『致知』を知るために知っておきたい先達たち 坂村真民
プロフィール
坂村真民 さかむら・しんみん
明治42年熊本県生まれ。昭和6年神宮皇學館(現・皇學館大學)卒業。
22歳熊本で小学校教員になる。25歳で朝鮮に渡ると現地で教員を続け、2回目の召集中に終戦を迎える。21年から愛媛県で高校教師を務め、65歳で退職。
37年、53歳で月刊個人詩誌『詩国』を創刊し、平成16年95歳まで通算500号を発行する。
18年97歳で永眠。仏教伝道文化賞、愛媛県功労賞、熊本県近代文化功労者賞受賞。
念ずれば花ひらく
坂村先生が8歳の時に、小学校長をしていた父が40の厄を越えずに急逝。36歳の母と5人の幼子が残されました。そこから一家の生活は一変し、5人の幼子を育てるために母は懸命に働きました。愚痴を言う代わりに、いつも母が唱えていた言葉が「念ずれば花ひらく、念ずれば花ひらく」。この言葉が真民先生の詩魂に火をつけ、詩道一筋の人生を歩む原点となりました。
詩壇には目を向けず、「自分という人間を創り上げるために、そして人々の心に光を灯すために」苦しみから立ち上がる詩を書き続けました。孤独の一本道。しかし、コツコツと希望を持って歩いていくと、前から光が差し、後ろから差しのべられる手があったのだといいます。
「自分を作るために詩を書く」「そして人びとの心に光を灯す」
真民先生は午前零時に起きて、夜明けの霊気と星々の光りを吸引して、自分の詩は生まれると言っていました。午前3時30分頃になると、真民先生は近くの重信川まで歩いて行きます。真民先生は地球は生きていると思っていますから、地球の地面に口をつけて「地球さん、ありがとう」って感謝の念を込めて、独特のお経を読んで帰ってくる。そういう生活を毎日、何十年とやっていた人でした。
坂村真民先生の名言
-
【創造する人間】
創造する人間は、絶えず危機の中に身を置いていなければいけない
-
【嵐と詩人】
いつも嵐が吹いている それが詩人というものだ
-
【一道を行く者】
一道を行く者は 孤独だだが 前から呼んで下さる方があり 後ろから押して下さる方がある
-
【求道】
一に求道 二に求道 三に求道 四に求道 死ぬまで求道
-
【鳥は飛ばねばならぬ】
鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ
-
【ひとりひそかに】
深海の真珠のように ひとりひそかに 自分をつくってゆこう
-
【天才と本物】
天才にはそう誰にでもなれないが 本物には 努力次第でなれる
-
【苦】
苦がその人を 鍛えあげる 磨き上げる 本物にする
-
【名刀のように】
すべては出会いの 一瞬できまるだから その時のために 心を磨いておくのだ名刀のように
-
【本もの】
人間は本ものに出会わないと本ものにならない
-
【木の美しさ】
木が美しいのは 自分の力で立っているからだ
-
【あしとあたま】
あたまと あしではないあしと あたまであるあしが先で あたまが後である
-
【愛】
愛とは 呼吸がぴったりと 合うことである
-
【人生は出会い】
人生は深い縁(えにし)の 不思議な出会いだ
-
【光と闇】
本当に 光を知るためには 本当に 闇を知らねばならぬ
-
【闇と光】
闇深ければ光もまた強し
-
【最高の人】
最高の人というのはこの世の生を 精いっぱい 力いっぱい 命いっぱい 生きた人
-
【よい本を読め】
よい本を読め よい本によって己れを作れ心に美しい火を燃やし人生は尊かったと 叫ばしめよ