2023年10月26日
いま俳句が国民的なブームとなっています。その火つけ役となったのが、俳人・夏井いつきさんです。俳句経験ゼロの素人の句を添削し、見事な句に変えてしまう様はテレビでもお馴染みです。その夏井さんに、人生の歩みと共に、俳句の楽しみ方、味わい方を教えていただきました。
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俳句は誰にでも親しめるもの
〈夏井〉
俳句ブームをとおして私が嬉しかったことの一つは、俳句は特別なものではないということを皆さんが広く認識し始めたことです。
俳句は決して高尚な文学ではありません。平安時代や鎌倉時代、貴族や武士は和歌を嗜みました。和歌には使ってはいけない言葉があり、雅なものという考えもおそらく当時からあったに違いありません。
しかし、連歌から「俳諧の連歌」ができる江戸時代になると、次第に庶民のものになりました。その段階で生まれた俳句は猥雑なエネルギーに満ちているのです。
私は「俳句にはやってはいけないことは何もない」といつも言っていますが、どのような醜悪なもの、痛々しいもの、醜いもの、汚いものでもすべて句材としてOKです。反対に芭蕉や子規を神格化してみたり、俳句は美しく清らかなものだと考えたりした瞬間に俳句は根腐れしていくというのが私の考えです。
ご存じのように俳句は五七五の十七音からなっていますが、五音ほどは季語に取られますから、残りは十二音。この十二音を呟くことができたら誰にでも俳句をつくることができます。
例えば「きょうはうどんを食べました」という十二音はそのままでは単なる呟きにすぎません。これに季語をつけることで呟きが俳句に変わります。
秋の風きょうはうどんを食べました
この句には「いつもなら、もっといいランチを食べているんだけど、忙しいしお金もないからうどんにしたんだ」という、どこか切なさが感じられます。
では、季語を「秋うらら」に変えたとしたらどうでしょう。
秋うららきょうはうどんを食べました
「秋うらら」とは春のようなうららかな秋の日という意味の季語ですが、うどんの味が変わってこないでしょうか。「この店のおいしいうどんがずっと食べたかったんだ」という思いがきっと感じられるはずです。これが俳句の最も基本的な型です。
俳句は型を覚えながら、パズルのように言葉を組み立てていきます。型を一つ覚えるだけで、5分で一句詠めるようになります。日常の自然の中で季語を体験しながら、その型を自由自在に使えるように反復練習するのが俳句を詠む上での大切なポイントとなります。
ちょうど柔道や剣道の選手が形を、バレーボールの選手であればフォーメーションを身につけるために黙々と練習や筋トレを積み重ねるのと同じです。その意味で俳句は理系、体育会系にも通じる文学と言えるかもしれません。
このように、俳句に全く触れたことのない人たちのための扉を開いてあげるのも、私の俳句の種まきの大きな狙いです。
書店には俳句の入門書が並んでいますが、そのほとんどは俳句を山に譬えると一合目まで来た人たちのためのものです。初心者のための入門書としては少し難解です。
そこで私は、テレビに出て、句会では誰にも選ばれないレベルの芸能人さんの句を添削したり、俳句経験ゼロの人たちを対象にした入門書を出したりしています。
俳句が百年後も富士山のような高くて美しい山であってほしいし、そのためにも広くて豊かな裾野を育てるための活動を続けていきたいと思っているのです。
俳句には人生を前向きにする力がある
〈夏井〉
私が俳句と出合ったのは、中学校の国語教師になった年でした。
たまたま懇親会の係になった時に、懇親会に5分間ほど遅れてくる先生がいて、乾杯までの間を持たせるために、番号ではなく俳句によって座席を決める作戦を思いついたのが最初です。
もちろん、私に俳句の心得があったわけではありません。しかし、即興で作句したこの時の経験は、俳句は難しい、教養がいるといった概念を壊し、勝手に高く設定したハードルを下げる大きなきっかけともなりました。「俳句は面白い、性に合う」と思った私は、それ以来、自分なりにこっそりと嗜(たしな)むようになったのです。
愛媛県南部にある海辺の町の小さな本屋で、黒田杏子先生の句集を偶然手にしたのはその頃です。何気なく読み進めるうちに「この俳人はすごい。弟子になろう」とすぐに決めました。
弟子といっても東京まで訪ねていくわけではありません。先生が選者をされている俳句誌の購読者となって投句をするようになりました。この投句を通して俳句の面白さにいつの間にか惹かれていったように思います。
大好きだった教師をどうしても辞めなくてはいけない状況に陥った時、私は自分を納得させるために「俳人になる」と啖呵を切りました。俳句だけで生計を立てる決心をしたのは、その後、シングルマザーになった時でした。
とは言え、二人の子供たちを気にかけてくださったのでしょう、元同僚や先輩の先生方から国語の講師の仕事を紹介されることもありましたが、啖呵を切った以上、信念を崩すのがただ悔しい一心でせっかくの話を断り続けました。
しかもシングルマザーとなれば、状況はより厳しくなります。俳句の仕事など簡単に舞い込んでくるものではありません。おまけに、その頃の松山は保守の鉄板のような土地柄で「若い女性がペラペラと語りながら俳句を飯の種にしている」という冷たい空気もありました。
私は「俳句で食べていく以上、世間様のお役に立つ仕事でなくては通用しない」と考えを変え、それがその後の種まきへと繋がっていったのです。
〔中略〕
私たち俳句を詠む人間にとって吟行は日常の一部です。仲間と一緒のピクニックなどはもちろんですが、例えばタクシーに乗っている時もご飯をつくっている時も、その心持ちさえあればすべてが吟行です。
目や耳など五感から入ってくる情報でアンテナに触れるものがあれば、すぐに掬い取って句帳にメモし、その五感を頭の中で変換し文字に変えていきます。
* * *
昔のことですが、吟行をしながら頭の中で言葉をこねくり回していてウンザリしたことがありました。
その時、墓石の隙間に生えるスミレがふと目に止まり、瞬間、ハッとしました。自分の脳味噌から出てくる言葉は自分以下のものでしかない、スミレや石、風、空のほうが私の灰色の脳細胞よりも、よっぽど新鮮な情報を持っていることを教えられたのです。五感を働かせることで、そんな体験をすることも少なくありません。
俳人の世界ではよく
「生憎という言葉はない」
と言われます。
「きょうは生憎の雨で桜を見ることができない」。これは一般人の感覚ですが、俳人たちは「これで雨の桜の句を詠める」と考えます。雲に隠れて仲秋の名月が見えない時には「無月を楽しむ」、雨が降ったら「雨月を楽しむ」と捉えます。これは日本人ならではの精神であり、俳人の心根にあるものなのかもしれません。
(本記事は月刊『致知』2018年12月号 特集「古典力入門」から記事の一部を抜粋・編集したものです)
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◇夏井いつき(なつい・いつき)
昭和32年愛媛県生まれ。8年間の中学校国語教諭を経て、俳人へと転身。俳句集団「いつき組」組長。平成27年「俳都松山大使」に就任。『プレバト!!』の俳句コーナーをはじめ多くのメディアに出演。著書に『世界一わかりやすい俳句の授業』(PHP研究所)『寝る前に読む一句、二句』(ワニブックス)など多数