2022年08月23日
”自殺志願者の駆け込み寺”と呼ばれる曹洞宗長寿院。篠原鋭一住職は、悩める人々から寄せられる相談電話に、24時間、いつでも門戸を開いて応じています。人はなぜ自ら命を絶とうとするのか。そしてなぜ生き続けなければならないのか。20年近くにもわたり、心の限りを尽くして語り続けてきた住職の思い――。本日はその一部をご紹介させていただきます。
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噓まみれの人生
自死志願者の相談を受けるようになったのは、ある若者が友人に連れられてこの寺を訪れたことがきっかけでした。死にたいと繰り返す姿を見かねて、お寺の坊さんなら何かいいアドバイスをしてもらえるだろうと思って連れてきたとのことでした。
若者はそれまで、嘘にまみれた人生を送ってきていました。暴力団の抗争に巻き込まれて殺される寸前のところまでいき、人生はもう終わったと思い込んで、死に場所を探していたのです。
私は、警視庁の友人の力を借りて暴力団がらみの問題をまず処理し、この寺にしばらく身を寄せ、本気で自分を大転換するよう彼に勧めました。頭を丸めて仮の得度の式を挙げ、他の弟子たちとの修行の毎日が始まりました。
特に命じたのが、縁側の掃除でした。ひと月たった頃に彼は、「十分ピカピカになったから、もう縁側を磨いても意味がないのではないですか」と言いました。私は諭しました。
「汚れていようが、きれいだろうが関係ない。ただひたすら掃除する。磨くことそのものがおまえの修行なのだ」
8か月たった頃、少し分かった気がすると彼は言いました。「これまでの自分は、どう生きるかという覚悟も持たず、流されていました。ここで修行させていただいたおかげで、社会に出てまじめに働く覚悟が固まりました」
そこで私は、寺を卒業するための課題を与えました。分厚い紙の束を渡し、いままでついてきた嘘を全部書き出すよう命じたのです。すぐに、「書きました」と戻ってきましたが、手にはわずか数枚しか持っていません。「まだあるだろう。もう一度書き直せ!」そうしたやり取りを何度かするうち、手にしている紙は次第に厚みを増していきました。
翌朝、お経を上げ終わった私のもとに、彼は分厚い紙の束を抱えてやってきました。「それで全部か!」「もうこれ以上ありません!」彼はその場に泣き崩れました。偽りはないと見た私はご両親を呼び、卒業の儀式を始めました。
本堂の中央に彼を座らせ、弟子たちとともにお経を上げながら、嘘を書き綴った紙を燃やしました。私が読みもせずに燃やすのを見て怪訝な顔をする彼に私は言いました。
「私が読むために書かせたのではない。おまえがこれから新しい人生を始める前に、過去の過ちを懺悔し、清算するために書かせたのだ」
燃えていく紙を、彼は涙を流しながら見つめていました。すべて燃やし終わると、私は最後の警策を浴びせて言いました。
「よいか、おまえはきょうからもう嘘をつく必要はないのだ! 嘘をつくなと言っているのではない。嘘をつく必要はないと思え!」
彼は号泣し、涙で心の澱をすっかり洗い流して両親と帰って行きました。その後印刷会社に就職し、いまも元気に働いています。人は変わることができます。自分を変えれば、過去も変えることができるのです。
いま、生きている人に目を向ける
かくいう私も過去に一度、自ら命を絶つことを考えた人間です。42歳の時にくも膜下出血で病院に運び込まれ、命はとりとめたものの、体は思うように動かなくなりました。顔面は醜く歪み、言葉が出てこない。一所懸命話しても、相手にはほとんど伝わらないのです。
あぁ、俺の人生も終わりだなぁ。思いつめて病院の屋上のフェンスをよじ登ろうとしたところ、ちょうど屋上で洗濯物を干していた方に止められ、命を長らえました。
ほどなく私のもとに、全国から次々と仲間が訪れてきました。「おまえはとにかく生きているだけでいい。生活の面倒は全部俺たちでみるから」あぁ、俺にはこんな心温かい仲間がいる。死んではならない。生きてゆこう。
懸命のリハビリが始まりました。言葉を取り戻すために必死で本を朗読し、仲間の仕事を少しずつ手伝い体を慣らしていきました。自己訓練の甲斐あって、おかげさまで健康な体を取り戻した私は、先輩に誘われて、アジアの難民、貧民救済のボランティア活動に没入しました。
両親と早くに死に別れ、禅寺に預けられて育った私は、葬式や法事で亡くなった人ばかりを相手にする寺のあり方に疑問を抱いていました。お釈迦様は存命中、生きている人々に目を向け、その苦悩から解放するため人生を捧げたはずです。
同事行という言葉があります。悩める人とともに、明るい道も暗い道も歩んでいく。ともに悩み、ともに解決の道筋をつけていく。この言葉に僧としての生きる道を見出したからこそ、私は自死志願者と向き合ってきたのです。
いまの日本に求められるもの
いまの日本で回っていないものが2つあります。1つは経済。もう1つは温かな心です。
夜中の2時頃、仙台に住むあるおばあさんから電話がかかってきました。「失敗しました。丈夫な綱を送ってくれませんか」とおっしゃるのです。喜寿を迎えたそのおばあさんは、夫に先立たれて一人でひっそり暮らしていました。独立した子供たちはもう5年も顔を見せない。寂しくて、夫の元に旅立とうと思い、首をくくろうとして失敗したのでした。たまたま仙台で講演の予定があったので、すぐ飛んでゆきました。おばあさんは、子供や孫から「喜寿おめでとう」と一言でいいから声を掛けてもらいたい、と泣くのでした。短歌を習っているというおばあさんは、こんな句を詠んでいました。
「来るはずの ない息子とは 知りつつも 車の音に ベランダに駈け」
私はおばあさんに、息子ができたと思っていつでも電話をくださいと言いました。
いまも週に2、3度はお話をしています。日本がいずれ高齢化社会を迎え、孤立化するお年寄りが増えることは、早くから分かっていたはずです。なぜもっと前から真剣に対策を考えなかったのか、悔やまれます。
ある84歳のおばあちゃんが、お孫さんを連れてスイミングプールに行きました。インストラクターが、どうしていまになって泳ぎを習いに来たのかと尋ねると、子供の頃から水が恐くて、このままでは三途の川を渡れないから、とおばあさんは冗談交じりに答えました。
そばで聞いていたお孫さんがすかさず言いました。
「先生、おばあちゃんが三途の川を渡り切ったら、もう一度私の所に帰ってこられるだけの力をつけてあげて」
こうした温かい言葉をかけ合える世の中になれば、無縁社会を脱して、有縁社会に回帰していけるに違いありません。だからこそ、自死の問題を人ごとと思わず、まず身の回りの人に温かな声掛けをすることから始めてほしいのです。
(本記事は月刊『致知』2011年2月号 連載「致知随想」から抜粋・編集したものです)
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◇篠原鋭一(しのはら・えいいち)曹洞宗長寿院住職・NPO法人自殺防止ネットワーク風理事長。1944(昭和19)年兵庫県生まれ。駒澤大学仏教学部卒業。千葉県成田市曹洞宗長寿院住職。曹洞宗総合研究センター講師。同宗千葉県宗務所長、人権啓発相談員等を歴任。NPO法人「自殺防止ネットワーク風」代表。「生きている間にお寺へ」と24時間、寺院を開放し、その営みは各種マスメディアに注目されている