長篠の戦いの本当の勝因

思わず話したくなる話


織田信長、徳川家康連合軍と
甲斐の武田勝頼軍とが激突した
長篠の戦い。

おそらく多くの方々は、
信長が考案した鉄砲を使った
三段撃ちによって武田の騎馬軍団が
壊滅したと習ったと思います。

ところが、最近の研究によって
勝因はどうやら別のところに
あることが分かってきました。

───────「今日の注目の人」───

☆ 長篠の戦いの本当の勝因 ☆

松平定知(京都造形芸術大学教授)

※『致知』2017年3月号【最新号】
※「致知人間学講演会」P154

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(織田信長は)こういう、
進取の精神に富んだ男ですから、
1543年に種子島に
入ってきた鉄砲を手にして、
これをうまく戦に利用しない
手はないなと思ったのは
事実だと思います。

さらに、鉄砲の三段撃ちについても、
確かな証拠はありませんけど、
たぶん信長が考案したのだろう
というふうに言われています。


三段撃ちはどういうものかというと、
鉄砲隊を三列にして、最前列が
撃ったらすぐに最後列に
回りながら火薬を捨てて、
新しい火薬を詰めて着火する。

二列目に進んで火が火縄を回って、
爆発寸前になると
最前列に行って砲撃する。

その繰り返しです。

要するに、相手陣営に対して
間断なく鉄砲を発射できる
という戦法です。


さて、長篠の戦いの日は
天正3年5月21日。

これは旧暦ですから、
いまの暦に直しますと6月末
あたりということになります。

つまり梅雨時で、一年で一番雨の降る
確率が高い時期ということになります。


火縄銃は確かに大変な
威力がある武器ですが、
何が一番の敵かというと、
「火が命」の兵器ですから、
最大の敵は、相手の大将の
能力や兵数ではなく、
水、なんですね。

つまり、当日の天候なんです。

雨なんです。

雨が降ったら火薬に火が
つけられないので鉄砲の
意味をなさなくなります。

となると、あの戦上手の信長が、
一年中で、最も雨の降る確率の
高い梅雨時に、戦の行方を占う
主武器として、本当に、わざわざ
鉄砲を選んだのか
という疑問が生じます。


この素朴な疑問を……



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