「サッちゃん」「いぬのおまわりさん」を作曲した大中恩の生き方

「サッちゃんはね サチコって いうんだほんとはね」で始まる童謡「サッちゃん」や、「いぬのおまわりさん」など、60年近くたったいまなお、歌い継がれる名曲を残した作曲家・大中恩さんが去る12月3日、94歳で亡くなりました。追悼の意を込め、いまから約10年前、2007年12月号にてご登場いただいた際の記事を抜粋してご紹介いたします。(数字は掲載当時のまま)

『いぬのおまわりさん』はこうして生まれた

 私は『椰子の実』などを作った作曲家・大中寅二の息子として生まれ、敬虔なクリスチャンホームに育ちました。父は1度も私に音楽家になれと勧めたことはありませんが、家へレッスンに来る作曲家志望の若い方たちと接したり、聖歌隊に入って西洋音楽に親しむうち、音楽の持つ楽しさを知っていきました。

 教会の付属幼稚園で保母をしていた母からはいつも「神様に喜ばれるいい子になりなさいね」と言い聞かされ、しかも父は教会のオルガニストとして奉仕していました。

これは伝道者になる運命なのか、それとも好きな音楽の道に進むべきか、と迷っていた中学生の私は、聖歌隊で思慕していた先輩の女性に相談をしてみました。すると彼女から「音楽家になることが、神様の言葉を伝えることになるのよ」と言われ、私はその方の声を神様の言葉だと思って将来の道を決めたのです。

 結局芸大作曲科に入り、学徒動員で軍隊生活。終戦後まもなくは戦災で焼け残ったビルや教会を訪ねては、あちこちで合唱の指導などをしていました。

 昭和30年、私が31歳の時に「こどものうたを作ろう」という先輩、中田喜直さんの呼びかけで結成されたのが「ろばの会」です。当時は海外の合唱団による来日公演があるなど、合唱音楽が流行していた頃でした。しかし発起人の中田さんは「従来の旧い〝童謡〟から脱却した新しい〝こどものうた〟を創ろう」と主張し、まど・みちおさんやサトウハチローさんらに協力を依頼してたくさんの詩を書いていただきました。

「ろばの会」での曲の作り方は実にユニークなものでした。数名の詩人の方が持ってきてくださった作品を机の上に広げ、5人の作曲家同士で、「俺はこの詩がいい」「私はこれがいい」とセレクトをします。

当然、重複する場合が出てきます。そんな時はそれぞれが作ってきた曲を半月ほどして皆の前で披露し、「おまえの曲はダメだ、こっちのほうがいい」「そこは拙い、こう直せ」というように、率直な意見を言い合いました。よくも争いが起きなかったものだと思います。

 私はこの仲間たちとともに、『いぬのおまわりさん』や『おなかのへるうた』などの、こどものうたを作っていったのです。

受け入れる喜び

 私は83歳になったいまでも、自分の作品だけを歌う合唱団を指揮し、立ちっぱなしで四時間に及ぶ合唱の練習を続けています。

 ある時、中田さんが私のことを評して「なぜ大中君のような、さして人格高邁ならざる人の所へあんなに人が集まるのだろう。もしかすると、人格高邁ならざるがゆえ、つまり水清ければ魚棲まずの例え通り、水が濁っているからこそ人が集まってくるのじゃないか」と、ユニークに書いてくれたことがありました。

 中田さんは物事をはっきりとおっしゃる方で、おっちょこちょいな私はよく自分の振る舞いについてお叱りを受けましたが、いつも、有難い先輩だと感謝していました。

 いま若い音楽家たちを指導していますが、演奏会が終わった後に彼らから「先生はああいう演奏でよろしいんでしょうか」などと、面と向かって言われることがあります。その瞬間はカッとなってコンチクショー、と思うのですが、待てよ、こうしたほうがいいじゃないか、と思い直すようにしています。

 私はこのことを「受け入れる喜び」と思っていますが、そうやって若い人の意見であろうと、いいと思ったことは受け入れる、また受け入れられる自分であらねばと考えてきました。そうした物の考え方が、やはり次の演奏なり自分の作品に生かされてくるものだと信じています。

 私がこの「受け入れること」の大切さを知ったのは、実は皮肉にも学徒動員で軍隊に行った時のことからでした。上官の命令には何があっても従わなければならず、一切の理屈が通用しない世界の中で、私はじっと待つこと――待ってすべての物事を受け入れることを知りました。

 そしてようやく戦争が終わった時、焼け野原の向こうに、私の待ち焦がれていた楽しい音楽の世界が広がり、その後の人生が開けていったのだと思います。

(本記事は『致知』2007年12月号 連載「致知随想」より一部抜粋・再編したものです。人間力・仕事力を高める記事が満載の『致知』、詳細はこちら!)

◇大中恩(おおなか・めぐみ)
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1924年東京生まれ。父は作曲家でオルガニストの大中寅二。1945年東京音楽学校(現東京芸術大学)作曲科卒業。1955年故中田喜直氏ら5人で「ろばの会」を結成し2000年3月の解散までこどものための音楽の創作と発展に尽くす。1958年、1961年芸術祭賞受賞。1957年自作品のみを演奏する、合唱団「コールMeg」を主宰。1965年混声合唱曲「煉瓦色の街」で第21回芸術祭奨励賞を受賞。以後、女声合唱組曲「愛の風船」(1966年)、男声合唱曲「走れわが心」(1968年)、混声合唱曲「島よ」(1970年)で芸術祭優秀賞を受賞。1982年「いぬのおまわりさん」「サッちゃん」「おなかのへるうた」等を集大成した「現代こどものうた秀作選・大中恩選集」で日本童謡大賞受賞。1989年紫綬褒章受章。

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