2024年03月11日
多くの犠牲者を出した東日本大震災から13年の月日が過ぎました。しかし、東日本大震災がもたらした悲しみと苦しみはいまなお日本人の中に強く刻まれています。大震災の記憶を風化させないためにも、経営する旅館が被災し、ご自身も命を失いかねない壮絶な体験をしながら力強く再起に向けて歩んでいる大鍋屋代表・熊谷浩典さんの記事をご紹介します。
「通り過ぎない嵐はないんだ」
(熊谷)
来る、津波が来る。かつて経験したこともない大津波がすぐにやって来る。
気仙沼の旅館「大鍋屋」の長男として生まれ育ち、湾の形状から潮の流れまで熟知する私は、5年前の3月11日、突如襲い掛かってきた凄まじい地震の直後にそう直感しました。
オートバイで外出していた私は、すぐに方向転換し、渋滞する車と道路の亀裂を懸命にかわして旅館に戻りました。幸い建物は無事でしたが、窓ガラスが粉々に散乱し、母がそれを一所懸命掃き集めていました。
「そんなことはいいから、すぐ逃げて!」
私はそう叫ぶと、海岸へ向かって走りました。旅館の船が大波で転覆したり、他の船にぶつかって破損させてしまわないよう、安全な場所に移さなければならなかったからです。1年前のチリ沖地震以来、そろそろ宮城県沖にも大きな地震が来ると言われていたため、待避場所の目星はつけてありました。
避難警報が鳴り響き、人々が慌ただしく山のほうへ移動する中、私は同じ目的で湾にやって来た人たちと情報交換しながらエンジンをかけ、いつでも船を出せる準備をしました。程なく海水が恐ろしい勢いで沖に吸い込まれ、内湾の海底がみるみる露出し始めました。
来たかっ!
水平線に目をやった途端、全身に粟が生じました。沖の海面が、白い波頭をいただき山のように盛り上がっていたのです。それは私の予想を遙かに超える高さでした。沖に出ていた何艘かの漁船が、慌てて進路を変えるのが見えました。
もう逃げられない。一刻も早く船を安全な場所に移して波をやり過ごすしかない。そう肚を括って船に飛び乗ると、不思議と気持ちが落ち着きました。
一波、二波、三波……繰り返し襲い掛かる大波と、その合間の強烈な引き波。船が呑み込まれないよう、私は何時間もの間、無我夢中で波と格闘しました。高波に持ち上げられた船から見下ろす気仙沼の街は、一切の命の存在すら感じられないほど蹂躙し尽くされていました。近くを何人もの人が流されていくのを為す術もなく見送り、途中で1人の男性を何とか船に救い入れるだけで精いっぱいでした。
夕方になると、あちこちで火の手が上がり始めました。火は油を吸った瓦礫によって湾内一体に燃え広がり、船は何度も炎と黒煙に囲まれました。船を放棄し泳いで避難する覚悟もしつつ、何とか逃げ道を見出しては炎を搔い潜りました。地震発生から約7時間後、ようやく瓦礫だらけの岸に降り立った私は、僅か500百メートルほどの距離を一晩かかって歩き、旅館に戻ったのでした。
周囲の状況はあまりにも凄惨で、この地域に再び人が住めるとはとても思えませんでした。幸い家族も旅館のスタッフも無事でしたが、建物は泥濘にまみれ、電気も水道もガスもなく、当初は旅館を再開することなど考えも及びませんでした。
それでも数日後には、人捜しに訪れる方が増えてきたため、旅館を営む者としてできる限りのことをしようと気を取り直し、状態のよいお部屋を無償で使っていただくことにしました。近くの井戸で水を汲み、ロウソクで明かりを点し、1台だけ壊れずに残っていた石油ストーブで暖をとり、調理をし、まるでキャンプ生活のような毎日を送りながら復旧作業を続けました。
家族のように懇意にさせていただいていた常連のお客様がお亡くなりになったのは、痛恨の極みでした。荷物を引き取りにお見えになった奥様は、最初は気丈に振る舞っておられましたが、最後にご挨拶を賜り、玄関をお出になった途端に泣き崩れてしまわれました。一体幾人の方々と、そうした悲しみの涙をともに流したことでしょう。
ともすれば被害の大きさに心が折れそうになり、何をやっても虚しく感じられることもありました。せめていま自分が立っている場所だけでも綺麗にしようと、泥だらけになった1枚の畳に無心で雑巾をかけ、日に干しました。綺麗になった畳を再び敷いて座ると、何とも言えず心が安らぐので、また1枚綺麗にする。そうして少しずつ綺麗な場所が増えていき、2か月半で全館の修復が完了。7月には営業再開に漕ぎ着けたのでした。
最後まで気持ちが途切れなかったのは、明治28年の創業以来、この旅館を代々守ってきた先祖の思いを、四代目館主として深く自覚させられる出来事があったからです。
当初は廃業を決意し、せめて看板だけでも残しておこうと大工さんに取り外しを依頼したところ、どうやっても外れないとのこと。あぁ、これはきっと看板を下ろすなという先祖のメッセージに違いない、と思い至ったのです。あれほど多くの人命が失われた大津波から奇跡的に生還できたのも、旅館を続けてほしいという先祖の思いに導かれたからに他ならない。私はいまでもそう信じています。
当館をご利用くださっている船頭さんが繰り返しておられた、
「通り過ぎない嵐はないんだ」
という言葉にはどれほど励まされたことでしょうか。その言葉を信じて、長い階段を1段ずつ昇るように無心に復旧の努力を積み重ねて今日があります。そしてこれからも、自然に対する謙虚な姿勢を崩すことなく、お客様のため、地域のために、自分にできることを1つひとつ積み重ねていく考えです。
(本記事は『致知』2016年8月号「思いを伝承する」から一部抜粋・編集したものです。)
◇熊谷浩典(くまがい・ひろのり)――大鍋屋代表
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