2018年12月11日
京セラやKDDIを創業しそれぞれ大企業に育て上げ、「絶対不可能」と言われたJALの経営再建にあたっては僅か2年8か月で再上場へと導いた稲盛和夫氏。稀代の名経営者が明かす「京セラ」創業期の秘話――そこには確固とした未来を拓く経営のエッセンスが満ちています。
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全従業員の物心両面の幸福を追求
「約束はできないが、私は必ず君たちのためになるように全力を尽くすつもりだ。この私の言葉を信じてやってみないか。今会社を辞めるという勇気があるなら、私を信じる勇気を持ってほしい。私はこの会社を立派にするために命をかけて働く。もし私が君たちを騙していたら、私は君たちに殺されてもいい」
ここまで言うと、私が命懸けで仕事をし、本気で語りかけているのがようやくわかったのか、彼らは要求を取り下げてくれた。
しかし、彼らと別れて一人になったとたん、私は頭を抱え込んでいた。
経営者である自分自身でも明日のことが見えないのに、従業員は経営者に、自分と家族の将来にわたる保証を求めていることを、初めて心の底で理解したからである。
私は、このことに気がつくと、「とんでもないことを始めてしまった」と思わざるをえなかった。
本来なら無理をして私を大学までいかせてくれた、鹿児島にいる両親や兄弟の面倒をまず見るべきなのに、それさえ十分にできていない私が、経営者として赤の他人の給料だけでなく、彼らの家族のことまでも考え、将来を保証しなければならない。
会社創業のとき、私が抱いていた夢は、自分の技術でつくられた製品が、世界中で使われることだった。しかし、そんな技術屋の夢では、従業員の理解は得られず、経営は成り立たないということを、この事件を通して初めて身に泌みて理解することができた。
会社とは何か、会社の目的とは何かということについて、このとき改めて私は真剣に考えさせられた。
会社とは経営者個人の夢を追うところではない。現在はもちろんのこと、将来にわたっても従業員の生活を守るための場所なのだ。私はそのとき、このことに気づき、これからは経営者としてなんとしても、従業員を物心両面にわたって幸せにすべく、最大限の努力を払っていこうと決意したのである。
さらに、経営者としては、自社の従業員のことだけでなく、社会の一員としての責任も果たさなくてはならない。
そこまで考えを進めたとき、
「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」
という京セラの経営理念の骨格ができあがっていた。
突然の反乱劇で、そのときは驚き、悩み苦しんだが、おかげで私は若いうちに経営の根幹を理解することができたと思う。
それは、経営者は自分のためではなく、社員のため、さらには世のたにという考え方をベースとした経営理念を持たなくてはならないということである。
これを創業3年目という早い時期から経営の基盤に置いた結果、京セラはその後大きく発展することができたのだと私は考えている。
本記事は『人生と経営』(稲盛和夫著、致知出版社刊)より一部を抜粋・編集したものです。) ◎最新1月号申込受付中! ≪人間力を高めるお供に≫
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【稲盛さんの『致知』へのメッセージ】
月刊『致知』創刊四十周年、おめでとうございます。日本人の精神的拠り所として、長きにわたり多大な役割を果たしてこられたことに、心から敬意を表します。今後もぜひ良書の刊行を通じ、人々の良心に火を灯し、社会の健全な発展に資するという、出版界の王道を歩み続けていただきますよう祈念申し上げます。
☆王貞治さん、稲盛和夫さんなど、多くの著名人が『致知』を読んでいます
◇稲盛和夫(いなもり・かずお)
昭和7年鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。34年京都セラミック(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、平成9年より名誉会長。昭和59年には第二電電(現・KDDI)を設立、会長に就任、平成13年より最高顧問。22年には日本航空会長に就任し、27年より名誉顧問。昭和59年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。また、若手経営者のための経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注ぐ。著書に『人生と経営』『「成功」と「失敗」の法則』『成功の要諦』(いずれも致知出版社)など。