松平洋史子×石川真理子 武家の祖母から学んだ「女子の武士道」

水戸徳川家の流れを汲む松平洋史子さんと、米沢藩士の血を引く石川真理子さん。社会の激しい変化に伴い、日本人の心の拠り所となっていた先人の教えが失われつつあるいま、お2人は武家の祖母からどのような教えを受け、人生に生かしてきたのでしょうか。

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これだけは心に決める

(松平) 

私は祖母から教わったことで、1つとても印象に残っていることがあります。

中学校に入った時でしたけれども、祖母が私を呼んで、 

「洋史子ちゃん、きょうからあなたは1人の女性になったのよ。だからこれからたった1つだけ、これだけは一生やり続けようと思うことを心に決めなさい。人には内緒にして、もし誰かに気づかれたら、その時からお話ししてもいいのよ」 

って言われたんです。

 (石川) 

あぁ、一生やり続けようと思うことを決めなさいと。

 (松平) 

それで何にしようかと考えていたら、たまたま雨の日に祖母が、傘で路面をトントンって叩いて雨しずくを落としてから車に乗る仕草を見て、あぁ素敵、これにしようって思ったんです。私は雨の日にお車に乗る時、中を濡らさないように傘をトントンとやることにしようと決めて、中学の時からずーっと続けてきたんです。 

そうしたらつい最近なんですけど、雨の日にタクシーを拾って傘をトントンってやってから乗ったら、運転手さんが「僕は長いことタクシーの運転手をやってきたけれども、お客さんのように気を使って乗ってくれた方は初めてです」って感激してくださったんです。ずっと内緒にしてきたことが、そこでとうとう人にバレたのね(笑)。それできょうこうしてお話しできるんですけれども。 

(石川) 

素敵なお話ですね。お祖母様はそのように、ご自分の姿でいろんなことを教えてくださっていたのでしょうね。 

(松平) 

確かにそうでしたね。 

祖母は空気を変える人でした。お正月なんかに皆が集まっているところに祖母が入ってくると、空気がスーッと変わるんです。決して自分の存在を誇示するわけでもないのに、何か空気が変わってしまう。すごく素敵なんです。 

(石川)

やっぱり奥というのを取り仕切らなければならないお立場だったでしょうから、どなたも見ていないところで、いつもご自分を律していらしたのではないでしょうか。それがそういう風韻となって表れていたのでしょうね。 

(松平) 

そうだと思います。ですから祖母がケラケラ笑ったり、泣いたり、怒ったりというのをあまり見たことがなくて、何だかいつも同じような落ち着いた様子でした。 

けれども、だからといって決して安穏に暮らしてきたわけではなくて、祖母は人知れずいろんな苦しみを乗り越えてきていたんです。 

長男との別れもそうでした。夫の兄の讃岐松平伯爵家に世継ぎがなくて、祖母の長男が養子に出されることになったんですが、それも言い渡されてから僅か1週間で別れなくてはならなかったんです。あの時は本当に辛かったでしょうけれども、そんな時でも祖母はひと言の愚痴も口にしなかったそうです。どんな辛いことも決して表には出さないんです。 

(石川) 

そのお祖母様の強さは、どこから生まれてきたものだったのでしょうか。 

(松平) 

「南無妙法蓮華経」のお題目に救いを求めていたようです。

松平の家はもともと浄土宗なんですが、祖父が第一次大戦で軍艦に乗っていた時に爆撃を受けて沈みそうになったことがございましてね。その時、誰ともなく唱え始めた「南無妙法蓮華経」を、全員が甲板に出て一心に唱えているうちに九死に一生を得たんです。その時から祖父は「南無妙法蓮華経」を心の支えにしてきて、その祖父と結婚した時から、祖母も「南無妙法蓮華経」のお題目を大切にしてきたんです。 

長男を失った時の悲しみはとても深いものでしたけれども、その時に松野上人という偉いお坊様のもとで一所懸命勉強をして、仏教の本まで書いているんですよ。ですから、仏様に手を合わせたり、お題目を唱えたりするのを、日々の日課としてごく自然に実践していました。

手を合わせて祈ってごらん

(石川) 

かつてはそういうことが暮らしの中に当たり前に入っていて、それが人々の拠り所だったのではないかと思いますね。私も祖母に、

「苦しい時には、手を合わせて祈ってごらん」

って教えられて、それがすごく支えになってきたんです。

生きていく上では理不尽なことってどうしてもつきものなんですね。むしろ理不尽なことのほうが多いかもしれません。でも祖母はその理不尽なことに対して、なぜこんなことがと疑問を抱いたり、大袈裟に嘆き悲しんだりはしなかったようなんです。

祖母は子供の頃に事故で片眼を失明したり、祖父の事業の失敗で財産をすべて失ったり、本当にたくさんの辛い出来事に見舞われてまいりました。それでも、人生にはこんなこともあると受け入れる。失ったということは、逆にこれからは得られるのよ、というふうに光を見出そうとするんですね。

 (松平) 

強い方だったのですね。 

(石川) 

祖母の強さは受け入れる強さですし、人を許す強さ、譲る強さでした。それでいて自分の信念を失わないで、ここは絶対に守るんだという確固たるものがある。だからこそ厳しい人生を生き抜いてこられたのだと思うんです。

 暗いトンネルの中でも一点の光というものを信じて歩き続けた時に、それは希望や力に変わっていく。どんなに苦しいことがあっても、その苦しいことと一体化して、自分自身が困難そのものになって道を切り開いていく。 

祖母のそういう柔らかな強さは、やはり明治の女性の、あるいは武家の女性の強さだと思うんです。辛いことがあっても、人に愚痴を言ったり、泣いたりすることができる立場ではなかった人の生き方ではないかと思いますね。 

(松平) 

本当にそのとおりだと思います。 

(石川) 

祖母は長男を戦争で亡くしました。終戦の年に召集されて、仙台港から出港するのを見送っている目の前で船が魚雷で沈められたんです。仙台でお葬式を終えて、空のお骨壺を抱いて帰ってきた時、祖母はろう人形のように真っ白な顔をしていたけれども、周りが嘆き悲しんでいる中で一滴も涙を流すことなく、平静を保っていたそうなんです。 

祖母は愛国婦人会の支部長をしていて、身内を亡くした周りの女性たちを励ます立場にあったということもあるのでしょう。けれども身内を失う辛さというものはたとえようもないものだったと思うんです。 

かなり晩年に、娘の一人が還暦で他界してしまったことがあるんですね。祖母はその時にポツリと、「子に先立たれることほど辛いことはないんだよ」と呟いていましたけれども、それが本当の気持ちだったろうと思うんです。 

そういう祖母のことを知っていますから、私もどんなに弱っている時でも「元気です」という顔をしていたい。それは自分を支える気概であると同時に、人様に気を使わせたくないという思いやりでもあるんです。 

この頃ではどなたもあまりおっしゃいませんけど、やっぱり私は「武士は食わねど高楊枝」でいたいと思います。そしてお金や時間があってもなくても、いまの自分の立場で何か人様のためにできることがあるはずだと思えるかどうか、それを行動に移していけるかどうかというのが、やはり心の豊かさですよね。  

(本記事は月刊『致知』2016年4月号「夷険一節」から一部抜粋・編集したものです)

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 松平洋史子(まつだいら・よしこ) 

京都府生まれ。水戸徳川家の流れを汲む讃岐国高松藩松平家の末裔。幼少期より松平方式の厳しい躾を受けて育つ。国立音楽大学教育学部在学中に結婚。大日本茶道協会会長、広山流華道教授、茶懐石・宋絃流師範等を務める傍ら、母親が創立した葵パールの社長を務める。祖母・松平俊子がまとめた松平家に代々伝わる生き方教本『松平法式』を受け継ぎ講演会も行う。著書に『松平家 心の作法』『松平のおかたづけ』(講談社)『一流の男になる松平家の教え』(日本文芸社)などがある。

 石川真理子(いしかわ・まりこ)  

東京都生まれ。文化女子大学服装学科卒業。アパレルメーカー、編集プロダクションに勤務。結婚後、作家として活動。結婚するまで米沢藩士の末裔である祖母中心の家で、厳しくも愛情豊かに育つ。著書に『女子の武士道』『女子の教養』(ともに致知出版社)等

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