元自衛官・高山良二はなぜ、カンボジア地雷撤去に命を懸けるのか

ベトナム戦争が終局して40年余り、いまなお400万~600万個もの地雷が残存し、現地に暮らす人々が危険に怯えているカンボジア。この状況を憂慮し、17年にもわたって現地で地雷撤去活動に邁進している日本人がいます。高山良二さん(写真右、当時72歳)です。元は陸上自衛隊に所属し、自衛官としてカンボジアPKOに参加していたという高山さんが、現在の活動へと駆り立てられた理由とは――。高山さんの思い、生き方に感動し、著書『いのちの讃歌』(致知出版社)にてその活動を紹介した作家の神渡良平さんとの対談では、その原点が明かされています。

あまり便利にするのはよくない

〈神渡〉
「カンボジアで地雷撤去活動をなさっている素晴らしい人物がいるので、ぜひ会ってみてください」と紹介されたのが、高山さんとのご縁の始まりでした。

お目にかかってお話を伺い、いたく感動したので、すぐに横浜でやっている勉強会でお話しいただきました。するとすごい反響だったので、今年(2019年)2月、19名で現地を訪問した次第でした。
  〔中略〕
現地を訪れてまず驚いたことは、あのシャワーです。向こうは真冬でも気温は30度はあるので、一日行動すると汗びっしょり。それでシャワーを使おうとしたら、ペットボトルに穴を開けたものを使っていらっしゃる!

高山さんがおっしゃるには、皆さんから寄せられた浄財で地雷撤去活動を行っているので、自分たちの私的なことに使うわけにはいきませんと、あえて現地の方と同じレベルの生活をなさっていました。いやぁ、この方はすごいなぁと驚きました。地雷撤去活動もすごいですが、あのペットボトルのシャワーには心を動かされました。

〈高山〉
11月を過ぎると汲み置きした水ではかなり冷たくなるので、幾分温かい井戸水を浴びられるように工夫したんです。皆さんから「ペットボトル・シャワー」と呼ばれて喜ばれているんです(笑)。

トイレもしゃがんでやる方式のものをずっと使っていましたが、「お金を出しますから」と言ってくださる方がいて、最近一つだけ洋式に変えました。あまり便利にしたら、日本で生活するのと変わらなくなりますから。

8人目の犠牲者は絶対に出さない

〈神渡〉
それから、何と言っても印象に残ったのが、あの慰霊塔です。地雷撤去活動中に爆死された現地人七名の方々のためにお建てになったものです。高山さんはその前で、

「8人目の犠牲者は絶対に出しません。万一8人目を祀ることになるとすれば、それは私自身です。ここで精いっぱいお役に立って、最後は煙のように消えていきたい」

とおっしゃっていました。私は高山さんのそういう姿勢にとても心を打たれました。

〈高山〉
あの事故のことは一番伝えていかなければならないことです。もう10年以上も経つのに、あのことになると胸が詰まってしまい、なかなか上手く話せません……。

事故の分析はいろいろできるんですが、そんなのはどうでもええことでね。あの事故は100%私の責任です。地雷撤去を長く続けていると、ヘルメットを被るのがつい面倒くさくなったり、モチベーションとかがいろいろ落ちてきます。

それで私自身、いまから考えたら全く信じられないような判断をしてしまったんです。カンボジアで地雷撤去活動を始めた時、現地人を募集したら約100人も集まり、上手く立ち上がりました。それで有頂天になってしまって、半年経った頃、ちょっと日本へ帰って一服しようと思ったんです。

その判断がもうダメです。半年くらいで現場を離れてはならんのです、絶対に。もちろん私が留守の間、現場に専門家を張りつけてはいたんですが、100人の素人の地雷撤去隊員を見放したわけです。そしたら、その翌日にドーンとやられ、神様にどえらく怒られました。いや、怒られたじゃすまんですよね、7人も殺しとるんですから。

〈神渡〉
相当大きな事故だったのですね。

〈高山〉
私はすぐにプノンペン空港から車で12時間かけてとって返し、現場に駆けつけました。現場に空いた穴は、深さ1メートル半、直径5メートルもありました。私の見立てでは、対戦車地雷が8個くらい埋まっていたようです。その上に設置されていた、敏感な対人地雷に気づかずに触れて誘爆したわけです。

その晩はとても眠れませんでした。朝になって7軒のお葬式に参列すると、ちゃんと遺体が見つかったのは2人だけでした……。

活動は2か月ストップして、事故のトラウマで夜も眠れなくなった隊員の家に、毎日毎日通いました。私自身も頭が狂うくらい思い詰めました。その後も次々といろいろなことがあり、そこで立ち止まっているわけにはいきませんでした。何もしていなかったら、完全に頭がイカれていたはずです。対策で超多忙だったのでいくらか気が紛れました。

そこまでの思いがあってあの慰霊塔を建てたんです。日本の代表者は、あまり余計なことをしてくれるなと言いました。あの時私は、電話がぶっ壊れるくらい大声を張り上げて喧嘩しました。

要するにその代表者は日本に責任を負わされるのを心配しており、自分のことしか考えていない。いまの日本を表しており、日本民族もそこまで落ちたかと思って、本当に悲しかった。

〈神渡〉
日本に帰ってその慰霊塔のお話をしたら、その慰霊塔にぜひ仏教詩人の坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」のお地蔵さんを持って行ってほしいという要望がありました。今度伺う時、持って行きたいと思っています。

〈高山〉
ありがとうございます。年間150人くらいの日本人の方が現地を訪ねて来られますが、慰霊塔だけは欠かさず案内するようにしています。そこで我われ日本人が本来持っていた価値観を、もう一回取り戻してもらいたいんです。


(本記事は『致知』2019年7月号 特集「命は吾より作す」より一部抜粋・編集したものです)

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◇高山良二(たかやま・りょうじ)
昭和22年生まれ。愛媛県出身。地雷処理専門家。41年陸上自衛隊に入隊。平成4年カンボジアPKOに参加。14年陸上自衛隊を定年退官と同時に日本のNGOの一員としてカンボジアに赴き活動。23NPO法人国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)を設立、タイ国境に隣接するカンボジア北西部で活動。著書に『地雷処理という仕事』(筑摩書房)がある。

◇神渡良平(かみわたり・りょうへい)
昭和23年鹿児島県生まれ。九州大学医学部中退後、新聞記者や雑誌記者を経て独立。38歳の時脳梗塞で倒れリハビリで再起。闘病中に書いた『安岡正篤の世界』(同文舘出版)がベストセラーに。現在では執筆の他、全国で講演活動を展開。著書に『安岡正篤 立命への道』『下坐に生きる』『いのちの讃歌』(いずれも致知出版社)など。

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