てくれると、お母さんを信頼して逃げる。一方、お母さんは、子供を迎えに行きたいが、我が子は絶対逃げてくれているという信頼のもと、勇気を持って逃げる。これは家族がお互いに信用し合っていなければできない。“津波てんでんこ”とは、自分の命に責任を持つということだけではなく、それを家族が信じ合っている。そんな家庭を築いておけ、という意味ではないだろうか」
今回の震災で、釜石では市全体で約1300人が亡くなったが、学校の管理下になかった5人を除いては全員が生き残ってくれた。さらにその3000人の小・中学生の親を調べてみると、亡くなったのは40人程度で、全体から見ても少ない数となった。これは子供を通じて行った親や地域への防災教育の取り組みや“津波てんでんこ”の話がうまく伝わった結果ではないかと感じている。
危機管理の本質とは
今回の一連の出来事は“釜石の奇跡”といわれるが、私は奇跡というよりも、自分自身で命を守り抜くという姿勢を示してくれた子供たちを褒めてやりたいと思う。そして彼らの姿勢や行動は、いまの日本の防災現場においても強く求められるものだと感じている。
我々日本人は、自分の命を守るということに対して他人任せになってしまっている部分が多く、身の危険をほとんど感じることもなく平和に暮らしている。
しかし、今回の震災を通じて、自分たちがいかに無防備な中に生きてきたか、またそういう姿勢でいることがいかに脆弱なものであるかを思い知らされたのではないかと思う。
私の知り合いにアメリカで長年暮らしてきた友人がいるが、彼は学校で
「街で一人倒れているのを見たら助けろ。二人倒れていたら気をつけろ。三人倒れていたら逃げろ」
と教わったという。アメリカ人は、そのように危険と向かい合わせで暮らしながら、自分の命を守り抜いていく姿勢がいかに大切かを、学校でも教わっている。
日本ではそうした教育がほとんどなされていないが、これほど自然の豊かな国で暮らすということは、本来、危険と向かい合って生きていることに他ならない。
先ほど非常ベルの話を例に挙げたが、人間はリスク情報をなかなか真っ当に処理することができない生き物である。例えば、交通事故で年間約4000人が亡くなっていると聞いても、自分自身が交通事故で死ぬと思う人はほとんどいない。ところが、宝くじの一等賞が4000人に当たると聞けば、妙に自分が当たるような気がする。
その確率が同じであったとしても、自分にとって都合のよい情報は大きく見積もり、都合の悪い情報は小さく見積もるという“正常化の偏見”がそうさせるのである。
かく言う私もその例に漏れないが、基本的にリスクに備えようとしない、もしくは備えることができない自分自身をどう律するか。それこそが危機管理の本質であり、いざという時のために備えておくという姿勢の問題であると言えるだろう。
(本記事は月刊『致知』2011年8月号 特集「リーダーの器量」から一部抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。 ≪「あなたの人間力を高める人間力メルマガ」の登録はこちら≫
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昭和35年岐阜県生まれ。平成2年豊橋技術科学大学大学院博士課程修了後、岐阜大学工学部土木工学科助手などを経て現職。