関東大震災から東京を復興させた男——後藤新平から学ぶべき防災対策

大型台風の爪痕が消えないうちに、新型コロナウイルスが全世界に蔓延、さらにその渦中で九州地方が豪雨に襲われました。大規模災害からいかに立ち直るか——これは日本人にとって不変のテーマなのかもしれません。今回ご紹介するのは、かつて関東大震災で壊滅的な打撃を受けた首都を甦らせた東京市長・後藤新平。感染症対策でも手腕を発揮した後藤の歩みを、元東京都副知事で、明治大学大学院教授を務める青山 佾(やすし)さんに解説していただきました。
〈写真=国立国会図書館・近代日本人の肖像〉

◎各界一流の方々の珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数NO.1(約11万8000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。

たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら
購読動機は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください

災害に強い鉄橋、公園を整備

大被害から復興の道を模索するいま、再び注目を集めている人物がいる。東京市長や帝都復興院総裁を歴任し、あの関東大震災(1923年)で壊滅的打撃を受けた首都・東京を見事に甦らせた後藤新平である。

後藤が目指したのは復旧ではなく復興であった。震災を機に東京を大改造し、欧米に負けない近代都市にすること。これは後藤が外務大臣就任を求めた思いにも通じていた。つまり、欧米列強の脅威に屈しない国づくりの一環だったのである。

そのためにはまず、防災力をつけることが急務であった。関東大震災では、地震そのものより火事で亡くなった人のほうが多かった。これは隅田川に架かる橋が焼け落ち、住民が逃げ場を失ったことも要因であった。

そこで後藤は、隅田川に架ける橋をすべて鉄橋に切り替えるとともに、世界に誇れる橋の博物館を目指して、市民から橋のデザインを募集。それをもとに設計したのが、吾妻橋(あづまばし)や駒形橋などであり、21世紀のいまもなお使われ続けている。

一方、震災で焼けなかったのは、皇居や浅草寺など、広大なオープンスペースに囲まれた施設であった。そこで都心各所に公園を造成することを決め、日本初の川辺公園である隅田川公園をつくり、また小学校には防災公園を併設し、避難場所の役割も果たせるようにした。

延焼を食い止めるため40ⅿ級の道路を建設

多くの家屋が焼けたことを教訓に、不燃建築物の建設推進の一環として財団法人同潤会(どうじゅんかい)を発足。同会が東京・横浜に建設を進めた鉄筋コンクリートの集合住宅「同潤会アパート」は、日本の近代化を象徴する最先端の居住施設として話題になった。

さらに、延焼遮断帯としての道路の役割に着目し、新橋から三ノ輪までの16キロに及ぶ昭和通りを建設。完成時の道幅は44メートルと、当時としては破格の広さであった。交通量の少なかった当初は、中央にグリーベルトを敷設して公園道路とした。

昭和通り以外にも、幅40メートルの靖国通り、36メートルの晴海通りなどを建設し、さらに正式決定は総裁退任後となったが、環状道路計画も立案した。皇居を中心に放射状に延びる道路と周囲を循環する道路を組み合わせ、将来の交通渋滞緩和を目指したもので、現在の東京の都市構造の骨格となった。

後藤の功績をいま一つ挙げるなら、区画整理の実施がある。地主から強い抵抗を受けるため政治家は敬遠しがちだが、後藤は震災後に3600ヘクタールにも及ぶ区画整理を断行した。

見習いたい「無私の心」

後藤から学ぶべきことは何だろうか。

私は、無私の精神で復興に取り組んだ後藤の姿勢を挙げたい。彼は社会にとって最も必要なことは何かと常に己に問うていた。だからこそ、国政から東京市という一自治体の長に転身した。

我が国はこれまで、幾度も震災を乗り越えて発展してきた。関東大震災を経て東京は近代都市としての骨格をつくり上げた。阪神・淡路大震災に際しては復興を後押しする様々な法整備が行われた。それによって市民活動が活発になり、今回もボランティアの活躍が復興の大きな力となっている。

国政に携わる政治家には、いまこそ後藤のような無私の心でこの難題に取り組んでもらいたい。併せて重要なのが人づくりである。

後藤は下級武士の出でありながら、仇敵(きゅうてき)の西南諸藩に育てられて医師となり、児玉源太郎に抜擢され台湾でその政治的手腕を開花させた。自身もまた、台湾では新渡戸稲造を抜擢し、満鉄事業では「午前8時の人間」、つまりこれからの若い世代でこの事業をやろうと宣言。若く、やる気のある人材を集めて満鉄調査部をつくった。戦後の復興では、満鉄で育った人材が大いに力を発揮した。

こうした後藤の無私の姿勢、そして常に次の世代を考える姿勢こそが、我が国がこの試練を乗り越え、未来を拓く端緒(たんしょ)になると銘記せねばならない。


(本記事は月刊『致知』2011年7月号 特集「試練を越える」の記事から一部抜粋・編集したものです 

◎各界一流の方々の珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数NO.1(約11万8000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。

たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら
購読動機は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください

◇後藤新平(ごとう・しんぺい)
安政4(1857)年陸中国胆沢郡塩釜村(現在の岩手県奥州市)生まれ。明治15(1882)年内務省衛生局に入局。衛生局長、台湾民政長官、南満州鉄道初代総裁を経て、41年(1908)年第2次桂内閣で逓信大臣。その後、内務大臣、外務大臣を歴任し、大正9(1920)年東京市長。12(1923)年内務大臣帝都復興院総裁。その後も国の要職を歴任し、昭和4(1929)年死去。

◇青山 佾(あおやま・やすし)
昭和18年東京都生まれ。42年東京都庁経済局に入局。政策室、生活文化局などを経て、高齢福祉部長、計画部長、政策報道室理事などを歴任。平成11年~15年石原慎太郎知事のもとで副知事を務める。16年から明治大学大学院教授。著書は郷仙太郎のペンネームによる『小説後藤新平』(学陽書房)がある。

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

『致知』には毎号、あなたの人間力を高める記事が掲載されています。
まだお読みでない方は、こちらからお申し込みください。

※お気軽に1年購読 10,500円(1冊あたり875円/税・送料込み)
※おトクな3年購読 28,500円(1冊あたり792円/税・送料込み)

人間学の月刊誌 致知とは

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

閉じる