淀川長治さんと少年

本日は、人生を燃焼して生きた
人たちの物語をお伝えします。

行徳 哲男(日本BE研究所所長)
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※『致知』1986年7月号
※特集「なぜ燃え続けるのか」P36
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一昨年、私はある人から招待状をいただき、
「屋根の上のヴァイオリン弾き」という
芝居を見に行った。

大変感動的なドラマであった。

71歳になった森繁久弥さんが、3時間、
舞台で踊り、歌い、演じ続け、
場内は大歓声の中で終わった。

最後に、森繁さんが「皆さん、ありがとう」
といって手を振った。
彼の目には涙があった。

聞くところによると、森繁さんは、
18年かかって840回、この芝居を
やり尽くしたという。

芝居小屋を出る時に歩けなくて、
付き人に支えられて車に乗ったこともあるそうだ。

それだけ舞台に精魂を使い果たしているのであろう。

私は見終わって、フラフラして
立ち上がることができなかった。
そのまま席に座りこんでしまった。

数日後、国電で神田駅を通り過ぎようとした時、
ビルにかかった垂れ幕が目に入った。

先日見た「屋根の上のヴァイオリン弾き」の
垂れ幕であった。

そこには「どうかこの感動を親から子供たちに」
書いてあった。

それを見たとたん、私の目から涙がどっとあふれてきた。

わけもなく流れてくる。
生命の底から込み上げてくるものを、
私は抑えることができなかった。



日曜日に洋画の解説をされる淀川長治さんという方がいる。

淀川さんはブラウン管から消えていく時、
「さよなら、さよなら、さよなら」というのであるが、
不思議なくらいに余韻が残っている。

一体、なぜ、淀川さんの「さよなら」が
余韻として残るのだろうか。

淀川さんはこんなことがあったそうである。

ある時サイン会があった。
サイン会も終わり、会場を出た時、
突然小さな子供が寄ってきた。

その子は「おじさん、握手をしてください」
と左手を差し出してきた。

淀川さんは、「ぼく、失礼なことだよ」と
いってその子の左手を払いのけ、
待機していた車に乗り込んでしまった。

淀川さんは海外によく出掛けるので、
海外でいきなり左手で握手を求める
ことは大変失礼なことであるから、
やってはいけないことだと知っていた。

車に乗り込んでから、ふともう一度その子を見た。

淀川さんはハッと思った。

その子には右手はなかったのである。

淀川さんは車から飛び降りてその子を抱きしめ、
「おじちゃんを許しておくれ」といって、
その子と一緒に涙を流して泣いたという。

このようなエピソードの中に、
私たち現代人が忘れた大事な忘れ物がある。

豊かで恵まれた中に、
大事な大事な忘れ物をしているのである。