偉人たちの人間学 平澤興

プロフィール

平澤興 ひらさわ・こう
明治33年新潟県生まれ。
京都帝国大学医学部を経て、大正13年京都帝国大学医学部解剖学教室助手。翌年同学部助教授。15年新潟医科大学助教授。昭和3年からスイス・ドイツ等に留学後、5年同大学教授。翌年、日本人腕神経叢の研究により医学博士号を取得。21年京都帝国大学教授。32年から京都大学総長を2期6年間務める。38年同大学名誉教授。
その後、京都市民病院院長、京都芸術短期大学学長などを歴任。45年勲一等瑞宝章受章。平成元年6月17日、心不全のため京都市内で没。

進むべき 道は一筋

平澤興先生は京都帝国大学の医学部に入った時、いままではやらされる勉強だったけれども、命懸けの勉強をしようと決意します。そして、授業は全部出て、教授が示す原書は全部読もうと決意してやり始めたら、とてもじゃないけど続かない。1か月でノイローゼになってしまいました。そして、新潟の田舎に帰る。12月、雪の降る日に、悶々として歩いていたら、ベートーベンの言葉が聞こえてきたといいます。
「勇気を出せ。たとえ肉体に如何なる欠点があろうとも、我が魂はこれに打ち勝たねばならない。25歳、そうだ、もう25歳になったのだ。今年こそ、男一匹、本物になる覚悟をせねばならない」。
ベートーベンが耳の聞こえなくなっていく過程で自分自身を鼓舞した言葉。その言葉に出会って平澤先生は「あっ、ベートーベンみたいな天才がこれほどの艱難辛苦を乗り越えたんだから、自分のような凡才がこんなことでノイローゼになっていられるか」と思って、また一念発起して戻るのです。
今度は、徹底的に計画を立て直して、もう講義は実習以外には出ず、原書を読むことに専念し、3,000ページの原書を毎日読んでいくのです。午前2時に起床、夜は9時半終了。予定のページが終わるまでは寝ない、と自分で決めるたんです。そういう生活を何年も続けていって、平澤先生は大学者になりました。

人間はどういう志を持っているかによって決まります。志の高低がその人の人生を決定するということが、平澤興先生の20歳の時に記した座右銘から分かります。

平澤興先生は20歳元旦未明に起き、天地神明を拝して以下のような座右銘を墨書しました。

「常に人たることを忘るること勿れ。他の風俗に倣うの要なし。人格をはなれて人なし。ただ人格のみ、永久の生命を有す。(略)
常に高く遠き処に着目せよ。汝若し常に小なる自己一身の利害、目前の小成にのみ心を用いなば、必ずや困難失敗にあいて失望することあらん。然れども汝もし常に真によく真理を愛し、学界進歩のため、人類幸福のため、全く小我をすててあくまでも奮闘し、努力するの勇を有さば、如何なる困難も、如何なる窮乏も、汝をして失望せしむるが如きことなからん。真の大事、真に生命ある事業はここに至ってはじめて正しき出発点を見出したりというべし。
進むべき 道は一筋、世のために
いそぐべからず 誤魔かすべからず」