2020年10月29日
トヨタホームでトップ営業を記録し、現在は独立して営業サポート・コンサルティング社長を務める菊原智明さん。しかし、かつては全く売れないダメ営業マンとして苦しい日々を送っていたといいます。菊原さんはいかにしてトップ営業マンになったのでしょうか――実体験を交え、「凡人が勝つ方法」をお話しいただきました。
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売れない営業人生
〈菊原〉
人生とは不思議なものです。私は大学卒業後、7年間クビ寸前のダメ営業マンをしていました。ところが、そこから一転して4年連続トップ営業。2006年に営業サポート・コンサルティングという会社を立ち上げ、大企業の営業研修や全国初となる大学での営業の授業を行っています。まさか自分が他人様に何かを教える立場になるとは、思ってもみませんでした。
そもそも私が営業の道に進んだのは、友人の父親が車の営業をしており、その自由奔放な姿に憧れたことがきっかけでした。ある時、トヨタに面接を受けに行くと「月に5台売ってください」。一方、「うちは住宅もやっていて、そっちは4か月に1戸売れればいい」とのこと。それならできるかもしれない。そう思い、トヨタホームに入社しました。
ただ、よく考えてみれば、トヨタ車は人気が高く、店で待っていてもお客様が来てくださるのに対し、トヨタホームを買いたいというファンは少ない。大手メーカーがひしめき合う住宅業界にあっては「○○会社もいいけど、菊原さんが素晴らしい方なのでトヨタホームにします」と、お客様から思っていただかなければ売れないのです。しかし、当時の私にそのような人間的魅力はありません。
電話をしても「ちょうど子供が寝たところになんで電話してくるんだ!」と怒鳴られ、訪問しても「資料だったらポストに入れてもらえますか」と言ってTVドアフォンを切られてしまう。会社に戻れば「またアポ取れなかったな」と散々叱られる。
半年もゼロで、俺って存在価値あるのかな……。周りからすべて否定され、次第に自分で自分を責めるようになってしまいました。そんな中、私の支えとなっていたのが週末の飲み会でした。そこに集まるのは、売れない同期や後輩たち。結果の出ない者同士で酒を飲むことで、現実から目を逸らし、ストレスを発散していたわけです。
その当時は、朝9時に朝礼が始まり、毎日夜中の12時まで帰れない、まさに地獄のような日々でした。それに耐え切れずに辞めていく社員も数多くいました。彼らが手放したお客様をフォローしたり、大手が相手にしないクレーマーのようなお客様から契約をいただいて、年間3棟の最低ノルマをどうにか達成する。そんなギリギリの生活が7年も続き、気づけば29歳になっていました。
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営業の極意に開眼する
〈菊原〉
それまでは「別に売れないけど、仲間がいるし、飲んで忘れてしまえばいいや」と思っていたものの、30を目前に控えた頃から飲み会が徐々に楽しくなくなっていきました。ある時、いつものように飲んでいると、
「いま確かに楽しいかもしれない。でも、おまえってダメな人間だよな」
と、もう1人の自分が囁くように感じたのです。本当は仕事で結果を出したいという思いが、心の叫びとして聞こえてきたのでしょう。
しかし、7年やってダメな人間が8年目から爆発するという話は聞いた例がありません。ちょうどその頃、結婚したこともあり、家を建てて転職しようと考えました。せっかく家を建てるのならば、失敗したくない。そう思い、様々な情報を集めていると、ある資料が目に飛び込んできました。
「もう少しコンセントを増やしておけばよかった」「濃い床にしたら傷や埃が目立つ」等々、そこには実際に家を建てたお客様が後悔した事例がたくさん載っていたのです。
「これは面白い! きっとお客様にも喜んでいただける」
私はすぐに〝お役立ち情報〟として、そのリストをお客様に郵送しました。するとどうでしょう。「いくつか見積もりを出したんだけど、ちょっとよく分からないので相談に乗ってくれませんか」「とりあえず菊原さんにお願いしますよ」というお客様が現れたのです。
営業の仕事が面白いと、心の底から感じられた初めての瞬間でした。
会社はいかにオプションをつけて高く買ってもらうかを営業マンに求める。「カーテンや外光、エアコンもすべて契約取れ」と。しかし、私は「エアコンは家電量販店で買いましょう。そっちのほうがお得です」と、お客様に提案するよう心掛けました。
私を必要としてくださっているお客様がいる。その期待に応えたい一心で、会社の言いなりにならず、ただひたすら目の前のお客様に尽くしていく――。こうして、年間3棟だった私は年間16棟の契約をいただき、初めてトップに立ったのです。
私の信条の1つは「続けること」です。私はトップに立った後も、営業レターを毎月送り続けました。トークで勝てれば手紙など出す必要はありません。しかし、相手は凄腕営業マン。真っ向から戦いを挑んでも勝ち目はないわけです。ゆえに、自分にできる方法を追求し、それを徹底的に続ける。
私は本業の傍ら、これまで30冊以上の本を執筆してきましたが、それができるのも毎日1時間ずつコツコツと書き続けているからです。
もう1つの信条は「熱意はスピードで現す」。メールが来たらすぐに返信する。締め切りギリギリではなく3日前には仕事を終わらせる。「やる気があります」と、いくら口で言っても、行動が伴わなければなんの意味もありません。言ったことは即実行する。そういう小さなことの積み重ねこそ、凡人が勝つ唯一の道だと思うのです。
(本記事は月刊『致知』2013年11月号 連載「致知随想」から抜粋・編集したものです) ▼独立、転勤、転職、昇進、第二の人生……この春、新たなステージに挑戦するあなたへ
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群馬県高崎市生まれ。工学部機械科卒業後トヨタホームに入社し、営業の世界へ。自分に合う営業方法が見つからず7年もの間クビ寸前の苦しい営業マン時代を過ごす。お客様へのアプローチを訪問から「営業レター」に変えることをきっかけに4年連続トップの営業マンに。約600名の営業マンの中においてMVPを獲得。2006年に独立。営業サポート・コンサルティング株式会社を設立。