ドラマ「病院の治しかた~ドクター有原の挑戦~」で話題 相澤病院改革の軌跡——相澤孝夫理事長に聞く

24時間、365日、どんな患者でも受け入れる充実した医療体制で、全国の民間病院の注目を集め、地域の人々からも厚い信頼を得ている相澤病院(長野県)。しかし、かつては職員の離職が絶えず、病棟の一部は閉鎖に追い込まれるような状況だったといいます。その病院の経営再建に取り組んだ相澤孝夫理事長は、どのように組織や人材を蘇らせていったのでしょうか。

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職員がどんどん去っていく

(――家業の相澤病院はどのような経緯で継がれたのですか。)

(相澤) 

実は、博士号を取っていく中で父が亡くなりまして、1981年、34歳の時に、僕は副院長として相澤病院に入ることになったんです。その頃は、外科医である叔父が院長をやっていたんですが、医師の人数に比べ患者さんがすごく多くて大変でしたね。

とにかく忙しく、病院内に個室をつくってもらって、ほとんど家に帰りませんでした。子供たちの入学式、卒業式にもほとんど行っていません。ああ、これも父と同じことをやっているんだ、面白いなと思いながら、外来・入院の患者さん、さらに父から受け継いだ往診の患者さんを受け持って、もう死ぬほど働きました(笑)。

――家に帰れないというのは、凄まじい仕事ぶりですね。)

(相澤) 

その頃はバブル経済で日本の景気もすごくよくて、人材をどう育て組織をどう動かすか、効率的にどう経営していくかなんていう意識が全くないまま皆働いていました。医師も組織に属しているというよりも、個人商店の集まりみたいな感じでしたね。ところが1991年頃から、仕事が辛かったのか、看護師さんがどんどん辞めていくようになったんです。そしてとうとう60床の病棟を閉鎖しないといけなくなりました。

――閉鎖まで追い込まれた……。)

(相澤) 

気づけば累積赤字も膨らんでいて、地元でも、相澤病院は潰れたようだ、別の企業に買収されたようだとの噂も流れました。

その時に僕は、いずれ自分が後を継ぐんだから、組織改革をしてきちんと経営していかなければ病院はだめになると危機感を覚えたんですね。それである経営勉強会に参加することにしたんです。

――その経営勉強会ではどのようなことを学ばれたのですか。)

(相澤) 

講師の先生から教えられたのは、リーダーの役割は上から強引に圧力をかけるのではなく、職員がやる気を持って自主的に働ける仕組みをつくり、生産性を効率的に上げていくこと。その組織に集まった人材の能力や考え方によってリーダーシップの発揮の仕方も違ってくるということです。

それから、特に印象に残っているのが、自分の強みと弱みを知り、リーダーとしてその強みはなるべく出さないほうがいいという教えです。要するに、リーダーは自分の弱みを周りの人たちから助けてもらえるようになりなさいと。質問用紙に従って、自分の強みと弱みを分析してもらうのですが、これは大変勉強になりましたね。

リーダーの覚悟が組織を変える

(相澤)

ただ、勉強会で経営について学んだとはいえ、実際に病院を改革するとなると、院内が改革賛成派と反対派に分かれて揉めるなど、本当に苦労の連続でした。

――改革は具体的にどのように進めていかれたのでしょうか。)

 (相澤) 

まず、一緒に病院を何とかよくしていくんだという志を同じくする仲間、同志をつくることから始めました。僕もまだ40代で若かったこともあって、職員たちとお酒を飲みながら腹を割って自分の思い、志を話しました。そうして、「このままではいけない。ぜひ一緒にやりましょう」と、ついて来てくれる数名の仲間が支えてくれ、相澤病院の基本方針をつくって、僕が理事長になった1994年に改革が始まったんです。

最初から一人でやろうとして刀を振り回しても、絶対に討ち死にしてしまいます。僕はよき仲間に恵まれたのが本当によかった。

――まず志を同じくする仲間をつくることが大切なのですね。)

(相澤) 

もちろん、一方的に思いを伝えるだけでは仲間になってはくれません。「自分はこう考えている」「何年後には医師を何人、看護師を何人にしよう、医療はこうしよう」「1年目、2年目、3年目はこうなる」というように、しっかりとした将来像、計画を具体的に示し、皆にこれなら実現できると思ってもらうことが必要です。

あと、最初の頃に力を入れて取り組んだのが、病院の雰囲気、職員の心を明るくすることでした。

――病院の雰囲気、職員の心を明るくする、その取り組みについて詳しくお話しください。)

(相澤) 

経営がうまくいってない時って、どうしても全体の雰囲気が悪くなってしまうでしょう? 職員が明るくなければ、患者さんを明るくすることもできません。

ですから、職員たちの気持ちが少しでも明るく前向きになってほしい、また、地域の方にも病院のことをより知ってほしいとの思いで、「病院祭」というお祭りを企画し、バザーや各部署をアピールする演劇などをやったんですね。

私も、職員たちを前にしたスピーチで、当院のこれまでの歴史などにも触れ、いま取り組んでいる改革が職員や患者さんにとってどれだけ必要とされているか、大変だけど、力を合わせて一緒に頑張ろうという思いを伝えました。

さらに、病院の建物自体も明るくしようと考えたのですが、建物を新しく建て替える予算はありませんから、トイレや玄関などを掃除して、ピカピカにしました。

――病院の掃除を。そこにはどのような思いがあったのですか。)

(相澤) 

やっぱり、人の心と形・外部環境は関係していて、その一方の改善に取り組んでもうまくいかないという思いがありました。実際、心と環境の両面を明るくしていくことによって、職員の気持ちも前向きになっていきました。

そして、理事長になって2年目頃から、年功序列の給与制度を廃止し、その人の能力をきちんと評価して、頑張った分だけ給与が上がっていく、業績に貢献した分だけボーナスに反映させる、という仕組みもつくっていきました。

どういう方法でやるかはそれぞれですが、人を動かし組織をよくしていくためには、とにかく年齢とか役職ではなく、職員の頑張りに応じた処遇をすることがものすごく大事だと思ったんですよ。それは、経営トップが職員一人ひとりの頑張りをしっかり見ているというメッセージにもなります。

――自分の仕事が公平に評価されることが、職員のモチベーションにも繋がっていくわけですね。)

(相澤) 

ええ。あと、バブルの頃に投資していた3億円相当の有価証券を全部売り払い、また、自分の給料も半分まで減らしました。

これは、相澤病院は投資などではなく、あくまで医療で勝負していくんだという覚悟をトップとして示すためです。口でいくら頑張ると言っても意味がない、リーダーの覚悟は目に見える形で示すものだという思いがありました。 

(本記事は月刊『致知』2019年5月号「枠を破る」の記事から一部抜粋・編集したものです。あなたの人生、経営・仕事の糧になるヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

 ◇相澤孝夫(あいざわ・たかお)

昭和22年長野県生まれ。48年東京慈恵会医科大学卒業後、信州大学医学部第二内科入局。56年相澤病院副院長、平成6年理事長・院長就任。平成29年より現職。一般社団法人日本病院会会長。

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