2019年10月20日
2014年12月、戦後最年長の41歳でプロ棋士になった今泉健司さん。しかしその夢を叶えるまでの道のりは、自分との戦いの連続だったといいます。今泉さんはいかにして自分の弱さを乗り越え、夢を掴まれたのでしょうか。
プロ棋士への挑戦
《今泉さんは、年齢制限のため1999年に奨励会を退会。その後、2007年三段リーグ編入試験に挑戦して合格されました》
〈今泉〉
「今度こそプロになるのだ」と情熱に燃えていたので、初戦から8連勝を飾り、リーグでトップを独走していました。
ところがその後、自分でも原因が分からないのですが、得体の知れない不安が襲ってきて、負け続ける悪夢を見るなど眠れなくなってしまったのです。相手が強大に見えて自信を失い、自ら負け試合に持ち込んでしまうこともありました。そこから怒涛の5連敗を喫し、一気に堕落してしまうのです。
人間はイメージに支配される生き物なのだとつくづく思います。悪いイメージに支配され、悪循環から脱することができないでいたため、再び以前の悪癖で遊びに走り、パチンコなどのギャンブルに熱中するようになったのでした。
自分の弱さから目を逸らし、強くなるための努力をしていないのですから、ライバルに差をつけられるのは当然です。結局、編入制度の期限である2年以内にプロになることができず、再び奨励会を退会せざるを得なくなりました。
――悔やみ切れない思い出ですね。
〈今泉〉
人間ですからマイナス思考になることは当然あります。でも、一流になる人はそれをプラスに変換する術を持っているのだと思います。
僕の場合、一度立ち止まってしまったら次の一歩が出なかった。そこから一気に下り坂を転がり落ちて、せっかくのチャンスを自ら無駄にしてしまったのです。この時はショックというより、「僕はプロ棋士になる能力がない」とはっきりと割り切れましたね。
よく、「試練や困難をどう乗り越えましたか?」と聞かれるんですけど、僕の場合、すべて自業自得です。だから困難を乗り越えたというよりも、受け入れるより仕方がなかった。結果は全部自己責任、この勝負の世界においては特にそうだと思います。
感謝と覚悟の力
―─その後はどのような歩みを?
〈今泉〉
福山に戻った時には36歳になっていました。両親から介護士の仕事を紹介してもらい、半年でヘルパーの資格を取って、老人ホームで働き始めたんですけど、そこはそれまでの常識が全く通用しない戦場でした。
名前を覚えていただけないのは当たり前で、奇声や喚き声が聞こえるのは日常茶飯事。いきなり利用者さんに殴られることもあるんですけど、それらの行動にはすべて理由があるのです。
相手の背景や考え方を知った上で日常生活のサポートを心掛けることで、初めて相手を慮るということを知り、それまでいかに自分のことしか考えていなかったかを痛感しました。
そこからですね、いろんなことが音を立てて変わり始めたのは。
――例えばどんなことですか?
〈今泉〉
僕は本当に仕事ができず、叱られることが山ほどあったんですけど、リーダーが僕のことを庇(かば)ってくださったり、黙って僕のミスをサポートしてくださる方もいて、ありがたいと心から感謝できるようになりました。
自分は一人で生きているのではない、皆様のおかげで生かされているんだということを、36歳にしてようやく気づくことができたんです。
―─大きな転機でしたね。
〈今泉〉
また、僕はこの仕事を通じて初めて、目の前で人が亡くなるという経験をしています。
その時に、人生は有限であり、人はいつ死ぬか分からないということを教えていただきました。そして、どうせ死ぬのなら「きょう1日も頑張った。よし、明日も頑張るぞ」と笑顔の中で死にたい。周囲の人たちを笑顔にさせてあげたいと、自分の人生に対する覚悟が定まったのです。
(本記事は月刊『致知』2019年10月号 特集「情熱にまさる能力なし」から一部抜粋・編集したものです)
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昭和48年愛知県生まれ、広島県育ち。62年14歳で奨励会に入会。平成11年26歳の時に年齢制限のため奨励会を三段で退会。19年33歳で三段リーグ編入試験に合格し、奨励会へ復帰するも、2年後に再び奨励会を退会。その後は、広島県福山市の介護施設で職を得て、26年まで介護ヘルパーとして働く。同年12月8日プロ編入試験合格。41歳でプロ入りするのは戦後最年長。