【サイエンス×アート】生物学者・福岡伸一が紐解くフェルメールの芸術

17世紀オランダで活躍した〝光の天才画家〟フェルメール。その作品に魅せられ、かつて美術展を自ら企画したこともあるのが「動的平衡」的観点から研究を続けてこられた生物学者の福岡伸一さんです。本欄ではフェルメールとの出逢いから、作品の楽しみ方や科学とアートの共通点をお話しいただきました。
※対談の内容は2012年当時のものです。

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鑑賞する度に新しい発見がある

〈村上〉
生物学者の福岡さんが画家のフェルメールに心酔しておられるのは知っていましたが、今回ご自分で美術展まで開かれたのは驚きでした。きょうはお招きいただいてありがとうございます。

〈福岡〉
村上先生にご来場いただいてとても嬉しいです。

私はかねてからフェルメールの残した37点の作品すべてを制作された順番に並べて鑑賞してみたいと思っていたのですが、それは本来絶対不可能な夢でした。門外不出の作品もあるし、盗難に遭った作品もあるし、所蔵している美術館も簡単には貸してくれない。しかしデジタル技術を使ってバーチャルにだったらできるのではないかと思いつきましてね。いろんな方のお力添えをいただいて夢を実現することができたのです。作品はいかがでしたか?

〈村上〉
素晴らしいですね。福岡さんにそばで解説していただいたので、しっかり堪能できました。
ご著書には、フェルメールの絵の中には境界が溶け出しているような世界があるとも書いておられましたね。僕も口では上手く言えないけれども何か他の画家と違うものを感じる。福岡さんはフェルメールの絵が人を惹き付ける秘密をどのように捉えておられますか。

〈福岡〉
同じ時代に彼のように室内の絵を描いた画家はたくさんいました。しかしフェルメールの絵はやっぱりどこか違う。なんというか、全体に光のベールがかかっているような感じがするんですよね。

言い方を換えると、フォーカスが合っていない。写真はある一点にフォーカスを当てると、他の部分はボケますよね。人間がものを見る場合も、注目している以外のところは視界には入っていても、光のベールがかかったようでよく見えていないわけです。

絵は対象のどの部分も細部まで描き込めるけれども、すべてを精密に描くと、たぶん人が実際にものを見た時の印象と異なる偽物になります。

しかしフェルメールの絵は、全体として非常に精密に描かれてはいるけれども、夢の中みたいなぼんやりしたところと、よく見えるところが描き分けてあって、見ているうちに自分も絵と一体になっていくような感じがする。人がものを見た時の印象をそのままカンバスに写しとろうとしたように感じるんです。

それから、絵を見るという行為は、人と絵が対峙するようだけれども、実際には、絵に当たった光が反射して目の網膜を通り抜け、情報を伝える電気信号が脳の中につくり出したイメージを見ているわけで、非常に主観的な行為なんですね。そしてフェルメールの絵は、その主観的な行為を再現する視覚的効果があるような気がするんです。

脳内のイメージは、絵とそれを観察する自分との相互作用として毎回立ち上がってくるもので、客観的にそこに絵があるということではない。相互作用として絵を楽しむという、何か動的なものとしてフェルメールの絵はあるような気がするんです。そこが彼の絵の不思議さというか、魅力であって、私もいまだに見る度に新しい発見があるんです。

フェルメールに思いを馳せた時間旅行

〈村上〉
福岡さんはそもそもどういういきさつでフェルメールに興味を持たれたのですか。

〈福岡〉
話せば長いんですけれども、私は子供の頃は虫の好きな昆虫少年だったんです。

ある時、簡易な顕微鏡を親に買ってもらって、虫の卵や蝶々の羽などいろんなものを見て喜んでいたんですが、そのうちに顕微鏡を最初に創った人に興味が湧いてきて、顕微鏡の歴史を遡っていったのです。その時間旅行の果てに、オランダのデルフトという小さな町の商人の息子だったレーウェンフックという人物に行き着いたのです。ご覧ください。これが彼が創った顕微鏡のレプリカです。

〈村上〉
こんなに小さいものだったんですか。

〈福岡〉
ええ。金属を貼り合わせたものに、球形のシングルレンズがはめてあります。レーウェンフックはこの顕微鏡で細胞を発見したり、科学史に残る目覚ましい業績を挙げました。小さな町の物好きなおじさんであり、アマチュア科学者にすぎなかった彼の業績が今日までしっかりと語り継がれてきたのは、イギリスのロイヤルソサイエティが彼を見出したからです。

ともかくレーウェンフックの生きた17世紀というのは、科学のパラダイムシフトが起きた実に豊かな時代で、子供ながらに強く印象に残ったんですが、その時に彼と同時代にフェルメールという画家がいて、二人の間に交流もあったらしいことも知ったわけです。その時はあまり興味は湧きませんでしたけれどもね。

〈村上〉
興味を抱くようになったきっかけは。

〈福岡〉
ニューヨークのロックフェラー研究所で研究をしていた時に、街でフリックコレクションという個人美術館を見つけたんです。中はニューヨークの喧噪とは打って変わった静けさに包まれていましてね。そこにフェルメールの絵が三枚飾ってあったんです。研究が忙しくて心身ともにボロボロに疲れていた時だったこともあって、強く心惹かれましてね。その時からフェルメールへの“巡礼”が始まったわけです。

〈村上〉
サイエンティストもたまに美術館くらいは行くだろうけれども、一人の画家にそこまで惚れ込むというのは、やはり福岡さんはただ者じゃない。福岡さんは、サイエンスとアートの共通点や縁についてどう思われますか。

〈福岡〉
フェルメールの作品をこうやって並べてみると、非常に科学者的なマインドを感じます。3次元の世界を2次元に写しとる工夫をしながら、しかもレンズとかカメラの原型とか当時最先端の技術を応用しながら描かれていて、ある意味世界をどういうふうに捉えるかということを追究したという点では非常に科学者的といえます。

一方レーウェンフックは、アマチュア精神で手当たり次第にミクロな世界を覗いていくうちに、そこには非常に美しい小宇宙が広がっていることに気づいた。ある意味アートにも通ずるような感動を得たわけですよね。

ですから今日、科学とアートは完全に分業していますが、17世紀は科学者も芸術家ももう少し皆が同じビジョンを目指していたのではないかと思うんです。昔の考え方は原始的だと決めつけるのではなく、非常に豊かな時代であったことに気づくべきです。

(本記事は『致知』2012年10月号 連載「生命のメッセージ」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇福岡伸一(ふくおか・しんいち)
昭和34年東京都生まれ。57年京都大学大学院博士課程修了。米国ロックフェラー大学研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。著書に『生物と無生物のあいだ』(講談社)、『動的平衡』『動的平衡2』『フェルメール光の王国』(いずれも木楽舎)など。最新刊に『生命と記憶のパラドクス』(文藝春秋)。

◇村上和雄(むらかみ・かずお)
昭和11年奈良県生まれ。38年京都大学大学院博士課程修了。53年筑波大学教授。遺伝子工学で世界をリードする第一人者。平成11年より現職。著書に『スイッチ・オンの生き方』『人を幸せにする魂と遺伝子の法則』、共著に『遺伝子と宇宙子』(いずれも致知出版社)などがある。

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