逸話に見る森信三師 人生二度なし
その頃の先生は、まさに凄絶ともいえる読書三昧の日々であり、眼を酷使する極限をすら感じたのではなかったかと思われます。 そこで「もし盲人になった――」というのが、その頃の日常における根本的な危惧であり想念であったようです。 当時天王寺師範の東側に府立盲学校があり、その姿を眼にする機会が多かったためでもありましょう。 先生自身も、何どき盲人になるかもしれぬ身だということを思うのでした。
こうして地位なり名誉というものがいかにはかないものであるかということが、観念でなく、切実なわが身の実感としてわかり出したのです。 そしてわが「生」の根本的基盤を徹底的に掘り下げたとき、結局「人生二度なし」という最根本的な事実即真理に眼覚められたのです。 時に三十三、四歳頃であったと思われます。
思えば、今までの生い立ちと宿命により紆余曲折のコースを辿らざるを得なかった全体験が、この一語に凝縮したといえましょう。 こうして「人生二度なし」が、全生涯を支える一語として、凄まじい生き方の根本的原動力となったのです。
(寺田一清編著『森信三小伝』より)