2018年10月13日
生後1か月で最重度の脳障碍児となった溝呂木梨穂さん。体の自由を奪われたばかりか言葉を発することさえできない梨穂さんでしたが、娘にも必ず言葉があると信じ続けたのが、母・眞理さんでした。「娘のために」闘い続けてきた母と、沈黙の世界で「生きる意味」を求め続けてきた娘。そんな母娘の歩みを伺いました。
「梨穂にはきっと言葉がある」
みぞろぎりほ――。
言いたい気持ちがあります。びっくりして夢のようです。長い間、待ち望んでいました。
私に言葉があると、なぜわかったのですか?
ご覧の通り、何もできない私ですが、ぼんやりと生きてきたわけではありません。
ずっと、私は人間とは何なのかということを、考えてきましたから、別に世の中の人が何と言おうと、私は私らしく生きてきました。
忘れもしない平成24年5月20日。この日、19歳5か月の長女・梨穂が言葉を持っていることを確認することができたのです。
生まれてすぐに脳に酸素が届かないという原因不明のトラブルに見舞われた梨穂。それによって体の自由はおろか言葉を話すことさえ奪われてしまった梨穂は、生後僅か1か月にして最重度の脳障碍児となってしまったのです。
それでも私には、梨穂の中にちゃんと意思や思いがあることをひしひしと感じてきました。梨穂にはきっと言葉がある。だから何としてもその言葉を引き出してあげたい――その一心でした。
それだけに長年抱いていた思いが叶った瞬間、鳥肌とともにえもいわれぬ喜びが体の中を駆け巡りました。しかも驚いたことに、梨穂の中には実に豊かな言葉の世界が広がっていたのです。
梨穂の言葉を引き出してくれたのは、國學院大学教授の柴田保之先生でした。柴田先生はこれまで「言葉を持たない」と思われてきた重度障碍者から言葉を引き出してこられた方です。
独自に開発されたスイッチを通じて、パソコン画面に次々と打ち出されていく梨穂の言葉。人によって最初はなかなかスムーズに言葉が出てこない方もいらっしゃるようですが、梨穂の中からはまるで溢れ出るように言葉が生み出されていったのです。
自分にとって理想は、良き理解者を見出して、どうして私たちが生きる意味があるのかということを伝える、そのことが夢でした。
少し考え過ぎると思われるかもしれませんが、私にとっては私が生まれた意味がわからないと、私をなかなか保つことさえ難しいからです。
理想をそのまま語ると、私にとって私の生きる意味は、私たちのような存在でも生きる意味があるのだから、どんな人にも生きる意味があるということです。
楽な人生ならそんなことは考えはしなかったでしょうね。でも、こうして私は、ぼんやりとは生きてこられなかったので、わざわざそういうことを考えてきました。
なぜ、私に生きる意味があるのかというと、黙ったままの人生でも人は希望をもって生きられるということを証明できたからです。
なかなか信じられないかもしれませんが、私は希望をなくしたことはありません。小さいころからずっとお母さんに、たくさん愛情を注いでもらいましたから、私はとても幸せです。
「言葉こそ自分たちを表現する武器」
2歳遅れの8歳で梨穂は特別支援学校に入学を果たしましたが、残念ながら学校に通うことはできません。そこで週3回、先生に来ていただいていたのですが、その時の梨穂の目がどれだけキラキラしていたことか。先生を食い入るように見つめる姿から、もっと勉強したい、声を出して話をしたいということが伝わってきたのです。
梨穂にはきっと言葉がある。その思いは日に日に強く、そして確かなものになっていきました。その後、梨穂の言葉を引き出せないままに月日は流れていきましたが、私は決して諦めることなく勉強だけはずっと続けていったのです。当時の私は心の中に希望の光を灯し、前向きに生きることだけを考えていたのでした。
希望の光が現実のものとなった平成24年5月20日以降、柴田先生には2か月に1回のペースで病院に来ていただき、梨穂の言葉を次々と引き出してもらいました。私たちが驚いたのは、梨穂には言葉とともに詩があったことでした。もっとも梨穂にすれば、心の中で思っていたことが自然と詩の形になったと言います。
「寝たきりの自分にとって言葉だけが命なので、耳から聞こえてくる様々な言葉を理解しようと、いつも神経を研ぎ澄ませてきました。そうやって一つひとつの言葉の意味を深く探っていくうちに、自分の思いが一つにまとまっていき、詩が生まれたのです」
新しい詩が生まれる度に、それを忘れないように心の中で何度も唱えて覚えていたという梨穂。柴田先生に出会う前からたくさんの詩をつくっていたようですが、その中には忘れてしまった詩もかなりあったようです。
また、梨穂の詩には普段私たちが使わないような難しい言葉も出てきます。どうやってそんな言葉を覚えたのかと聞くと、ラジオやテレビ、DVDから流れてくる言葉には難しい言葉も含まれているので、知らない言葉が出てきたら、その意味を毎日毎日考えていたと言うのです。そうすれば、その前後の言葉の意味から、もしくは同じ言葉が別の場面で出てきたりすることで、言葉の意味を掴むことができるのだと。
「言葉こそ自分たちを表現する武器」、そう語る梨穂の言葉に対する感性は、我われが想像する以上に敏感だったのです。
(本記事は月刊『致知』2016年11月号 特集「闘魂」より一部抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。 ≪「あなたの人間力を高める人間力メルマガ」の登録はこちら≫
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長野県生まれ。子供3人の母。東京デザイナー学院陶磁器科卒業。平成4年長女の梨穂さんを出産。平成24年小冊子『私の私らしさを見つけたよ』を製作、チャレンジドハートを立ち上げ、講演活動を始める。27年梨穂さんの詩集『らりるれろのまほう』(OfficeOharada)を出版。