海賊にさらわれた社員を命がけで取り戻しに行ったある社長の話

2005年3月14日、マレーシア領海のマラッカ海峡を通る日本国籍船「韋駄天(いだてん)」が海賊から襲撃を受け、日本人船長・機関長・フィリピン人船員の3人が拉致されるという大事件が起きました。「韋駄天」を所有する海運会社「近藤海事」(本社・北九州市)の社長は、突如直面したこの危機にどう対処したのでしょうか。社員を取り戻すために、海を越えて、マラッカの海賊たちと渡り合った北九州市の社長の話です。

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社員が海賊に拉致される

平成17年3月、マラッカ海峡で弊社の「韋駄天」に乗った社員数名が海賊に拉致されました。
間違いなく、創業以来の未曾有の大事件だったといっていいでしょう。

明治37年に北九州で産声をあげた近藤海事は、サルベージという海上で事故にあった船の救助を中心に、陸上交通では運べない橋げたや新幹線などの重量物の海上輸送等、地方の小さな会社ではありながら、常に国家的な事業を担ってまいりました。この時も、200人以上の作業員が乗る海底油田生産設備建設用の大型作業船を曳航していました。

夕刻、中型の漁船が韋駄天を追い越していったと思うと、急に方向を変えて近づいてきたといいます。船長が注意喚起のために汽笛を鳴らそうとした瞬間、「バリバリバリ!」という音とともに、船に機関銃が打ち込まれました。海賊に拿捕されたのです。海賊たちは私どもの船長と機関長、多少インドネシア語ができるフィリピン人を通訳代わりに拉致し、自分たちのアジトへと去っていったそうです。

私が日本でこの知らせを受けたのは夜でした。「これは大変なことになった」――。低空飛行を余儀なくされていた会社を兄から引き継いで4年、再建するためにあらゆる手を尽くし、「さあ、これから」という矢先の大事件……。非常事態の時こそトップが率先して動かなければならないと思い、専務に会社を任せ、私は直ちに現地ヘと向う準備を始めました。

自分で何とかしなければいけない

翌朝、韋駄天が曳航していた船の東京本社にご挨拶をし、その足で外務省の「法人テロ対策室」を訪ねました。

「いやぁ、大変でしたね。後はお任せください」。そんな言葉を期待していた私をよそに、お役人は長い沈黙の後、「これは民と民の話ですね」と言いました。要するに自分たちで何とかしろということのようです。

後になって分かったことですが、外務省のこの対応は正しかったようです。拉致とはいえ、北朝鮮やアルカイーダによる政治・思想的なテロ行為の拉致とは根本的に違います。東南アジアでは農家が農業、漁師が漁業に従事するように、海賊というビジネスが存在するのです。

下手に国家や警察などが動き、金を払わないような素振りを見せると、見せしめとして人質は殺されます。逆に相手の要求に従いさえすれば、身の安全は保障されるのです。実際、拉致された船長や機関長の話では、アジトでは一番いい場所に寝かせてもらうなど、大事に扱われたといいます。

海賊との交渉

現地に着き、私は韋駄天に取り残された船員たちへ会いに行きました。いくつもの銃弾の跡、恐怖から震えて口がきけなくなっている者たち……。

「こんな恐ろしい思いをさせて申し訳ない」と居たたまれない気持ちになりました。しかし気丈にも、「社長、ご迷惑をかけてすみません。早く復帰して、お客さんの船を動かさないと」と健気に頭を下げる者もあり、胸が締め付けられる思いがしました。残された乗組員たちの心のケアとともに、海賊たちとの交渉はいよいよ山場を迎えました。

右も左も分からない現地で私に手を差し伸べてくれたのは、韋駄天が曳航していた船のマレーシア法人の社長でした。そして、事件解決の最大のポイントになる海賊との交渉役を買って出てくれたのは、この社長が仕事を発注している現地の同業他社の社長でした。つまり我々のコンペティター、競争相手です。

彼は海賊たちも一目置くほどの凄腕ネゴシエーターで、要求金額を半額以下まで下げ、一週間で全員無事に生還という、この種の事件ではいままでにない短時間での円満解決へと導いてくれたのでした。

後日、謝礼金を持って彼を訪ねると、「実はうちの船も3か月前に海賊に遭ったばかりだ。だからお前の気持ちがよく分かる。それに俺は社長(前述のマレーシア法人の社長)を心から信頼している。俺のボスだと思っている。だから俺は自分にできることをしたまでだ。お金は一切いらない」と言い、受け取ろうとしませんでした。

高潔な人は洋の東西を問わずいるものだと感じ入って帰ってきました。

この危機を乗り越えたから、いまの私たちがある

本欄に名を挙げた人たちだけでなく、本当に多くの方々に助けられ、私たちは懐かしい地元の港ヘと戻ってきました(戻ってからも助けられました)。

港には残っていた社員が総出で出迎えてくれて、「船長! 機関長!」と言って、泣きながら抱きついてきた女子社員もいました。聞けばこの一週間は、誰が指示を出したわけでもなく、交代制で24時間社に詰めて、女子社員は積極的に炊き出しを行ってくれたといいます。

長引く不況の中、不本意ながら人員の削減もしました。一度沈んだ社員の心をどう盛り上げるか。それが当時のわが社の最大の課題でしたが、海賊に遭遇するという天から課せられた大きなプロジエクトを皆の力で乗り切り、以来その達成感がそのまま社の活力に繋がっているような気がしてなりません。

事件は「不幸中の幸い」と思える出来事がいくつも重なり、幸いにも円満解決できましたが、いま振り返っても決して喜び事ではありません。しかしどんなマイナスの出来事をもプラスに変えて、社員たちが誇りを持って働ける会社にしたい。それが経営者としての決意です。

私は村上水軍の末裔として、これからも韋駄天には海賊など蹴散らして、存分に海の上を走らせたいと思っております。

■近藤観司(こんどう・かんじ)
近藤海事社長

(本記事は月刊誌『致知』2007年11月号「天真を発揮する」から一部抜粋・編集したものです。『致知』にはあなたの人間力・仕事力を高める記事が満載です! 『致知』の詳細・ご購読はこちら

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