沖縄で遺骨収集60年——国吉勇さんの戦没者への思い

5月15日は1972年に沖縄が日本に返還された日。県内外では遺骨収集が進められてきました。このうち沖縄戦の遺骨収集は、対象者18万8,136柱のうち約2,880柱が未収(令和3年3月26日現在)のままです。
一人でも多くの方の遺骨を家族のもとに帰したい――。国吉勇さんは6歳で沖縄戦を体験し、高校2年生の頃からライフワークとして遺骨収集に当たられていました。2016年に弊誌『致知』でインタビューした内容を紹介します。

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ジャングルを掻き分け、断崖絶壁をよじ登る

――60年間、戦没者の方々の遺骨・遺品収集を続けてこられたそうですね。

〈国吉〉
いままでに掘り出した遺骨は約3800柱、遺品は約13万点に及びます。遺骨は糸満市にある平和祈念公園の国立沖縄戦没者墓苑に納めていて、遺品は自宅兼事務所の一室に「戦争資料館」という部屋をつくり、保管しているんです。

どこかにフルネームが書いてあれば、戦没者名簿を調べて遺族に連絡を取って、お返しするんですけど、分からないものがほとんど。だから、残念ながら返すことができない。

――一人で集められたのですか。

〈国吉〉
もちろん一緒にやってくれる人もいるよ。例えば、登山家の野口健、彼は毎年来ていて、今年も5月に20名くらいのグループで収集しました。あと、ジャーナリストの笹幸恵とかね。

他にも数名の人が手伝ってくれるけど、基本的には1人で毎日出掛けていくわけ。のこぎりやらハンマーやらつるはしやら、10キロほどの道具を背負って歩き、道のないジャングルを掻き分けたり、ロープで断崖絶壁をよじ登ったりする。

今年(2016年)3月で一応引退することに決めました。ただ、いまも時々手伝いに行ったりしているし、修学旅行生をはじめ、ここを訪ねてくる人たちに沖縄戦の真実を伝えているんです。

県の資料館にもこれだけのものはありませんよ。まあ、60年間、自分でもよくやったなと。自分で自分を褒めてあげたいとつくづく思っています。

置き去りにされた遺骨を拾ってあげたい

――遺骨収集に取り組まれるようになったきっかけは何ですか。

〈国吉〉
初めはね、小学校5年生くらいの時に、友達と探検ごっこをしていたんです。この辺にはガマがたくさんあってね、懐中電灯がないから自分たちでこしらえたランプを提げて、ガマの中に入っていく。

で、大きな石に躓いて転んだかと思ったら、ミイラ化した遺体だったわけ。よく見ると、至る所に遺体が転がっていた。

もう一つ、僕自身の戦争体験も影響していますね。僕は昭和14年の2月25日、真和志村(現・那覇市)に七男三女の六男として生まれました。沖縄戦を経験したのは6歳の時です。

戦局が悪化してくると、親父が馬車を持っていたから、それに家族みんな乗って、沖縄北部の山原に避難したんです。四畳半くらいの茅葺きの仮小屋にしばらく住んでいました。

ところが、そこでおふくろがマラリアに罹って亡くなり、弟と姪っ子が栄養失調で亡くなってしまったんです。さらに、3番目の兄貴は予科練(海軍飛行予科練習部)に合格したものの、乗っていた船が米軍に沈められて戦死。祖母は足が悪かったため山原に避難せず、親戚とともに自宅近くのガマに残ったんですが、亡くなりました。幼くして身内5人を失ってしまったわけ。

そういう体験が甦るたびに、生き残った者として、暗い壕や土の中で置き去りにされている戦没者たちを明るい場所に出してあげたい、遺骨を拾ってあげたいという思いが込み上げてきたんです。それで高校2年生の時から、本格的に遺骨収集を始めました。

沖縄戦の真実を伝え続けていく

〈国吉〉
その頃は、掘らなくてもそこらじゅうに転がっていたわけ。一つの壕の中に70~80体の遺骨があったりもしました。裏を返せば、それまで遺骨を収集する人がほとんどいなくて、ほったらかしにされていたということですよね。

最初は一緒にやっていた仲間が5、6人おったけど、みんな仕事を始めたり、家族ができたりするようになると、やめていきました。

――その中でも国吉さんは仕事の傍ら、遺骨収集を続けられたわけですよね。

〈国吉〉
高校を卒業した後は、いろんな仕事に携わりましたが、甥っ子が亜土消毒という害虫駆除の会社を立ち上げましてね。甥っ子は僕の姉の子供だけど、1年くらいで会社を手放したから、僕が後を引き継いだんです。

仕事のほうは比較的順調に増えていき、老人ホームや病院、学校とか大きな施設の害虫駆除を手掛けました。そのおかげで、仕事の傍ら遺骨収集を続けることができたし、男4人の子供を育てることもできました。

ただひたすら一途に遺骨収集に人生を懸けてきたのは、遺品と対面した時の遺族の喜ぶ姿が見たいからです。それが僕にとっての最高の喜びであり、楽しみなんです。

77歳を迎え、若い時のように道のないところを切り開いたり、急斜面を駆け上がったりすることはできなくなりました。だけど、これからも元気な限り、後輩の遺骨収集の手伝いをしたり、遺品の声なき声に耳を傾けて、訪れる人たちに沖縄戦の真実を伝え続けていきたいと思っています。


(本記事は月刊誌『致知』2016年11月号 特集「闘魂」から一部抜粋・編集したものです)

◇国吉勇(くによし・いさむ)
昭和14年沖縄県生まれ。6歳で沖縄戦を体験し、母親をはじめ5人の家族を亡くす。30年高校2年生の時から遺骨収集を始め、以来、仕事の傍らライフワークとして活動を続ける。掘り出した遺骨は約3800柱、遺品は約13万点に及ぶ。平成28年3月、体力の低下から現役を引退するも、いまも自宅の一室にある「戦争資料館」で来館者や修学旅行生に沖縄戦の真実を伝えている。

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